羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

春の足音

2007年03月16日 19時04分09秒 | Weblog
 天気予報で、今朝は雪が舞うといわれていたので、なかば心配しながら目が覚めた。朝の4時半に起き上がって、外を見ると雨も雪も降っていなかった。
 9時過ぎになってぱらっと、白い粉が降ってきたが、これを観測史上いちばん遅い初雪というには、あまりにも無理がある。

 昨日、植え替えた植物の様子を見て、玄関に一部を取り込もうかとも考えた。しかし、たった一日しかたっていないのに、芽吹きがはじまったり、芽がいっそう膨らんだり、新芽がはやくも開きかかかっていて緑が鮮やかになったりしていたので、植え替えて土からの栄養がもたらされたのだろうと安堵した。それに水あげもうまくいっているようで、植物の生命力は、たいしたものだと感心した。
 夜は玄関先にだしたまま戸締りをした。

 今朝になってみると、もみじは赤い新芽をしっかりひらき、花梨は花芽が桃色に色づいている。とっても嬉しい。
 午後になって少し気温が上がってきたので、今日は柘植・くちなし・初雪蔓などの植え替えをしてしまった。
 あとは松と真柏のみを残すところとなった。
 この植え替えの楽しみの一つは、鉢選びである。昨年、二鉢のしゃれた鉢に杉を植えた。抜き出してみると、かなりしっかりした根が巻いていた。しかし、今年は深い鉢に植え替えて、少し楽をさせてあげようと思った。
 根の状態を中心に、木の元気さ加減や疲れ具合や自然の老いを見ながら、今年の鉢を決めていく。全体に今年は安全を選んだ。植え替え時期も昨年よりは早いし、3月になってから寒いこともあってそうした鉢を選んでみた。

 こんなに寒くなっても、春は春。
 そういえば幼いころ、多摩川近くに住んでいた母方の祖母の家にお泊りしたときのことを思い出した。祖母に見てももらいながら草摘みをし、家に帰って草団子をつくり、あらかじめ煮てあった小豆の餡をからませて「草団子」を作ったときの匂い。一緒に摘んできた土筆は佃煮にしてもらって食べてみると、苦味が舌の上に広がって、「これが春の味なのね」などと、生意気なことをいって大人たちを笑わせてしまったこと。
 
 草の匂いや感触、土筆の姿かたちのかわいらしさ等々、春の植え替えで思い出された。
 きっと土に触れ、鉢から引き抜いたときの根っ子の匂いが、50年以上も昔の感覚を呼び覚ましてくれたのだろう。

 今朝、道路を掃くついでに、隣家に植えられている淡紅色の花を咲かせる海棠(カイドウ)の蕾を見た。ふっくらとして色づき、咲き始めるのも間近いことに気づかされた

 春の足音が聞こえるこのごろ……。
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携帯小説家誕生か!

2007年03月15日 16時37分55秒 | Weblog
 先日、朝日カルチャーセンターの講師控え室で、身体系のある宗匠と話をする機会があった。
「もう、パソコンを止めようと思うのよ。だって、これで充分だもの」
 おもむろに携帯を取り出し、見せてくださった。
「ほらね」
 なんとキーボードが出てきた。
 よく見ると画面は大きい。

 仰せのとおり携帯で充分なのである。
 これからパソコンを使う人はもっと減るだろうと予測していた矢先のこと。
 
 ブログ「野口体操・身体感覚をひらく」も、携帯ほうが、手に持って立ったまま見られるので、動くこともできていいという話を伺ったこともあるしね~。
 電車の中や、寝床の中でも大丈夫というわけだ。
 携帯は非常に明るいので、部屋の電気を消したままでも見たり読んだりするが出来る。優れものなのだ。
 その上、携帯で電車にも地下鉄にもバスにも乗れて、買い物も出来れば、食事も出来る時代になってしまった。
 インターネットで、その用途は限りない広がりを見せている。

