Festina Lente

ゆっくり急いでまいります

また、やられた・・・

2007年03月30日 | Blog徒然草
今夕、信号機のない狭い交差点でのこと。こちらが優先道路で一時停止の義務はないのだが、案の定狭い路地から一時停止無視をして突っ込んで来るバイク。僕は急停止の準備が出来ていたので大丈夫だったが、後ろに置いた鞄が前に吹っ飛んで来た。
止まって見ると酒臭いオヤジだ。
「あぶないじゃあないですか、一時停止無視したでしょう?それにお酒も飲んでるみたいだし・・・」
と僕が言うと、「なんだと?お前何様のつもりだ!」と居丈高に言う。
まただ。この間とそっくり。どうして田舎者のオヤジはみんなおんなじなんだ?!でも僕も仕事の途中でまた次行かなければならない。悔しい思いをしながらそのオヤジの捨て台詞を聞きながらその場をあとにしなければならなかった。
地方の飲食産業の実情については一定の理解はしているつもりだが、客が飲酒運転する、あるいは店が客に飲酒運転させるというのは全く別問題だ。
しかも田舎のオヤジは飲酒運転してもさせても罪悪感のかけらもないのだ。
夜、車で移動しながら仕事をしている者の身になって考えて欲しい。起きなくても済んだ事故の巻き添えになれば仕事に大きな影響を与える。おまんまの食いあげなんである。そいつの一時的な享楽のために、犠牲になるのはまっぴらだ。死ぬなら独りで死んで欲しい。きょうのオヤジだって、もし、僕が轢いてしまえば僕の責任になってしまう。前方不注意による業務上過失致死罪に問われるのだ。飲酒運転は皆の犠牲の上で行われている非常に罪深い行為なんである。起こらなくてよい事故を起こすことにより他人の生活に影響を与えるのだから。
ところで、刑罰には一般予防と特別予防の機能があるが、厳罰化するということは、一般予防機能、つまり、犯罪を犯したことがない人を犯罪から遠ざける機能を重視したものだ。だから、飲酒運転の厳罰化は効果がないとか、犯罪が地下に潜るとか言う議論はこの場合当たらない。一般予防機能の面から見れば、飲酒運転をしたことがない人を新たに飲酒運転させないようにする機能としては十分意味があるのである。
厳罰化は効果がないというのは飲酒運転を常習にしている奴等、罪悪感のかけらもない奴等に対してだけだ。僕は、飲酒運転を常習する奴は、他人の生命、身体、財産に対する侵害の未必的故意があるのだから、こいつらを特に厳罰に処するべきだと思う。飲酒運転で二度目につかまった奴は事故歴の有無にかかわらず免許を永久にとれなくさせてしまえばいいと思う。また、人身事故を起こした奴は死刑か無期懲役にして欲しい(きょうのようなオヤジも死刑にして欲しいと思うが)。
とにかくまた久しぶりに頭に血が上ったのでガーっと書いてしまった。ほんとに日本の、特に田舎は民度が低くて辟易する。
まあ、もって他山の石としよう。安全運転しよ。
コメント (2)
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