「ノートル・ダムの立ち姿」―と題して、日経新聞に作家の高橋たか子さんが、森有正のことを書かれていた。
このエッセーの中でも触れているが、「バビロンの流れのほとりで」というエッセーを、哲学者・森有正は残している。
父の墓に詣でて、彼は、異国・フランスに渡り、そこで客死する。
彼の父は森有礼。漢字+平仮名表記をやめてローマ字にすべし、とまで考えた急進的な欧化主義者だった。薩摩藩出身の政治家として、教育制度改革を図ったが、その性急さゆえに、暗殺される運命にあった。
その息子・有正は、ノートル・ダム大聖堂に向き合ったアパルトマンに暮らしていたという。
哲学者にしてパイプオルガンの名手でもあった。森が演奏するバッハを聴いたことがある。鬼気せまるどろどろとしたバッハだった。日本人離れした感性、知性、論理性は、故国をすて異国で生きるエトランジェとしての運命をはじめから背負うことと引き換えだったかのように思える。
彼が翻訳したフランス・リセの教科書がある。真っ白い表紙に『哲学講義』と書かれただけのシンプルな装丁が、いかにもフランスを感じさせてくれた。この3巻の教科書は、内容をどのくらい理解したかは別として、私の愛読書だった。「哲学」が残っていた1970年代である。私は、20代前半だった。
フランス語の語源をラテン・ギリシャに遡り、言葉の意味を深める作業をしつこく行いながら、哲学していく。どちらかといえば、「感性の哲学」への姿勢が、教科書には反映されていたように記憶している。
高橋さんは書いている。
「その時その時の、光の具合や熱や風や、いろいろの気象条件で、この大聖堂の色合いが違ってくるのだろう」
森の目には、一度として同じ姿のノートル・ダムは映らなかったという。
日本よりはやく晩秋から冬に突入するパリ。
今年、フランスは燃えた。パリも危うく燃えるところだった。
異国の民がパリに暮らす。壮絶な闘いを見続ける大聖堂を、この目で見たいものだ。
しかし……しかし。。。。。今の私に……フランスはあまりに遠い。
このエッセーの中でも触れているが、「バビロンの流れのほとりで」というエッセーを、哲学者・森有正は残している。
父の墓に詣でて、彼は、異国・フランスに渡り、そこで客死する。
彼の父は森有礼。漢字+平仮名表記をやめてローマ字にすべし、とまで考えた急進的な欧化主義者だった。薩摩藩出身の政治家として、教育制度改革を図ったが、その性急さゆえに、暗殺される運命にあった。
その息子・有正は、ノートル・ダム大聖堂に向き合ったアパルトマンに暮らしていたという。
哲学者にしてパイプオルガンの名手でもあった。森が演奏するバッハを聴いたことがある。鬼気せまるどろどろとしたバッハだった。日本人離れした感性、知性、論理性は、故国をすて異国で生きるエトランジェとしての運命をはじめから背負うことと引き換えだったかのように思える。
彼が翻訳したフランス・リセの教科書がある。真っ白い表紙に『哲学講義』と書かれただけのシンプルな装丁が、いかにもフランスを感じさせてくれた。この3巻の教科書は、内容をどのくらい理解したかは別として、私の愛読書だった。「哲学」が残っていた1970年代である。私は、20代前半だった。
フランス語の語源をラテン・ギリシャに遡り、言葉の意味を深める作業をしつこく行いながら、哲学していく。どちらかといえば、「感性の哲学」への姿勢が、教科書には反映されていたように記憶している。
高橋さんは書いている。
「その時その時の、光の具合や熱や風や、いろいろの気象条件で、この大聖堂の色合いが違ってくるのだろう」
森の目には、一度として同じ姿のノートル・ダムは映らなかったという。
日本よりはやく晩秋から冬に突入するパリ。
今年、フランスは燃えた。パリも危うく燃えるところだった。
異国の民がパリに暮らす。壮絶な闘いを見続ける大聖堂を、この目で見たいものだ。
しかし……しかし。。。。。今の私に……フランスはあまりに遠い。