 あんなに便利だった「ファックス」ですら、最近はほとんど使うことが少なくなった。今はウインドウズだが、最初のパソコンは、Macだった。相手が少ないうちから、電話回線でインターネットをつなぎメールをつかっていた。記憶に間違いがなければ、ファックスをパソコン直で送ったような気もしている。もしかすると「ISDN」になってからかもしれない。しかし、これは優れた機種だった。インターネットでメールしながら電話が出来て、さらに同じ回線でもう一本・電話があったから。でも、この命は短かった。
 「ADSL」に変わったときには、再びアナログ回線にもどした。それで、ファックス送信も止めてしまった。そのころから、ファックス使用回数が減った。連絡がほとんどメールに取って代わられた。原稿もメール入稿が一段と加速した。
 一昨年とうとう「光」になった。
 
 考えてみれば、原稿を送ったり印字するには、パソコンがいいとしても「ケイタイ」使用回数が増えるのは時間の問題かもしれない。
 今のところ、ブログ「野口体操・身体感覚をひらく」が一段落したら、電源は切られたまま、ほとんど使うことはないのだが。

 実は、つい先ほど若い友人と電話で話をしていて、今日のブログを書いている。 話題は「ケイタイ」が中心だったから。
 彼女は、私のブログの読者の一人なのだ。最初はパソコンで読んでおられた。しかし、最近ではもっぱら携帯で読むようになったとか。
「それって、きっと、パソコンよりももっとパーソナルなのよね」
「そうだと思います」
 寝床や電車のなかで、ブログを読むのが日課になっているという。

 若い友人と話しているうちに、口が滑ってしまった。
「私も携帯で小説を書こうかな!」
「ペンネームで出版までされたら、いいかも」
「携帯小説家を目指そうかな」
 危ない・危ない、乗せられてしまいそうだ。

 まずは、携帯で小説を読んでみないと、話ははじまらない?
 ふ・ふ・ふ~ぅッ……。
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盆栽の植え替え

2007年03月14日 19時13分26秒 | Weblog
 今日から盆栽の植え替えをはじめた。
 大胆に枝をおろすこもなく、ただ植え替えをするだけで生きてくれるものを育てているだけだ。
 それでも父が亡くなってから4年以上、枯らした木はまだ一本もない。
 昨年は植え替えた後に栄養剤を土に埋めた。しかし、ねずみが出てきたので、それはとってしまった。結局、土と水と太陽と風だけで育てている。

 たとえば土だって凝ったものを工夫すれば、色艶がよくなるとわかってはいるが、凝りだすと切りがないので、とにかく延命だけを心がけている。
 植え替えをすると根の状態がわかって、その木の寿命が見える。たった一年で根がしっかり張ってくるもの、巻いてくるものは、まだまだ大丈夫。木によってはわずかな根しかないものもある。それでも葉を茂らせ、秋になれば紅葉もする。
 ほとんどの欅は水もよく吸い上げるし、根の巻き具合もいい。たった一本だけ弱いものがある。これは形が気に入っていて、大切にしている。
 
 もみじと花梨は、今年も根の張り具合はしっかりしている。鉢の真下に着いている穴から根が外まで伸びだしている。元気だ。
 昨年は台風ですこし大きくなりかかった花梨の実が落ちてしまった。今年は、花芽が少ないので、実は望めないかもしれない。

 そんなこんなで、今日は、十数鉢の植え替えを終えた。
 あと3日くらいはかかりそうだ。問題は松と真柏の土と砂の調合だ。割合が難しい。でも、今年は何とかしなければならない。ちょっと頭が痛い。

 植え替えで困るのは、手が荒れること。ゴム手袋をしてやるのでは、感触がつかめない。素手でないと具合が悪い。しょうがないと諦めて、毎年、素手のままやっている。

 ところで、すでに新芽が出ているものもあって、今年の冬は異常に暖かかったことを改めて実感している。
 土を売ってくれる店の奥さんがいった。
「今週末は寒が戻るとか、ちらちらと小雪が舞うというような予報が出てますわよ」
 こればかりはお任せしかない。信じるしかない。
「植物はおもったよりも強い」と。

 それでも土が軟らかいので、今夜は玄関先の軒下に避難させた。
 強い風が吹かないことを、祈っている。
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濁音と鼻濁音

2007年03月13日 19時14分18秒 | Weblog
 やまと言葉には濁音はないと言われている。
「そんなことはない」
 そうおっしゃったのは、野口三千三先生だ。
 確かに現代の和歌は別として、古典和歌では濁音はない。
 しかし、人間の言葉、とりわけオノマトペに濁音がないはずはない。
 このことが一つ。

