羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

究極の化粧

2007年03月08日 19時44分05秒 | Weblog
 日曜日隔週『THE NIKKEI MAGAZINE』が、新聞と一緒に配達される。
 このマガジンは、興味深い特集が組まれていることが多い。
 最初に心して読むようになったのは、民俗学者・吉野裕子さんの記事を見つけたときからだった。
 
 ごく最近は、3月8日号・特集「祝う」だった。
 そのなかにー復元「江戸の化粧」今に伝わるメッセージーというのがあった。
 それによれば化粧の大衆化は江戸期のころだそうだ。
 
 太平の世が訪れ、化粧が上流階級から庶民に広がった。
 それが江戸の中期・後期に当たるという。
「容顔美艶考」という記録に、当世風に言えば「ハレの日のメーク法」が載っている。
 ここに紹介されている化粧は、名称だけでも艶やかなほんのりとした雰囲気が伝わる。
 
「ふなゆさんのけはひ」は、舟遊山のためのメーク心得といったところ。
「花見ゆさんのけはひ」は、花見遊山のためのメーク心得といったところ。
「能芝居見物のけはひ」は、勧進能のためのメーク心得といったところ。
「嫁御寮のけはひ」は、嫁入りのためのメーク心得といったところ。
 読んでみると、「微に入り細にいる」説明がなされている。
 
 さらに、「身分制が敷かれ、人々の交流が今ほど活発でなかった当時は、外見は属性や階級を示す重要な情報だった」とある。「ハレの日のメーク」は、自分勝手に祝ったのではなく、他者の感情までも視野に入れたものだという。
 そこで、不快感を与えぬ技が、不可欠になったとか。
 自分では決して見えない鼻の穴や耳の穴まで気をつける。
 
 そこで思い出したことがある。
 野口三千三先生は、ものすごくいい「鼻毛用の毛抜き」をお持ちだった。記憶に間違いがなければ、日本橋人形町の方に注→「はなげや」というような屋号の毛抜き専門店があって、そこから手に入れたとおっしゃっていたような……。江戸時代からの老舗だそうだ。
「女性の襟足も毛抜きで抜いて、綺麗に見せたそうだ」
 野口先生から伺ったことがある。
 
 で、野口先生が、毛抜きに凝るようになったわけを話してくださった。
 何でも戦時中、髭剃りをする際に、刃物や石鹸や泡だてるブラシを持ち歩くのが大変で、毛抜きで抜き始めたそうだ。あまり髭は濃い方ではなかったという。戦後になっても、同じように毛抜きで抜いておられた。そこでいい毛抜きを見つけたそうだ。それが愛用の毛抜きだった。
 
 先生が病院に入院する時は、この毛抜き+手作りの爪切り+ご自分の耳の穴にあわせた耳掻きを必ず持っていかれた。
 手作りの爪切りは、大工道具も扱う金物屋で、求めるもの。犬の爪切りのようなもので、似たような爪切りでも切り心地がまったく違うもの。
 耳掻きは巣鴨の地蔵通りにある専門店のもの。

 こうしてみると究極の化粧は、穴にありそうだ。
 爪を綺麗に切って研ぐことに加えて、鼻毛を抜く。耳垢を取り除く。口腔内は歯をよく磨き舌苔をとる。トイレの後にはお湯で洗い流す。エトセトラ。

 話がずいぶんと遠くに来てしまった。
 この復元「江戸化粧」を読み写真をながめながら、あれこれ思い出してしまった。 
 最後は綺麗にまとめよう。

  京の紅は君にふさわず わが噛みし小指の血をばいざ口にせよ
                 
                  与謝野鉄幹  鉄幹子より

注:これをお読みになった方は、コメントをクリックしてください。
  「はなげや」ではなく「うぶげや」でした。
  HPにリンクできるようにしてくださいました。(3月10日記)
 
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする