テレビでは「笑点」がはじまり、西の空も茜色に染まってきた。
まもなく日没、庭では蟋蟀(コオロギ)が鳴いている。
さて、日本全国、どこへ行っても祭りがある。
祭りの形こそ千差万別であるが、祭りにかける氏子の心意気は
みな同じである。
縁があり、香椎に単身赴任して1年が経った。
せっかく福岡に来たのだから・・・と、名所旧跡、そして各地
で行われる祭りを見ようと心がけている。
今日、香椎宮で執り行われた秋季氏子大祭であるが、思ったより
ギャラリーが少なかったように感じた。
というか、あまり知られていないのかも?
福岡(博多)といえば「どんたく」「山笠」などの祭りが有名で
あるが、香椎宮で春・秋に行われる氏子大祭もなかなか立派な
祭りであり、是非!見に来て欲しいと思う。
今日の祭りをダイジェストで紹介してみるので、来年の参考!?
にしてほしい。
まもなく日没、庭では蟋蟀(コオロギ)が鳴いている。
さて、日本全国、どこへ行っても祭りがある。
祭りの形こそ千差万別であるが、祭りにかける氏子の心意気は
みな同じである。
縁があり、香椎に単身赴任して1年が経った。
せっかく福岡に来たのだから・・・と、名所旧跡、そして各地
で行われる祭りを見ようと心がけている。
今日、香椎宮で執り行われた秋季氏子大祭であるが、思ったより
ギャラリーが少なかったように感じた。
というか、あまり知られていないのかも?
福岡(博多)といえば「どんたく」「山笠」などの祭りが有名で
あるが、香椎宮で春・秋に行われる氏子大祭もなかなか立派な
祭りであり、是非!見に来て欲しいと思う。
今日の祭りをダイジェストで紹介してみるので、来年の参考!?
にしてほしい。
これが的の破片であり、香椎宮の社務所で「ご朱印」を押印して
いただいた例の「縁起物」なのである。
一番上には天皇家との密接な“官幣大社”であることを意味する
菊の御紋が押印されている。
残念ながら、オイラが住む「香椎の杜」のマンションには神棚が
ないので、この縁起物を部屋の恵方(えほう)におくことにした。
因みに、2007年の恵方は壬(みずのえ)の方位であり、東西南北で
いうと北微西(きた・びせい)にあたるが、北微西は「北北西」とは
異なるので注意されたい。
北北西というのは西洋式の16分割した方位の名称であり、それに
対して恵方をいう時の方位は中国式の24分割した方位を指すので、
微妙にその方位が異なるのである。
いただいた例の「縁起物」なのである。
一番上には天皇家との密接な“官幣大社”であることを意味する
菊の御紋が押印されている。
残念ながら、オイラが住む「香椎の杜」のマンションには神棚が
ないので、この縁起物を部屋の恵方(えほう)におくことにした。
因みに、2007年の恵方は壬(みずのえ)の方位であり、東西南北で
いうと北微西(きた・びせい)にあたるが、北微西は「北北西」とは
異なるので注意されたい。
北北西というのは西洋式の16分割した方位の名称であり、それに
対して恵方をいう時の方位は中国式の24分割した方位を指すので、
微妙にその方位が異なるのである。
流鏑馬神事に使われる的は、細長い板を組み合わせたもので、青竹に
挟んで射手によって射られる。
矢が当たった板片であるが、古来より、縁起物として見物人が持ち帰り、
各家庭の神棚に「縁起物」としてお供えされてきた。
もちろん、オイラも殺到する見物客をかきわけ、2枚ばかりゲット!
こういう“ドサクサ”には意外なほど力を発揮するオイラであった。
帰りがけ、社務所に立ち寄り「香椎宮」の朱印を押印していただいた。
朱印のある破片をもっているのはオイラだけ・・・かも!?
挟んで射手によって射られる。
矢が当たった板片であるが、古来より、縁起物として見物人が持ち帰り、
各家庭の神棚に「縁起物」としてお供えされてきた。
もちろん、オイラも殺到する見物客をかきわけ、2枚ばかりゲット!
こういう“ドサクサ”には意外なほど力を発揮するオイラであった。
帰りがけ、社務所に立ち寄り「香椎宮」の朱印を押印していただいた。
朱印のある破片をもっているのはオイラだけ・・・かも!?