 次に鼻濁音について。
 亡くなった木下順二さんは、鼻濁音にうるさかった。
 がぎぐげご ざじずぜぞ だぢづでど ばびぶべぼ 
 これらの音は、みな鼻濁音でしなければならない。ドイツ語のウムラウトとフランス語の鼻音を混ぜ合わせたような音といっても、ちょっと違う。日本語の「鼻濁音」は、特殊だ。
 俳優やアナウンサーやキャスターは、この訓練をしっかり受けることになる。

 ここでも野口先生は異議申し立てをしておられた。
「僕が生まれた群馬では、鼻濁音なんてなかった。‘がぎぐげご’は角張った‘ガギグゲゴ’なんだ」

 なぜ濁音・鼻濁音について書いているのかというと、「はなげや」と「うぶけや」のコメントだった。おそらくこれは、発音するときには「うぶげや」で、この場合の「げ」の音はもちろん鼻濁音である。「はなげ」も「はなけ」であるだろう。しかし、実際の発音の音は、「げ」は鼻濁音で「はなげ」だと思う。

 つまり日本語で「清音」の表記であっても、自然に鼻濁音で発音される方が楽なことがある。たとえば私の苗字だが「羽鳥」は「はとり」だが、「はどり」と濁音になる方がおられる。栃木出身のピアノ先生は、「はどりさん」だった。その先生はものすごく早口だった。早口で「はとり、はとり、はとり、……」と繰り返すと、だんだん鼻濁音に近くなる。「はどり」の「ど」を鼻濁音で発音すると早口の時には言いやすい。

 「産毛」も「うぶけ」というのは発音しにくい。つまり「うぶげ」で鼻濁音で発音する方がいいやすかった。
 ということで実際の「うぶけや」さんは、私の場合「うぶげや」で「げ」は鼻濁音で発音していたことに気づいた。東京は鼻濁音がある地方。しかし、表記は清音で書く。ところがパソコンにローマ字うちをするときには、相当意識しないと間違うことになる。パソコンで文章を綴るときは、音声言語で打ってしまっていることに気づかされた。手書きの場合はまったく違う。これから気をつけよう。
 
 読者の方はいかがだろうか。鼻濁音のある地方で育った方。ない地方で育った方。コメントいただけません?

 それにしても一度「うぶけや」さんを訪ねてうかがってみたい。
 撫明亭のご主人、しつこくてすいません。ご指摘、ありがとうございます。

 ちなみにフランス人が、「Hatori」と文字を見ながら呼ぶとき「あとりさん」になってしまう。
 ピアノのテクニックの本に「ハノン」がある。フランスではもちろん「アノン」なのだ。「H(アッシュ)」の音を隠してしまうから。

 「うぶけや」さんのことで、思いがけず、野口先生の「清音」「濁音」「鼻濁音」、表記と実際の発音についての面倒な話を思い出した。 
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「御茶の水」 「御茶ノ水」 「お茶の水」

2007年03月12日 13時53分41秒 | Weblog
 父が「膠原病・全身性エリテマトーデス」や、後に癌を発症して通っていた病院は、御茶の水にある大学病院だった。
 「抗癌剤治療」を受けるようになって、はじめの1・2回は電車で通うことも出来たが、後はタクシーを使うようになった。御茶ノ水駅の階段を上り下りすることが辛くなったからだ。
 非常に早い時期に出来た御茶ノ水のホームの幅は狭い。そしてなにより階段が高い。しかし、この駅のホームは、未だに自然には恵まれているが、地理的条件からエスカレーターもエレベーターも設置しにくいのだろう。

 最近、大学病院の先生が、署名集めをなさったと聞いた。御茶ノ水駅の周辺だけでもいくつもの大学病院があって、そこに通う患者さんのために、エスカレーター・エレベーター設置を望む声を受けての嘆願だそうだ。
 階段を降りているときに、後ろから慌てて電車に飛び乗ろうとする人に押されそうになった経験がある。一回ではない。病人に付き添ってたびたび怖い思いをしたことがある。

