「消滅世界」村田沙耶香 2015河出書房新社
『文藝』2015年秋号
ああっ!当たった!「殺人出産」の拡大進化版!!でしょう?
ってか、村田沙耶香をいきなりこの作品から読んだ人は途中で嫌になるのじゃないか。半分過ぎれば慣れるだろうが。
この本の内容を否定するために、現在の社会構造を正当化しようと見直すじゃないですか。でも、どちらも正しく見えてくる。
でも、これはまだ完成された作品じゃない。きっとまだこの先がある。今回は対の家族であり、以前にトリプルとかも書かれたが、さらに複雑な関係ができているはずだろう。その部分を飛び越えて「楽園」へ帰っていくのがこの作品だ。その途中の部分を書き込むことによって、「消滅世界」は正しく収束していくだろう。(っていうか、読みたい)
アダムとイブが最初で、そして最後はきっと。
清潔な結婚と家族、それは友人との同居とどう違うのか。子供をつくるという価値観は矛盾しないか。それ故に、「正しい」世界へ導かれ、それを確認せずにはいられない。
恋愛も家族も宗教だ、それは否定すべきものでもない。社会との価値観のすり合わせ。時代による変化。
性を持ち込まない家族という結婚が当たり前の時代が来れば、逆に背徳感を楽しむ男女が出てくるだろう、そうなればまた逆転することになるかもしれない。そう考えていたが、現在の浮気にあたるような外での恋愛でも、必ずしも性的な関係ではないという。そうなると背徳感を楽しむ男女の数は充分に増えることなく絶滅するかもしれない。それこそ「消滅世界」らしい時代の流れなのか。
人工子宮を男性につける段階を超え、水槽の中で赤ん坊を育てるようになれば、本当に「赤ん坊畑」となって人の性欲は消え去っていくのかもしれない。繁殖に性行動が必要なくなるのだから。その頃には性器も退化していくだろう。
人工子宮での初めての男性出産、それに成功した夫の喜びに感情移入していた。妻とかいらない、子供は欲しい。それがみんなの子どもでも。
それにしても千葉の「楽園」は画一的な人間、優れたロボット作りとして描かれる。怪しいチーバくんの顔が頭に浮かぶ。やはり作者はこのシステムは否定すべきものとしているのだろう。主人公の雨音もそう感じていた。それでいながら、雨音はその中に取り込まれていく。
ラストはデビュー作『授乳』に返っていく。母親の乳房を踏みつける姿に。睡眠薬という共通点を持って。
「お母さん、私、怖いの。どこまでも”正常”が追いかけてくるの。ちゃんと異常でいたいのに」
帯の煽りがきちんとしていてうれしい。
ーーー「セックス」も「家族」も世界から消えるーーーとか。
雨音に気持ちを乗せようと(しなけりゃいいのに)するたびに眩暈がする。一気には読めず、(精神的にも肉体的にも)ふらふらしながら読み切った。雨音にシンクロしてしまったら、読み終わった後別の人間になってしまいそうな気がする。