震災から4年、それぞれの被災地ではお厳かに慰霊祭が執り行われている
しかし、のど元過ぎれば・・・という感覚なのか?
慰霊祭が恒例のイベントとして行われているような気がしてならない
先の大震災に関しては、被災者の思いはそれぞれあると思う
愛する家族を失ったひと、家を失ったひと、帰りたくても帰宅できないひと・・
それを一色単に「慰霊祭」として括ることは如何なものか
さて、昨日、ニュースを見ていて気になったことが2つある
まず、「リングリング・サーカス、2018年にゾウの利用を中止!」という見出し
いまから遡ること約100年前、動物園とサーカスは、殆ど同時に誕生した
たった30年前まで、動物園とサーカスの間には大きな違いはなかった
どちらも、動物を使った娯楽施設だった
しかし、動物園業界は時と共に、娯楽を第一の目的とする場所から動物の保全や福祉、
そして環境教育を重視する組織へと変わってしまった
そのため、サーカスで登場するゾウ、ライオン、キリン、馬など、動物芸そのものが
虐待ではないか?という問題提起がされ、某愛護団体の圧力により、先のように、
ゾウの使用を中止することになったらしい
その背景には、シルク・ドゥ・ソレイユのような動物を使わないショーが増加しており、
こういったスタイルが現代の「サーカス」として定着しつつあるからだ
昔、古代ローマのコロシアムでは、人間と猛獣との命懸けの格闘が行われていた
いまではあり得ないことであるが、当時としては当たり前のこと
その名残はスペインの闘牛に見られる
それから時が流れ、戦いの相手(猛獣)を調教することで芸を披露するようになる
特に、田舎では、本物のゾウやライオンを見ることが珍しく、オイラもガキのころは
ワクワクしながら見物した記憶がある。それがサーカスの醍醐味だった
人間は、地球上で有史以前から多くの動植物と生活を共にしてきた
「一緒に暮らす」というよりは時間と空間を共有してきた、と言ったほうがいい
そのなかで、動物たちは、人間にとって環境のバロメーターだったのかもしれない
つまり、原始の時代から、人は動物の幸福な姿を見ればリラックスすることができ、
動物が不幸な状況に置かれている姿を見ると不安やストレスを感じてきた
しかし、ここでいう動物のなかに「肉食獣(猛獣)」は含まれていない
もともと、猛獣たちと人間が共存すること自体がエレギュラーなことかもしれない
だけど、エレギュラーが現実化したのが「サーカスだ!」と、オイラは思う
昨日も書いたけど、躾(調教)と虐待は紙一重
近ごろは、なんでもかんでも杓子定規に線引きしたがる!
世の中には、だいたい・・とか、ほどほど・・・という曖昧さが重要なんだよね~~