 今日の写真は『原子力文化』3月号「江戸のホモ・サピエンス 第六回 江戸の鳥たち(二)」に、掲載されていた「江戸名所絵図」より「お茶の水 水道橋 神田上水懸樋」の絵図。
 見えにくいので説明書きを写すと、左の樹木そばに富士山、その上をホトトギスが飛ぶ姿が描かれている。江戸時代には、神田川のお茶の水付近は、ホトトギスを聴く名所になっていたそうだ。正面を横切っているのが神田上水の懸桶(うけとひ)と書かれているから、水を送るためにかけわたした管だろうか。
 下にはホトトギスの声を聞きに来た船上の人々が眺めている姿が描かれている。
 富士山が見えるのもホトトギスが描かれているのも驚きだ。

 時代はくだって私が子供のころ・昭和20年代後半から30年代初めの記憶だが、ポンポン蒸気と呼ばれる舟が行きかっていた。そしてそこに暮らす人々がいた。なかには子供の姿さえ見られたのだ。

 今では神田上水も綺麗になった。鬱蒼と茂る樹木は、ますます大きく太くなった。
 そして春には川面が桜色に染まる。市谷あたりから流れてくる花びらがお茶の水付近になると量が増えて波打ち流れるからだ。父が入院しているときなど、病室から花びらの流れを見ると、一時心が安らいだものだった。
 今では川に暮らす人々の姿はない。

 さて、お気づきと思うが「おちゃのみず」の表記のこと。
 駅名は「御茶ノ水」で「ノ」になる。
 ひらがなの「の」になる「御茶の水」は、千代田区神田駿河台から文京区湯島にわたる地区の通称。江戸時代、この辺の断崖から湧き出た水を将軍のお茶用としたことから名付けられたという。
 ちなみに、東京女子師範学校から始まり、異称「東京女高師(ジョコウシ)」、後の「お茶の水女子大学」は、「お茶の水」、「お」「の」とひらがなで書かれる。

 私自身この表記の違いがはっきりしたのは、お恥ずかしい話だが、2003年・岩波アクティブ新書『野口体操入門ーからだからのメッセージ』のゲラ校正をした時だった。岩波書店の校閲者からの指摘で知った。

 父が亡くなって4年と3ヶ月、。
『原子力文化』3月号にあった「江戸名所絵図」を見ながら、父に付き添って10年以上も通った御茶の水界隈を懐かしく思い出した。
 
 今年の花の季節は、もうすぐそこまでやって来ている。
 
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マグネット・ネックレース

2007年03月11日 18時43分38秒 | Weblog
 先週末、マグネット・ネックレースが郵送された。
 贈り主は、文京区白山「鉱物標本開発」の浅田純一さんだ。
 ちなみに、浅田さんの標本の特徴は、結晶の形がよく透明で美しい色のものを集めておられることだ。
 で、浅田さんとは、野口先生のご存命中よりも、亡くなってから親しくお付き合いをさせていただいている。
 今年20回を迎える「東京国際ミネラルフェア」が取り持つ縁だ。

 十数年以上も前、このフェア会場で起こったことが発端である。
 毎年6月に開催されるフェア期間中、野口先生は会場には毎日通われる。
 100社以上の外国の業者と5・60社の日本の業者が、所狭しと並べる鉱物・化石・隕石といった「石」を目の前にすると、野口先生でなくても気持ちが踊る。
 あっという間に1時間過ぎ、2時間過ぎ、半日は過ぎてしまう。
 ここは見てまわるだけでも楽しい。
 先生は、毎年、毎年、フェアには足を運んでおられた。第一回目から欠かさず1997年のフェアが最後となった。
 そしてこのフェアの顧問を、いつの間にか引き受けられた野口先生だった。

 野口先生が亡くなった年のある日、小さな小包が私の手元に届いた。
 あけると手紙と石が出てきた。
 野口先生は、ミネラルフェアで、あまり夢中になったために、石を床に落としても気がつかなかった。それが十数年前のことだった。
 そのブースは、浅田さんの鉱物標本開発だったのだ。
 先生が気づかずにそこを立ち去った翌日、「野口三千三先生落下の石」と書かれたカードと割れた石があることを、野口体操の受講生から知った。先生は、慌ててそのブースに出かけていらした。
「申し訳ない。これを譲ってください」
「いやいや、それは出来ません。記念ですから、皆さんの注意を促すためにこのまま飾らせてもらいます」
「でも、そこを何とか」
「だめです」

