逆立ちができた日の記録はない。
でも、立てた日は嬉しかった。
逆立ちの練習を始めた初期のころ、岩石のように重かった。
でも、逆さになれたときは、喜びがこみ上げた記憶はしっかりと残っている。
「記憶は残る。記録は消える」といったのは、五木寛之氏だった。
上の話は、それとはニュアンスは違う。でも、なんとなくこのことばを思い出したので書いてみたかった。
さて、私が野口体操教室に通いはじめた1975年当時、野口三千三先生は60代だった。そのころは、レッスンの最後に、必ず逆立ちの時間をとっておられた。
壁を使ったいろいろな逆立ち。床で包助されながら立つ逆立ち。二人の包助者の間を行き交いながら立つ逆立ち。立っている人の背中側に寄り添って立つ逆立ち。スキップから立つ逆立ち。ひねって回転しながら立つ逆立ち。渦巻き逆立ち。エトセトラ。。。。。。
目の前で繰り広げられる逆立ちの数々に、気持ちが暗くなった。
自分には、一生、こんなに楽しそうな逆立ちは無理だろうと思えるからだった。
それまで逆立ち経験は、まったくなかった。
逆立ちは夢のまた夢。
「あんな風にできたら、さぞ気持ちいいいだろうな」
そうは感じるが、羨ましいという思う気持ちにはなれなかった。
自分にはまったく関係のない世界のように思っていた。
むしろ、なぜ、ここに迷い込んでしまったのか、という思いが強かった。つまり、できる可能性はないと暗澹たる気持ちになっていたのだ。
細かな経緯は、いずれ書くとして、そうした私が、まっすぐな逆立ちができるようになったのだから不思議だし、夢が実現すると夢でなくなる。
はじめはやっぱり重かった。だんだんに軽くなっていったと思う。
野口先生の包助は、上へ引き上げてくれたのだと思う。
その上がっていく感じがつかめてきたら、「上下方向」「鉛直方向」を教えてくれるだけに変わっていった。
拘束しない。
でも、タイミングよく方向を教えてくれる。
「こっちだよ。上の方向は…」
促されるままについていくと、まっすぐ逆さまになれるのだった。
野口先生の逆立ちの指導は、人生の極意だろう、と今でも思う。
●束縛しない。
でも、危険は避けるように仕向けてくれる。
●主張はする。
でも、その意見を受け入れるか受け入れないかは、相手に任せる。
●逆立ちは、恐かった。
でも、恐さをごまかさない大切さを教えられた。
ふわっと腰の中身が浮き上がったときの気持ちよさは、格別だ。
ふんわりと足が僅かな左右時間差で、柔らかく放り上げられたときの気持ちよさは、えもいわれぬ。
自分の体重が消えてしまうような軽さを味わっている。
浮遊感というと誤解があるかもしれないが、あえて「浮遊感」といいたい。
でも、立てた日は嬉しかった。
逆立ちの練習を始めた初期のころ、岩石のように重かった。
でも、逆さになれたときは、喜びがこみ上げた記憶はしっかりと残っている。
「記憶は残る。記録は消える」といったのは、五木寛之氏だった。
上の話は、それとはニュアンスは違う。でも、なんとなくこのことばを思い出したので書いてみたかった。
さて、私が野口体操教室に通いはじめた1975年当時、野口三千三先生は60代だった。そのころは、レッスンの最後に、必ず逆立ちの時間をとっておられた。
壁を使ったいろいろな逆立ち。床で包助されながら立つ逆立ち。二人の包助者の間を行き交いながら立つ逆立ち。立っている人の背中側に寄り添って立つ逆立ち。スキップから立つ逆立ち。ひねって回転しながら立つ逆立ち。渦巻き逆立ち。エトセトラ。。。。。。
目の前で繰り広げられる逆立ちの数々に、気持ちが暗くなった。
自分には、一生、こんなに楽しそうな逆立ちは無理だろうと思えるからだった。
それまで逆立ち経験は、まったくなかった。
逆立ちは夢のまた夢。
「あんな風にできたら、さぞ気持ちいいいだろうな」
そうは感じるが、羨ましいという思う気持ちにはなれなかった。
自分にはまったく関係のない世界のように思っていた。
むしろ、なぜ、ここに迷い込んでしまったのか、という思いが強かった。つまり、できる可能性はないと暗澹たる気持ちになっていたのだ。
細かな経緯は、いずれ書くとして、そうした私が、まっすぐな逆立ちができるようになったのだから不思議だし、夢が実現すると夢でなくなる。
はじめはやっぱり重かった。だんだんに軽くなっていったと思う。
野口先生の包助は、上へ引き上げてくれたのだと思う。
その上がっていく感じがつかめてきたら、「上下方向」「鉛直方向」を教えてくれるだけに変わっていった。
拘束しない。
でも、タイミングよく方向を教えてくれる。
「こっちだよ。上の方向は…」
促されるままについていくと、まっすぐ逆さまになれるのだった。
野口先生の逆立ちの指導は、人生の極意だろう、と今でも思う。
●束縛しない。
でも、危険は避けるように仕向けてくれる。
●主張はする。
でも、その意見を受け入れるか受け入れないかは、相手に任せる。
●逆立ちは、恐かった。
でも、恐さをごまかさない大切さを教えられた。
ふわっと腰の中身が浮き上がったときの気持ちよさは、格別だ。
ふんわりと足が僅かな左右時間差で、柔らかく放り上げられたときの気持ちよさは、えもいわれぬ。
自分の体重が消えてしまうような軽さを味わっている。
浮遊感というと誤解があるかもしれないが、あえて「浮遊感」といいたい。