さて、話は戦国時代末期まで遡る・・・
中国の弦楽器に「三弦」というものがあり、琉球王朝を経由して大阪(堺)に輸入される
この「三弦」が「三味線」のモデルと云われている
音楽の授業で習ったかと思うが、弦楽器そのものの発祥は中東とされている
諸説あるが、三味線を始めとする弦楽器のルーツは、中東で作られた「リュート」
ヨーロッパでは、ギターの原型とも云われ、この学説がもっとも有力である
それから、構造的に変化しながら、インドを経て中国に入り、中国南部で「三絃」が成立
この「三絃」が沖縄を経由大阪に持ち込まれ、江戸時代中期に日本独特の三味線となり、
撥弦楽器(はつげんがっき)である三味線から胡弓が誕生することになる
この流れ、神社の“あれ”とまったく同じであることに気付いた
エジプトの“スインクス”がシルクロードを経て中国に入り、琉球では“シーサー”
そして、神社の入り口に鎮座する“狛犬(こまいぬ)”へと変化させたこと
さて、誰が、どのように三弦を三味線に変化させたのか?
一度は耳にしたことがあると思うが“琵琶法師”により三味線が誕生したと云われている
三弦が輸入されるまで、日本で弦を引く楽器、つまり、撥弦楽器といえば“琵琶”が主流で、
平家物語に抑揚をつけ謡(うたい)、これに欠かすことができない楽器であり、
この“弾き語り”をしていたのが“琵琶法師”と呼ばれる盲目のお坊さんたちだ
琵琶法師(びわほうし)の歴史は古く、平安時代からその記録が残されている
好奇心旺盛な琵琶法師が、三弦の改良を重ねることで“三味線”を完成させたという
しかし、いつの日か、琵琶は衰退し、三味線は庶民をも巻き込んでスタンダードになる
ところで、琵琶法師といえば“耳なし芳一”が有名であるがご存じだろうか
芳一をモデルとした“怪談”“民話”“舞台”“映画”“アニメ”など、数多く存在する
なかでも、平家物語の「壇ノ浦の段」の名手であった話は有名である
また、平家物語にくらべれば少数であったとされるが、僧侶本来の役目である地鎮祭や、
竈(かまど)祓いなどに呼ばれ、琵琶を弾きながら“お経”も読んでいたらしい
このように、琵琶法師とは、街中で弾く盲目の僧のことであり、琵琶を弾くことが職業で、
三味線が確立してからは、琵琶法師は衰退してゆき、代わりに三味線の弾き語りに変化する
このように、街中で演奏することを“門付(かどづけ)”という
近年では、津軽三味線の名人であり、青森の限られた地方の芸であった津軽三味線を、
全国に広めた第一人者「初代 高橋竹山」、彼も門付で生計を立てていたひとりである
幼い時に失明、生きる糧として三味線の道を選んだのである
タイトルの伝統芸能とは、
こうした門付を原点に、芸人同士が切磋琢磨して完成されたもの・・・そうオイラは思う
芸人とはお笑いタレントではない。本来、芸能に長けたものこそが芸人なのである
とくに、生きる糧を得るための門付。当たり前だが、そこには競争の原理が作用する
人と同じことをしても所詮は“二番煎じ”いま風にいえばウケるはずがない
つまり、顧客の嗜好ってーものがあり、これを満足させなきゃ施しを受けられない
そうした環境のもと、三味線を弾くのではなく、引く!!
引くことでいままで表現できなかった抑揚をつけることが可能となった
こうして、江戸時代に三味線をベースに胡弓が誕生したと云われる
このように、伝統芸能に触れるのであれば、こうした歴史的な背景を知っておくと
さらに興味深く“芸術の秋”を堪能できるはず
また機会があれば日本の伝統芸能について能書きを書いてみようと思う