 そんなやり取りがあって、結局先生は、毎年、そのブースに飾られる「顧問・野口三千三先生落下の石」と対面することになった。
 いつからかそのブースから石は消えていたのだが。

 それがきっかけで、野口先生は主人の浅田さんと仲良くなられた。
 記念すべき「野口三千三先生落下の石」と一緒に、最後に先生と交わした約束を手紙に書いて、私に贈ってくださったのだった。
「羽鳥さんが大事にこの石を持っていてください」

 手紙を読み終えるころには、文字は涙でかすんでしまった。
 浅田さんの気持ちが嬉しかった。

 そのことがご縁となって、今でも電話で元気をもらったり、フェアでは必ずお目にかかって旧交をあたためている。
 この写真は、フェアに備えてアメリカに買い付け行った際、見つけてきたというマグネットのネックレースを贈ってくださったもの。
 留め金がない。磁石でくっついてくれる。自由に形を変えることが出来る。ブレスレットにも髪留めにもなる。

 前向きなエネルギーをあなたに! っていう感じかな。
 ストーン・パワーは、信じない方だが、石を愛する人との関係ではパワーをいただいている。

 野口三千三先生に出会わなかったら、石の世界を知ることはなかった。
 何が大事って、出会いですね。何が大事って、縁ですね。何が大事って素敵な関係を続けることですね。

 石がくれたご縁は、実に、これだけではない。
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耐震構造

2007年03月10日 08時12分10秒 | Weblog
 耐震強度(構造)偽装問題が発覚して、自分が住んでいるマンションは大丈夫かという不安にかられた人は多い。
 昨晩、大学の打ち合わせ会から帰宅して、夜のニュースを見ていたら、大地震の際、震源地から相当離れたところにある「高層ビルの揺れ実験」の映像が流されていた。
 ものすごい。
 心臓の弱い人は、家具の下敷きにならなくても、揺れがおさまるのを待つ時間だけでも、ショック状態に陥るのではないかと思えた。
 揚げ物でもしていたら、もっと恐ろしい。
 ドアが開かなくなったらどうしようなどと、あれこれ次々に状況が目に浮かんで怖くなった。
 我が家は木造の古い家が多い地域だから、火がでたらお終いだ。

 丁度、打ち合わせ会の後の親睦会場は、100年くらいたっている第一食堂で行われた。この建物は、イギリスの修道院食堂のつくりになっている。雰囲気は、抜群! しかし、高い天井近くにある窓ガラスにしても、スペアはどうなっているのかと気にかかる。

 最近、この古い食堂を耐震構造にしたそうだ。後ろに新しいコンクリートづくりの建物を併設して、そこから古い食堂の建物を吊り上げているというか、吊り下げているというか、レンガはがれてもつぶれない構造にしたそうだ。
 説明したのが文学部の教授だったので、ご本人もうまく説明が出来ないとおっしゃりながら「とにかく耐震構造にすることで、文化財としての建物を残そうとしているわけです」と結んだ。

 いやはや都会の雑踏に、記念すべき古い建築物を残すには、相当な知恵と技術と資金が求められる。その上で、建物は使われ続けることが大事なのだ。
 幸いにもこの立教の建物は、日本近代建築群なのだが、今でも使用されながら残っている。そして非常に綺麗に使われている。
 しかし、維持する方々の日々の努力を見ていると「涙ぐましい」の一語に尽きる。
 いつかは来るとしても、地震はいやだなぁ~。
 今度の都知事選では、防災対策・危機管理に強そうな人を選びたいと、ニュースを見ながら心を決めた。

 さて、話変わって、一昨日のブログ「究極の化粧」で書いた「はなげや」は、「うぶげや」でした。撫明亭のご主人からのコメントをクリックしてください。
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パスワード

2007年03月09日 13時44分31秒 | Weblog
 自慢じゃないですが、といいつつ自慢してるんですが、私、実は、パスワードつくりの名人なんです。(なんちゃって!)
 
