マルタ日記

感謝な出来事。聖書からのみことば。
思いのまま吹く風と共にきらきら輝くキリストの花嫁の日々

息子の受験

2006-02-07 | みことばの種
公立の推薦に受かった。
私の問題は、運転の苦手な私が、その高校の合格発表を車を運転して見に行くこと自体が超難関。
天気予報では、大雪だったし。
昨日は中学校の担任に、「絶対見に行かないとだめですか?」と本当に親か?と思われるような相談までしに行っていた私です。
合格がどうかは私の中では二の次でした。
とにかく出発前は吐きそうになるぐらい緊張してました。

よかったです。
神様、事故なく無事に帰って来れたことを感謝します。

受かったことも、もちろん感謝です。
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40日心の旅 第17日目

2006-02-07 | 人生の目的 自分らしく生きるために
私の属するところ

「大勢いる私たちもキリストにあって一つの体であり、一人一人互いに器官なのです。」ローマ12:5

キリストに従うということは、ただ信じるだけでなく、所属する事をも意味している。教会の会員になるということは、イエスキリストを本体とした教会という生きた体の重要な器官となることである。「教会」の第一義的な本質は建物、組織、団体ではなく、有機体である。

各器官がその目的を果たしていくためには、本体につながっている必要がある。
本体から切り離された器官は死んでしまう。それ自体では生存できない存在である。

多くのクリスチャンが教会を利用はするものの、愛してはいない。

<今日のポイント>
! すべては教会の中にある。教会の目的も私たちの人生の目的と同じ。教会の中で人生の目的を実践していくことができる。

! 他の人との関係の中でこそ、自分の役割を見出す事ができる。

! 生活を邪魔する人が周りにいない時には、聖くあることは簡単。それは試された事のない聖さであり、本物の聖さではない。孤立は欺瞞の温床となる。誰にも刺激される事がなけれは、自分は成熟しているのだと勘違いしてしまいやすい。本当の成熟は人間関係の中で現れる。

*****
そう、人間関係の中で自分を知る事ができる。相手が自分の内面を映す鏡です。
教会の中で自分の気に入る人とだけ付き合っているのも、教会の人とだけ付き合うのも問題ですね。
私たちは「地の塩、世の光」とならなくては。


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