2時間遅れで、O野家、N村家の送別会に参加した。幹事のS野さんは、午前中から会場の場所取りをしてくださったのだとか。ううっ。頭が上がらない。
恒例の主役の一言タイム。いつも涙もろいO野夫妻が明るくこなした後、いつもはクールなWかなさんが涙の挨拶。見ていたテツも視界がちょっとぼやけた。
Wかなさんには、ご飯をご馳走していただいたり、妹を観光に連れて行ってもらったり、いろいろお世話になった。ハイキングの話や写真の話をまともに聞いてくれる、数少ない友人の一人でもあった。しかし、改めて考えてみると、ほぼ同時期にナッシュビルに来たにもかかわらず、1年以上ろくに話したことがなかった。昨年の夏休みにユタから帰ってきたとき、N村家も近々行くからということで、旅行先の話を聞いてもらったときがまともに話をした最初の機会だろう。多分そのとき同時に、Wかなさんが、H島市のJ高校の出身だという話、テツと同学年だという話を聞いた。その場は、“もしかしたら高校時代、道ですれ違ってたかもしれませんね”みたいな会話で終わったのだが、何か引っかかった。よくよく思い出してみると、小学校のときにWかなという名の同級生の女の子がいた。彼女はその後J高校に入学したと聞いた。しかし、ナッシュビルのWかなさんと、小学校の同級生のWかなさんは、どう考えても顔が違う。しかし、女の子は変わるからな~。同一人物だったらどうしよう、としばらく悩んで(?)いた。後日、ナッシュビルのWかなさんに旧姓を聞いたところ、小学校の同級生のWかなさんのものとは違っていたため、別人だということが判明し、ほっとした。この話を親にしたところ、なんと、親はまだ、小学校の同級生のWかなさんの親とたまに連絡を取っているらしい。後日、親経由で、小学校の同級生のWかなさんのコメントが入ってきた。“(ナッシュビルの)Wかなさんは、友達の友達”なんだそうだ。だから何?と言われても困る。この話に落ちはない。それにしても、中学高校時代の6年間、毎日J高校の横を通過していたのに、全く接点すらなかったWかなさんと、ナッシュビルで縁ができるとは、世界が広いのか狭いのかよく分からない。
Wかなさん、お元気で。次は日本でお会いしましょう。
N村夫妻と記念撮影。7時10分撮影。
ところで、恒例の集合写真を撮ったとき、致命的なミスを犯してしまった!
集合写真。6時26分撮影。
穴があったら入りたい・・・。
恒例の主役の一言タイム。いつも涙もろいO野夫妻が明るくこなした後、いつもはクールなWかなさんが涙の挨拶。見ていたテツも視界がちょっとぼやけた。
Wかなさんには、ご飯をご馳走していただいたり、妹を観光に連れて行ってもらったり、いろいろお世話になった。ハイキングの話や写真の話をまともに聞いてくれる、数少ない友人の一人でもあった。しかし、改めて考えてみると、ほぼ同時期にナッシュビルに来たにもかかわらず、1年以上ろくに話したことがなかった。昨年の夏休みにユタから帰ってきたとき、N村家も近々行くからということで、旅行先の話を聞いてもらったときがまともに話をした最初の機会だろう。多分そのとき同時に、Wかなさんが、H島市のJ高校の出身だという話、テツと同学年だという話を聞いた。その場は、“もしかしたら高校時代、道ですれ違ってたかもしれませんね”みたいな会話で終わったのだが、何か引っかかった。よくよく思い出してみると、小学校のときにWかなという名の同級生の女の子がいた。彼女はその後J高校に入学したと聞いた。しかし、ナッシュビルのWかなさんと、小学校の同級生のWかなさんは、どう考えても顔が違う。しかし、女の子は変わるからな~。同一人物だったらどうしよう、としばらく悩んで(?)いた。後日、ナッシュビルのWかなさんに旧姓を聞いたところ、小学校の同級生のWかなさんのものとは違っていたため、別人だということが判明し、ほっとした。この話を親にしたところ、なんと、親はまだ、小学校の同級生のWかなさんの親とたまに連絡を取っているらしい。後日、親経由で、小学校の同級生のWかなさんのコメントが入ってきた。“(ナッシュビルの)Wかなさんは、友達の友達”なんだそうだ。だから何?と言われても困る。この話に落ちはない。それにしても、中学高校時代の6年間、毎日J高校の横を通過していたのに、全く接点すらなかったWかなさんと、ナッシュビルで縁ができるとは、世界が広いのか狭いのかよく分からない。
Wかなさん、お元気で。次は日本でお会いしましょう。
N村夫妻と記念撮影。7時10分撮影。
ところで、恒例の集合写真を撮ったとき、致命的なミスを犯してしまった!