 今週は、あるグループのメーリングリストをつくったので、インターネット関係のパスワードが一つ増えてしまった。ブログも2つあるし、合計6つくらいのパスワードを持っている。
 
 そのほかに区役所関係が二つ。銀行は、インターネット関係の引き落とし専門の口座も作ったので、2つ3つあるかな。
 そのほかアマゾンがあるし、親の代から引き継いだ貸し金庫もあるし、生きていると数ばかり増えていく。パスワードを覚える脳の容量はとっくに超えている。

 そのなかでも傑作だと思うのは、平成15年ある月、日経平均の株価が4桁のころつくったパスワードだ。その日の日経平均の数字を並べた。頭と尻尾の数字は覚えているのだが、真ん中が記憶から抜け落ちてしまった。なんとなくこれだったかな程度の記憶しかない。傑作というのは、数字としては美しいが、必ずしも役立つわけではないのだ。
 しかし、それが副産物となっていることもある。平成15年の株価の記憶があって、そこを基準に景気の動向などが書かれている新聞記事が読める。結構便利な数字基準になった。

 とにかく銀行やインターネットは関係は、ときどき変更しているので、エラーを出す回数が増えてしまった。
 いえることは記憶に残りにくいほどの名作パスワードは、避けたほうが無難だ。

 しかし、きちんと整理して記録しておくわけにもいかないから、これからどうしたらいいのだろう。皆さんは、どこにしまって置かれるのかしら?
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究極の化粧

2007年03月08日 19時44分05秒 | Weblog
 日曜日隔週『THE NIKKEI MAGAZINE』が、新聞と一緒に配達される。
 このマガジンは、興味深い特集が組まれていることが多い。
 最初に心して読むようになったのは、民俗学者・吉野裕子さんの記事を見つけたときからだった。
 
 ごく最近は、3月8日号・特集「祝う」だった。
 そのなかにー復元「江戸の化粧」今に伝わるメッセージーというのがあった。
 それによれば化粧の大衆化は江戸期のころだそうだ。
 
 太平の世が訪れ、化粧が上流階級から庶民に広がった。
 それが江戸の中期・後期に当たるという。
「容顔美艶考」という記録に、当世風に言えば「ハレの日のメーク法」が載っている。
 ここに紹介されている化粧は、名称だけでも艶やかなほんのりとした雰囲気が伝わる。
 
「ふなゆさんのけはひ」は、舟遊山のためのメーク心得といったところ。
「花見ゆさんのけはひ」は、花見遊山のためのメーク心得といったところ。
「能芝居見物のけはひ」は、勧進能のためのメーク心得といったところ。
「嫁御寮のけはひ」は、嫁入りのためのメーク心得といったところ。
 読んでみると、「微に入り細にいる」説明がなされている。
 
 さらに、「身分制が敷かれ、人々の交流が今ほど活発でなかった当時は、外見は属性や階級を示す重要な情報だった」とある。「ハレの日のメーク」は、自分勝手に祝ったのではなく、他者の感情までも視野に入れたものだという。
 そこで、不快感を与えぬ技が、不可欠になったとか。
 自分では決して見えない鼻の穴や耳の穴まで気をつける。
 
 そこで思い出したことがある。
 野口三千三先生は、ものすごくいい「鼻毛用の毛抜き」をお持ちだった。記憶に間違いがなければ、日本橋人形町の方に注→「はなげや」というような屋号の毛抜き専門店があって、そこから手に入れたとおっしゃっていたような……。江戸時代からの老舗だそうだ。
「女性の襟足も毛抜きで抜いて、綺麗に見せたそうだ」
 野口先生から伺ったことがある。
 
 で、野口先生が、毛抜きに凝るようになったわけを話してくださった。
 何でも戦時中、髭剃りをする際に、刃物や石鹸や泡だてるブラシを持ち歩くのが大変で、毛抜きで抜き始めたそうだ。あまり髭は濃い方ではなかったという。戦後になっても、同じように毛抜きで抜いておられた。そこでいい毛抜きを見つけたそうだ。それが愛用の毛抜きだった。
 
 先生が病院に入院する時は、この毛抜き+手作りの爪切り+ご自分の耳の穴にあわせた耳掻きを必ず持っていかれた。
 手作りの爪切りは、大工道具も扱う金物屋で、求めるもの。犬の爪切りのようなもので、似たような爪切りでも切り心地がまったく違うもの。
 耳掻きは巣鴨の地蔵通りにある専門店のもの。

