濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

森羅万象

2012年05月16日 | ひとりごと・・

根岸の杜から会社がある大黒ふ頭まで、毎日、朝夕の2回、同じ道を車で通る
幾つかの選択肢はあるが、距離的には少しばかり遠回りしても、景色がいいこと、
そして、沿道に咲く四季折々の花々・・・など、オイラなりの拘りがある

春は「サクラ」「ハナミズキ」「ツツジ」、花が終わると新緑の季節
ひと雨降るごとに緑の色がより一層濃くなっていくの感じることができる

北海道で体感する新緑の眩しさとはそのスケールに大きな違いはあるけど、
横浜の中心部でも、根岸、山手、横浜公園、山下公園、日本大通りなど、
比較的、緑が多い場所ではそれに近いものを十分に堪能することができる

今朝の横浜は雨上がり、出勤するころ、まだ路面は乾ききっておらず、
通りの木々の葉っぱにも大粒の雫が残り、時折、太陽の光を浴びて燦々と輝いていた
また、新山下に近づくと上空には「季節外れの鱗雲」
※走行中、片手運転での写真撮影は大変危険なのでまねしないでください

自然が生み出す美しさ!
北海道の厳しい冬に耐え、逞しく根をはり、可憐な花をつける千島桜
沖縄の濃いエメラルドグリーンの海、九州博多から陸続きの島「志賀島」に沈む夕日、
そして、横浜・大黒ふ頭からベイブリッジ越しにみる夕焼け・・・
時には秒単位で刻々と変化し続ける

こういう場面に遭遇した時、自分の存在をはるかに超えた美しさと巨大さを感じつつ、
自然の巨大さに圧倒され、一方では自分がその一部でも触れることができている!
という不思議な悦びを覚える・・・こういうのを「森羅万象」と言うのだろう

来週21日、天気がよければ横浜でも「金環日食」が観測できる
自然現象のなかでもとびきりの「森羅万象」を体験できる絶好の機会かもしれない

ちなみに、最近、こうした「森羅万象」的な感動する場面が少なく、どちらかというと
「有象無象」的な連中に翻弄される場面が多いオイラである・・・

今日の大黒ふ頭

2012年05月10日 | ひとりごと・・

さて、今朝の横浜は快晴!だった・・・
7時ちょっと過ぎ、会社がある大黒ふ頭に出勤、11時ちょい前に車で浅草へ
首都高速湾岸線が渋滞していたので横羽線でのんびり走って約40分
来週末からの「三社祭」にそなえ、真新しい「扇子」を買いにでかけてきた

行きつけのお店は「櫛田扇子店」
雷門2丁目にある老舗の扇子屋さんである
いつものお気に入りを買い、ご主人と立ち話していると、
「最近のお客さんは無粋な人が多くて困るよ」
「近頃は無粋な奴は多いけど、どうしたんですか?」
「扇子を買ってくれるのは嬉しいけど、“この扇子、どれくらいもちますか?”だって」

そう、扇子って、1シーズン、若しくは、お祭りであればその日限り!ってーのが常識!
一度買った「扇子」を何年も使う・・というのが無粋!、「粋」じゃねーっていうこと

扇子を買い、それから老舗の「うなぎ色川」へ
色川を訪れるのは久しぶり、すっかりご無沙汰してしまった
店の引き戸を開け、カウンターの一番端っこ、つまり、大将に一番近い特等席に座る
「ご無沙汰してま~す!」
「オッ!生きてたか?来週、よろしく頼むぞっ!!」

それから店の奥にいらっしゃる女将さんとお嬢さんに挨拶
女将さんからも優しく「あら!生きてたの?」
「・・・・はい・・おかげさまで・・・・」
再び大将の正面に戻ると、タイミング良く、できたての「うな重」が出てきた!!

