羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

錦繍人と桜人

2005年11月26日 10時57分23秒 | Weblog
 「花人」とか「桜人」という呼び方がある。
 今でも「花」といえば桜のことで、両方とも「桜を愛でる人」という意味である。
 「春の宮人」という呼び方もある。「春の宮」とは皇太子のことで、東宮に仕える人を「春の宮人」と呼ぶ。
 
 「○○人」という言い方は、逆引き広辞苑を引くと、164あった。そのなかで、「紅葉人」という言葉は見つからなかった。「紅葉狩り」といって、紅葉の山々に散策する風流を日本人は好んだのに。

 紅葉をさして「錦繍」といういい方もある。じゃ「錦繍人」もあってもよさそうだが、これもない。
 「錦繍」というのは、以前、読んだ宮本輝の小説の題名でもある。
 この季節になると小説とともに「錦繍」という文字が、脳裏に浮かぶ。そして、なんとなく心がそわそわする日がある。
 冬に向かう短い季節に、山が燃えるからか。
 平地の銀杏は、舗道を黄色に染めて、欅もまた寒さが増すと色濃くなって、都会の青い空に向かって、華やかな色のソナタを奏でるからだろうか。

 我が家でも、季節はめぐってくる。
 このところ父が残した盆栽の欅も色を増した。
 父が亡くなったのは、三年前の12月だった。
 その年、9月くらいから病状が悪化し、入退院を繰り返していた。
 在宅のベットに横たわっている父に
「お父さん、こんなに黄色くなりましたよ」
 欅の盆栽を持っていった。
 ところが、春夏秋冬のおりおりに、楽しんでいた父なのに、欅の盆栽にまったく関心を示さなかった。
 そのとき、私は、父の間近な死を悟った。
 父は、息をすることだけでも、精一杯だった。

 今年も、欅の盆栽は黄色から茶色に近い色づきを見せ始めた。
 散る前のひと時、常緑樹に混ざって、花梨や楡欅や欅や紅葉が、華やかな色を見せてくれる。
 朝の水遣りのあと、今は朝日を受けて、一層に艶やかさを増している。

 今年も、ふと、思う。
 そして揺れる。。~。。~この「錦繍」の季節に~。。。。。

 ~あの小説に心震えた30代、まだ 私は 「桜人」だった~。。。。。。
コメント (1)
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