 こうしてみると究極の化粧は、穴にありそうだ。
 爪を綺麗に切って研ぐことに加えて、鼻毛を抜く。耳垢を取り除く。口腔内は歯をよく磨き舌苔をとる。トイレの後にはお湯で洗い流す。エトセトラ。

 話がずいぶんと遠くに来てしまった。
 この復元「江戸化粧」を読み写真をながめながら、あれこれ思い出してしまった。 
 最後は綺麗にまとめよう。

  京の紅は君にふさわず わが噛みし小指の血をばいざ口にせよ
                 
                  与謝野鉄幹  鉄幹子より

注:これをお読みになった方は、コメントをクリックしてください。
  「はなげや」ではなく「うぶげや」でした。
  HPにリンクできるようにしてくださいました。(3月10日記)
 
 
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個人情報を含む電子媒体盗難

2007年03月07日 19時52分46秒 | Weblog
 今日、日本郵政公社から一通の手紙がきた。
 「個人情報を含む電子媒体盗難についてのご連絡をお詫び」というものだった。
 差出人は、郵便貯金事業総本部長だ。

 なんでも東京郵便貯金センターの職員が内部規定に反して、振替口座情報記録媒体を所外に持ち出し、車上荒らし被害にあったのだそうだ。
 持っている振替口座の情報が入っていたのだった。29万件のうちの一つということになる。
 口座記号・番号、加入者名(漢字・カナ)、…、…、だそうだ。
 今のところ不正に使われた事実は確認されていないという。しかし、不審な電話などにはくれぐれもご注意と書かれている。

 何だ! 何だ!って感じですね。

 大学でも個人情報とやらで、学生の情報がまったく入ってこない。
 以前ならば、履修する学生が提出する「履修カード」には、趣味・スポーツその他の運動経験・病歴・エトセトラ、非常に詳しく書き込まれていた。それを見ると一人ひとりの学生のことがおおよそつかめた。
 ところが「個人情報保護法」が実施されてから、名前と学籍番号と学部学科名と血液型と緊急連絡先しか書かれていない。

 それなのに電子媒体(USBメモリー)を持ち出す輩がいるなんて、許せない。
 個人情報保護とは名ばかりで、情報は売り買いされていることは間違いない。
 実際、我が家にも、とんでもないダイレクトメールが送られてくるのだから。

 だんだん自分の身は自分で守れる範囲が狭まっていくようだ。
 お~、怖わっ!
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DVDブック アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司

2007年03月06日 19時28分15秒 | Weblog
 帰宅すると、居間のコタツの上に、春秋社から届いた宅急便がのっていた。
 着替えもそこそこに封を開けると『DVDブック アーカイブス野口体操』が出てきた。
 先月だったろうか。春秋社・編集部の桑村正純さんから電話をもらっていたことを思い出す。
 2004年1月20日初版と奥付にある。すると今年で満三年になるわけだ。
 
 遠い昔のような感じもする。たった三年だというのに。
 しかし、重版は嬉しい。
 養老孟司先生もご健在で、最近は朝日新聞のテレビCMにご出演になっていらっしゃる。
「先生、知るってどういうことですか」
「それはね、知る前と知った後では、変わるってことですよ。むにゃむにゃ~~~~」

 確かに、野口体操をはじめる前とはじめてからとでは、変わった。
 そして野口体操を教えるようになってからも、変わった。

 そういう体験というのは、一生の内に何回かある。
 本を読むという行為も、見方が変わる。見え方が変わる。考え方が変わる。いろいろが変わるきっかけになる。しかし、それほど著者の数は多くない。

 最近では、なんといっても佐藤優氏の著書は、「読みごたえがある」などという言葉を超えている。だからはまってしまうのだ。
 人生のなかで、知る前と知ったあとでは「変わってしまう」という出会いがどのくらいあるだろう。
 
 本と音楽に限って言えば、最初の音楽の出会いは、小学校5年生の時、階下で鳴っているラジオから聞こえてきたショパンのノクターンだった。
 本との出会いはロマン・ロラン「ジャン=クリストフ」だった。それは中学3年の春休み、これから高校生になる前のことだった。
 このとき本を読む楽しさを知った。
 