すると、「空いてる!?」と元気な声・・・
ふり返ると駒形の頭(かしら)が若い衆と店に入ってきた!
オイラを見つけた頭の第一声、「オッ!珍しい奴がいるね~~生きてたか?」
一日に3度も立て続けに「生きてか?」と言われる奴もそうはいないと思う・・・・

続けて頭から「今日はどうしたんだい?」
「三社様が始まるんで、新しい扇子を買いにきました!」
「なんだよ!そんなの買わなくていいよ!色川のオヤジとあんたの分、ちゃんと
新しい「扇子」と「手拭」を用意してあるんだよ!来週、祭りの前に色川に届けて
おくから!使ってくれりゃいいんだよっ!今すぐ返品しておいでよ!!」

本当にありがたい!三番組の「扇子」と「手拭」のデザインは飛びっきり粋で、
浅草界隈じゃ有名!誰もかれも持っている代物じゃない!

それから、絶品の色川特製「うな重」をいただきながら祭りの話で盛り上り、頭より
一足先に店を出た。色川から徒歩1分、浅草寺御用達の提灯屋「山崎屋」に到着!

せっかく買った櫛田扇子屋の「扇子」を返すわけにもいかない!
提灯屋の若旦那の達筆で、「扇子」にオイラの名前でも書いてもらおうと店を訪ねた

すると、山積みされた提灯、そして、鬼のような形相で筆を走らせる若旦那!
三社祭をはじめ、これから毎週のように夏祭りが行われる!いままさに仕事のピーク!!

昔から顔見知りの女将さんが側にいて、「珍しいわね!今日はどうしたの?」
「いや、色川まで来たんで、ご挨拶に!来週からの三社様、よろしくお願いします!」

それから雷門越しに観音様に一礼して、隅田川に架かる「吾妻橋」を渡り、車で数分、
「東京スカイツリー」から数百メートルほどの「吾妻橋2丁目」に到着

訪れた先は知る人ぞ知る!「竹春(たけはる)竹材店」
社長の小林さんは竹細工職人であるが、竹を巧みに活用した「生け花」は超有名ホテルや、
デパートにディスプレイされ、雑誌やテレビでもちょいちょい紹介されるほど有名な方!

オイラが社長と知り合ったのは「牛嶋神社の例大祭」、もう20年以上もまえのこと
社長は吾妻橋界隈の重鎮として祭事を仕切っており、それ以降、なにかとお世話になっている
また、今年、牛嶋神社は5年に一度の大祭が行われる。ちょうどいい機会なので、ご挨拶に伺った

事務所を訪れると、町内会長、神輿総代、そして社長の3人がなにか打合せ中・・・
オイラ「んちわっ!ス」
社 長「オッ!珍しいね!!今年は大祭だから、よろしくお願いしますね!」
町会長「日取りは9月16日に決まりましたから。色川のオヤジさんにもよろしく伝えてよ」
総 代「今日は来週19日、スカイツリーの完成前祝いで神輿を出すことになり、その打合せなんだけど、
三社様とちょうどガチンコなんだよね・・参ったよっ!」
オイラ「19日、三社様は昼前から連合渡御ですから、オイラをはじめ、助っ人は期待しないでください!」

かなり切迫した様子なので、「そんじゃ~失礼しま~す!」と竹春を出て、駒形から高速に乗り、
一路「横浜・大黒ふ頭」へ

会社に着いたのが午後2時前
横浜に近づくにつれだんだん雲行きが悪くなり、車を車庫に入れるころからポツポツと
降り出し、それから10分も経たないうちに大粒の雨と雷!!

そして現在、雨もあがり、西の空もだいぶ明るくなってきた
今日の横浜の天気は本当にワイルドだったぜっ!!
もう大丈夫かな!?さて、そろそろ帰ろう!