香椎宮の流鏑馬神事は古来より執り行われていたそうで、旧暦の9月9日、
香椎馬場(今の香椎宮本殿裏側の道路)にて、祭典行事の一つとして奉納
されていたが、昭和12年以降、一時中断していたという。
しかし、昭和63年、約50年ぶりに復興、それ以降、秋季氏子大祭で奉納
され、今現在に至っているという。
写真は、神事にあたり、本殿に拝礼する一行であり、また、後方に見える
大木は香椎宮のご神木「綾杉」である。
香椎馬場(今の香椎宮本殿裏側の道路)にて、祭典行事の一つとして奉納
されていたが、昭和12年以降、一時中断していたという。
しかし、昭和63年、約50年ぶりに復興、それ以降、秋季氏子大祭で奉納
され、今現在に至っているという。
写真は、神事にあたり、本殿に拝礼する一行であり、また、後方に見える
大木は香椎宮のご神木「綾杉」である。
獅子楽の演目が終わると、獅子舞が境内の参拝客を廻り、頭を噛んでくれる。
無病息災、家内安全、そして子供の無事の成長を祈念して。
しかし、子供にとって「獅子頭」は単なる怪獣でしかなく、あちらこちらから
「ギャー」の悲鳴が・・・
無病息災、家内安全、そして子供の無事の成長を祈念して。
しかし、子供にとって「獅子頭」は単なる怪獣でしかなく、あちらこちらから
「ギャー」の悲鳴が・・・
獅子楽は、2人立ちの雌雄2頭の獅子が舞い、演目は、デハ(序)、ナカノキリ(破)、
キリ(急)の3段構成で、雌雄の出会いから、意識し合い、求愛までを演ずる。
獅子舞は演目三段を交代で舞い、演じ手は、笛(太鼓)も兼ねる。
なお、獅子楽の目的は「天下泰平」「国家安全」「万民豊楽」そして「家内安全」
オイラにもご利益がありますように・・・いや、必ずある!!
キリ(急)の3段構成で、雌雄の出会いから、意識し合い、求愛までを演ずる。
獅子舞は演目三段を交代で舞い、演じ手は、笛(太鼓)も兼ねる。
なお、獅子楽の目的は「天下泰平」「国家安全」「万民豊楽」そして「家内安全」
オイラにもご利益がありますように・・・いや、必ずある!!
香椎宮の氏子で構成される獅子楽は、獅子方経験者中心の保存会と
現役中心の獅子楽社で構成されている。
この獅子楽であるが、香椎宮が旧官幣大社であることから格式が高く、
従って、境内から出て舞う事はない。
しかし、近年、伝統芸能を継承させようと、小学校の学習でも取り
上げられ、これにより、街の人が身近に感じる獅子舞となってきた。
なお、この獅子楽は、毎年4月と10月の香椎宮大祭に奉納される。
現役中心の獅子楽社で構成されている。
この獅子楽であるが、香椎宮が旧官幣大社であることから格式が高く、
従って、境内から出て舞う事はない。
しかし、近年、伝統芸能を継承させようと、小学校の学習でも取り
上げられ、これにより、街の人が身近に感じる獅子舞となってきた。
なお、この獅子楽は、毎年4月と10月の香椎宮大祭に奉納される。
正式には、香椎宮奉納獅子楽(かしいぐうほうのうししがく)といい、
1744年、勅使参向の年に廃絶していた旧来の祭祀を復興され現在に至る。
また、香椎宮で使用している大太鼓の胴内側にも、1798年に、楽太鼓、
獅子一双奉寄進の墨書銘が確認されることから、獅子楽は、江戸中期
から行われていたことがわかる。
1744年、勅使参向の年に廃絶していた旧来の祭祀を復興され現在に至る。
また、香椎宮で使用している大太鼓の胴内側にも、1798年に、楽太鼓、
獅子一双奉寄進の墨書銘が確認されることから、獅子楽は、江戸中期
から行われていたことがわかる。
香椎の杜は2時を過ぎた頃から薄日が射してきた。
さて、今日、香椎宮では秋季氏子大祭が執り行われ、香椎の杜の
住人であり、また、“のぼせ”を自負するオイラは祭りの一部始終
を見物してきた。
なお、香椎宮の秋季氏子大祭は、毎年、神功皇后の月命日に当たる
10月の17日に一番近い日曜日に執り行われる。
さて、今日、香椎宮では秋季氏子大祭が執り行われ、香椎の杜の
住人であり、また、“のぼせ”を自負するオイラは祭りの一部始終
を見物してきた。
なお、香椎宮の秋季氏子大祭は、毎年、神功皇后の月命日に当たる
10月の17日に一番近い日曜日に執り行われる。