集合写真。6時26分撮影。
穴があったら入りたい・・・。
Virgin Fallsハイキングの疲労のせいだと信じてますよ。
得意のマジックでちょちょいと影消せないんですか??
こちらこそ、お世話になりました。挨拶は、、、お恥ずかしい限りでした(笑)。
ところで、↑の「もと」さんはテツさんのお友達ですか?
ちなみに、もとさんが言う「Wかな」は私です。多少自分の過去を知ってるかもしれない人がいるのかと思うと緊張します。。(笑)父はおかげさまで元気にしています。
もとさんは、私の高校の同級生です。H島つながり、結構強力ですね。
>もとさん
次に会うときは、Wかなさんについても語り合いますか・・・(笑)。
まあ、広島は狭いから何らかのつながりがあることが多いかもしれませんね。こうなったら千さんともどこかで会ったことがあったりして・・・と考えてしまいます(考えすぎか)。びっくりして書きすぎてしまいました。
このコメントをご覧になる頃はもう北海道ですね。
Nashvilleでは兄妹揃ってお世話になりまして本当にありがとうございました。オープリーで買った洋服、実は新品のニットワンピースの紐をハサミでチョキンと切ってしまって“うげっ(涙)”だったんですが、母にちくちくと縫い合わせてもらって、結局コートもワンピも冬の間大活躍してくれました。連れて行ってくださったWかなさんに大感謝です!
ご主人様には直接お会いして御礼をお伝えすることができませんでしたが、昼も夜もWかなさんにお付き合い頂いて、とても楽しい思い出になりました。こんなところ(テツ兄、失礼!)で申し訳ありませんが、ご協力くださったことに改めてお礼申し上げます。
北海道に戻られたら4人家族ですね!WかなさんのブログでBabyに会えるのを楽しみにしています♪
もとさん
前回のもとさんとのやり取りを読んだ母は、もとさんのことを存じ上げていました!それも結構いろいろと。母曰く、SD高校の優秀な人のことは耳に入ってくるのだとか。いやいや、母親の情報網はコワイですね~。
母情報によると、もとさんの叔母様は野薔薇座のK谷さんではないですか?と。母はオペラに行ったことがあるみたいです。
千は出来の悪い妹なので(笑)もとさんとの接点はなさそうですが、紙屋町・八丁堀あたりですれ違ってる可能性はありますね!
テツ兄
重要度は、構図<方角!?良い写真は心の目で見なくちゃ撮れまへん。by 千・テグジュペリ
残念ながら僕の叔母はそんなに若くはないです(60歳を優に超えています)。60を過ぎても主役をやっていましたが、もう現役を引退していると思いますよ(多分)。叔母はヴィオレッタとかを演じていました。市民オペラという他の団体のはずです。ちなみにT谷といいます。
千さんのバイオリンの先生はベト音大の人でしたか?広島には一つしか音大がなかったような。実は僕も短期間バイオリンを習っていましたよ。ものにならず数年でやめましたが。千さんとはコンサートホールなどで一緒だったかも。
しかし僕もテツさん周辺の情報を明らかにすることにかなり貢献していますね(^_^;)。テツさん苦情は直接連絡ください。
母は、またしても「市民オペラというと渡辺先生の・・・。椿姫?T谷さん?えーと・・・」
只今、記憶の糸を辿っております。。。
千とテツ兄のヴァイオリンの先生は、初めはH島交響楽団の先生(広大卒)で、信也クンの弟氏もここで一緒でした。その後、○畝先生(武蔵野大卒)に変わって、テツ兄はすごく可愛がってもらってたやんね!
ウホホ。千も喋りすぎ?苦情は受け付けておりませんので、言うてこないでくらはい。
どなたか分かりました!ホント、びっくりです!!あの頃は勉強して無くて塾の成績いつも悪かったです、、、私(笑)。お恥ずかしい。PれっぷもNがいの数学もG院やもとさんの学校、N心の方が多くて、J院(理系少ないですし)は少なかったですもんね。
私も父からもとさんご兄弟が父の所属する学部に入られたことなど当時うかがいましたよ。
今はアメリカにいらしたんですね!
実家は、母も引退して、姉がいる仙台に引っ越ししています。父は週3日で働いてます。
私は7月に出産があるので、今日から丁度仙台の実家に帰ってきたところです。早速父にもとさんのこと、話してみますねー。
>千さん
いえいえ、こちらこそご一緒させて頂けて楽しかったです!千さんと行った、オプリーのアウトレットモール、今回の洪水でしばらくは開かなさそうです。びっくりですよね。
赤ちゃんが生まれたらまたご報告します!
ありがとうございました。
>テツさん
お見送り、ありがとうございました!朝早いのに来て下さってうれしかったです。無事実家に辿り着きましたよ。
日本は、狭いです。。成田→仙台の間、電車から外を見ていましたが、ナッシュビルの緑の多い景色がもう懐かしいです。。