五月晴れ(ごがつばれ)

2012年05月07日 | ひとりごと・・

連休が終わり、今日の横浜はさわやかな五月晴れ(ごがつばれ)
因みに、6月の梅雨の谷間の晴れた日を五月晴れ(さつきばれ)という

さて、4連休が終わり、今日は足取りも軽く!ワクワクしながら出社したオイラ!
かと思えば、新しい環境に適合できず、5月病とかで早くも精神的に参っている奴も
少なくない

五月病!?
強じんな精神力!というか、3分あれば新しい環境に溶け込んでしまうオイラには無縁の
病であり、昨日は柏餅を6個も食ったぞーっ!!直後に胸やけしたけど・・・

ところで、このGWをふり返ってみると、横浜の天気はあまり良くなかった
前半は雨風、後半は晴れたかと思うと「にわか雨」や「雷」、そして地震も頻発していた
簡単に「異常気象」などというありふれた表現で済まされないような気がしてならない

茨城や栃木のほうでは竜巻で大変な被害がでているようだし、家屋被害もさることながら、
これだけ人為的な被害が多かった理由のひとつとして、去年の大津波(大震災)と一緒、
「オラのところは大丈夫!」的な感覚があったのでは?

だいたい日本において「竜巻」でこれだけの大惨事!が起きることなどだれも想定して
いなかったはずだし、警報が発令されていたとしてもどれだけの人がこれを認識し、
これに備えたことか?

先日、大石久和氏の著書「日本人はなぜ大災害を受け止めることができるのか」を頂いた
著者は、元国土交通省の技官であり、氏によれば、「風水害を含め、日本が大災害集中期に
入ったという見方がある。17年前に阪神・淡路大震災があった。それ以前に千人以上が
亡くなった災害は1959年の伊勢湾台風だった。特に、59年までは大災害が頻発していた」

「それ以降は大きな災害がなく、その間、日本経済の高度成長があった。大きな災害が
なかったため、災害国に住んでいる自覚や備え、インフラに対する日本人の考え方が
甘くなっていたといえる。東日本大震災が、あらためて国土について考えるべきことを、
私たちに伝えてくれた」

「この国には災害集中期が過去に何度もあった。記録では、江戸時代初期の慶長年間、
元禄年間、幕末期の安政年間がそうだった。今回の大津波で知られるようになった
平安時代の貞観年間もそうだ・・・」

このGWの異常気象、もしかすると、「日本が再び大災害集中期に入ったぞーっ!」という
警鐘だったのかもしれない

先人曰く「備えあれば憂いなし」「災害は忘れたころにやってくる」

中華飯店と藤さん

2012年05月02日 | ひとりごと・・

今日の横浜は本降りの雨になり、一日中傘が手放せない!
また、雨のせいで気温もあがらず、少し肌寒く感じる・・
この雨、明日の午後まで続き、4日以降は天気も回復!!お出かけ日和になりそう!

さて、夕べ、会社の同僚数名と飲みに行くことになり、「さて、何処に行こうか?」と、
話し合いを行い、「居酒屋」、「寿司屋」、「割烹」、など、幾つかの候補があがるなか、
最終的には、満場一致!で「中華街の中華飯店」に決定!!

オイラ、昼飯も「中華飯店」で食べたばかり、店に行くと「いらっしゃい」ではなく、
「お帰りなさい!」と言われてしまった!それにしても、続くときは続くものだ・・・

さらに、「さっき、藤さんがお見えになり、例の裏メニューを食べて行かれました!」
藤さんとは、横浜在住の俳優「藤竜也さん」であり、現在、オダギリジョー主演のドラマ、
「家族のうた」にでている

以前、中華飯店で偶然!藤さんと一緒になり、「生意気ですが、よかったらどうぞっ!」と、
裏メニューの「モツヤキソバ」を差し入れし、それ以降、藤さんは「モツヤキソバ」の
熱狂的信者!となり、熱心に布教活動!?に取組まれている!!

昨日も中華飯店に向かう途中、ファンと名乗る若い観光客から声をかけられたそうで、
(藤)「君たち、お店は決まってるのかい?」
(若)「いいえまだです」
(藤)「最高のお店を紹介しよう!オイラについてきなさい」

で、若者を引連れた藤さんが店に到着、すかさず、裏メニューの“モツヤキ”を紹介!
「これは超!スペシャルな常連のお客さんだけが注文できる料理だよ」と、嬉しそうに
話しをされていたとか・・・オイラも久しぶりにお会いしたかったなア~~

目には青葉・・

2012年05月01日 | ひとりごと・・

芭蕉とも親交があった江戸中期の俳人「山口素堂」の有名な一句
「目には青葉山ほととぎす初鰹」

目には青葉が、そして、耳には山ほととぎすの鳴き声が聞こえてくる
やっと清清しい5月がやってきた!
あとは「初鰹」を口にすることが出来たらなア~~

江戸時代、初鰹は高嶺の花であったそうだ
そのため、素堂は、初鰹を食べることの願望を強く込めて、この句を
詠んだと云われている

さて、先週末、オイラは業界の研修会で熱海へ出かけてきた
一泊二日、超セレブな温泉ホテルに宿泊、各部屋には露天風呂を完備!
さらに、料理も特別注文らしく、これまた贅を尽くした旬の逸品ばかり
真面目にサラリーマンをしていると、たまにはいいこともあるもんだっ!!

特に、初めて食べた「足柄牛」のステーキは最高に美味かった!!
しかし、夜の宴会で2枚、翌日も朝から2枚・・・
2日間で4枚!1枚が150gとして、約600gの足柄牛がオイラの体内に・・

神奈川県を代表するブランド牛「足柄牛」は、きめ細かい肉質で、さらに、
しっとりとした食感!仔牛から出荷されるまでの期間の殆どを同じ牧場で育てられ、
その為、ストレスなく育つ事により性格は極めて温厚、それゆえ、肉質が良く、
霜降りがバッチリと入った牛が多く育つという

特に、生後13カ月までの成長期の牛に必要な栄養素はビタミンAや
ベータカロチンだそうで、そこで天然の食品から摂取しようと、この足柄牛は、
育成前期に地域の特産品である「足柄茶」の粉末を与え、必要な栄養の摂取と
カテキン効果により健康的な牛を育てている・・・という仲居さんの講釈

しかし、連続してこれだけ食べてしまうと味も判らなくなるわけで、
できれば1枚はしかたないとして、残りの3枚は「冷凍」にしてもらって
持ち帰りたかった・・・なア~~

そういえば、つい先日、これと同じようなことがあった
昼に、みなと横濱牛鍋処「荒井屋」でコース料理をご馳走になり、その日の夜、
業界の会合があり、直前に場所が変更になり、新たな会場が「荒井屋」だった・・

結局、年に1~2回しか行けない「荒井屋」に、1日2回も行ってしまった・・
という、なんとも贅沢な話

そんなわけで、痩せたくても、痩せる暇がない!オイラである
そこで一句、「目には青葉二日続けて足柄牛」

中華街の名店

2012年05月01日 | ひとりごと・・

今日の横浜は雨降ったかと思えば、日が射したり、気温はそれほど高くないが、
少し身体を動かすと、ジトーっと、汗が滴り落ちるくらい湿度を感じる
これから嫌な季節がやってくるねーっ!早くクールビズになんねーかな!?

さて、連休の谷間とはいえ、今日も中華街にはかなりの人で溢れかえっていた
このGW中、横浜・中華街を訪れたのはいいが、あまりにも店が多すぎ、
「どの店に入ろうか?」と、ウロウロしている連中も少なくない、なぜなら、
約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があるわけで・・・

知人から、「中華街に行くけど、どの店がお奨め?」
そう聞かれれば必ず紹介する店がある!昭和を感じながら絶品の中華を食す
店の名前は「中華飯店」、そう、中華街の「中華飯店」シンプルこの上ない!!
紹介した誰もがその美味さに感動!必ずリピーターになる!!

オイラが週2で通う、中華飯店の主人は2代目
先代は知る人ぞ知る、正田家(皇后様のご実家)お抱えの料理人だった!
その味を2代目がしっかりと受け継いでいる

さて、中華料理の基本といえば「炒飯」以外のなにものでもないっ!!
炒飯の美味い店こそ“本物の中華屋”だと確信している

約30年、本物の「炒飯」を求め、中華街のほぼ8割の店は制覇したと思う
そしてオイラが理想とする本物と巡り会ったのが「中華飯店!!」

ちなみに、中華飯店の名物といえば「モツ」
メニューの「モツ丼」、「モツそば」は常連客の定番だけど、今回、お店の協力を得て、
「GW限定メニュー(裏メニュー)」を共同開発した~っ!!

その裏メニューは、モツ焼きそば(黒胡椒・塩味)と半炒飯のセット(スープ付)
注文するときは、「モツヤキと半チャン!」とさえ言えばいい
お店のおばちゃんが「通ですね・・・」という顔をしてくれればOK!!

中華飯店は加賀町警察の裏
中華街で最も「横浜スタジアム」に近い位置にある
今日の昼も迷わず「モツヤキと半チャン」を食べてきた・・・満足!!

東京の下町

2012年05月01日 | 浅草(三社祭)

「下町探訪」「下町グルメ」「スカイツリーと下町」・・・
書店にいくとこの類の書籍が山積みされいる

この意味での下町は、東京では、山の手(武蔵野台地東端部分)の周辺をなす崖線より
下側の地域がこれにあたる

東京では、歴史的に江戸時代の御府内(江戸の市域)で、高台の武家地域を「山の手」、
そして、低地にある商工業が盛んな町人の暮らす町を「下町」と呼んだ。東京における
下町の代表的な地域は、日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、深川、本所等である

今年5月、東京の下町では2大イベント!が予定されており、多くの観光客で賑わう!
ひとつは「三社祭斎行700年」、そして、もうひとつは「スカイツリーの開業」

「We are the Tokyo Navigator」
「行ってみないと分からない。行ったつもりになるのが一番もったいない。」
東京メトロから1円も貰ってないけど、応援しちゃうぞっ!!

三社祭の起源

2012年05月01日 | 浅草(三社祭)

推古天皇の三十六年三月十八日のこと
浅草の漁師、桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労に精を出していた
その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけだった

幾たびか像を水中に投げ捨て、何度場所を変えて網を打ってもかかるのは
不思議と人型の像だけなので、最後には兄弟も不思議に思い、その尊像を
捧持して今の駒形から上陸し、槐(えんじゅ)の切り株に安置した

そして、当時、郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り、
一見を請うたところ、土師氏は、これぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の
念心仏体であることを兄弟に告げ、諄々と功徳、おはたらきにつき説明した

兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、何となく信心をもよおした
二人の兄弟は、深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば、漁労なくしては
その日の生活にも困る者ゆえ、明日はよろしく大漁を得させしめ給え」と厚く、
厚く、祈念したそうな・・・

すると、翌十九日に再び網を浦々に打てば、願いのごとく大漁を得ることができた!
土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を
奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたという

いわゆるこれが浅草寺の起源なり・・
土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し
上記三人を神として祀ったのが三社権現社(浅草神社)の起源とされている

これによると創建は今を去る千三百五十年程の昔ということになるが、これは少々
無理のようで、平安の末期から鎌倉にかけて権現思想が流行しだした以後、三氏の
末裔が崇祖のあまり浅草発展の功労に寄与した郷土神として祀ったものであろうと
推定される

今もなお、「三社さま」として親しまれている浅草神社は、元来、三人の神様を
お祀りしたことに起源し、三人の神様の御神霊をそれぞれ神輿にお移しし、
町中を渡御するのが「三社祭」なのである