 その後にも、いくつかの音楽と本との出会いはあったが、今年になって出会った「佐藤優著作」は別格の味わいだ。

 しかし、私にとって、野口三千三先生に出会ったことは、人生最大の大変革だったといえる。野口体操を知る前と知ってからでは、まったく違う世界に没入したといえる。野口体操を知らなければ、おそらく佐藤氏の著作も読み過ごしてしまったと思える。
 野口体操の世界は、「言葉」と「からだの動き」のどちらか一方が欠落したら、まったく成り立たない。あえて嫌な言い方をさせていただけば、野口体操のなかには、身体と言語の闘いがあって、その闘いの内側から透かし見えてくる「真実」が、なんとも魅力なのだ。
 こちらは26歳の時にはまって、現在に至っている。

 さて、今年、春秋社『アーカイブス野口体操』を入れて、5冊目の本を上梓することができた。
 
「おかげさま」の一言です。

 
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ひらがなの手紙3

2007年03月05日 16時04分18秒 | Weblog
 先週土曜日に一枚のCDをいただいた。
 作曲家・堀江はるよさんの最新作『ひらがなの手紙3-歌そしてピアノ』という題名。
 
 東京藝大に在学中、野口三千三先生の体育の授業を受けられたのは、かれこれ40年以上前のこと。2003年から縁あって、私が講座をもっている朝日カルチャーセンター「野口体操講座」を受講されている。
 なんと時間がたつのは、はやいものだ。もう、2007年になってしまったのだから。
 
「たんぽぽ」「訪れ」「クリスマスローズ」という題名の歌+「遊ぼうよ~音楽する心への提案」というピアノ曲は、ターシャ・テューダーの世界を想わせる雰囲気がある。
 リーフレットの写真を載せてみたが、如何せん携帯カメラの限界。

 そこで堀江さんにとって作曲における唯一の師だとおっしゃる三善晃氏から、この曲集に贈られた言葉を書き写してみよう。

「素直に音が聴こえてくる、それに言葉や心、情景を乗せる、そういう羨ましい関係は、いま音と人との間では失われようとしています。人が音を信じないのですね。それが、ここに響いている。音は作者に安心して身を委ねる。人はそれを慈しむ。聴く人達はやがてその天衣無縫な間柄に気づくでしょう。そして私と同じように、羨ましく感じたり、失われたものの現出に驚いたりするでしょう。(三善 晃)」

 これ以上、私が言葉を加えるのは蛇足というもの。

 連絡先:かたつむり出版
 http://www.h2.dion.ne.jp/~comodo/
 
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長期の休みはごめんだ!

2007年03月04日 19時38分51秒 | Weblog
 一ヶ月ぶりに朝日カルチャーセンター日曜日クラスだった。
 2月と8月は「二八」といわれて、昔から商売は低調な月だといわれている。
 8月は暑くて、2月は寒くて人が動かない。そのためだろうか、朝日カルチャ-センターがある新宿住友ビル・通称「三角ビル」は、2月と8月の第三日曜日が、電気系統を中心としたメンテナンスの日になっている。
 その関係から、2月のレッスンは、第一週目にあっただけだった。

 ある人が言った。
「夏休みとか、長い休み明けに学校にきたみたい!」
 なかなかの出席率だった。
 しかし、レジュメは何を選んだらいいのか、迷うところだ。
 この一ヶ月間、相当にいろいろなことがあって、そこを飛ばすわけには行かないこともあるが、やはりいちばん新しいテーマを取り上げることになる。

 日曜日のクラスは、はじまって10年というところだろうか。ここ2年くらいの間に、ほとんど方が残ってくださって、ものである。そこに集うメンバーによって、雰囲気が作られていく。日曜日は、活気にあふれている。かなりきわどい、物言いをすると、しっかりダメだしがでる。

 火曜日のクラスは、「お勉強スタイル」ではめたこともあって、固さは否めないが、着実に野口体操が伝えられている実感がある。初めての方やトライアルの方向き、などと銘打っていたが、このクラスも1年過ぎたところで、かなり内容が濃くなった。

 どのクラスもそれぞれの面白さがある。
 20年間、東京から一歩も出ないで過ごした時間は、決して不自由ではなかった。その間に身についたことがあって、各クラスに応じられる私が育ったとこのごろつくづくと思っている。
「今のは野口三千三先生の間合いだった」
 などと思うことがある。自然に身についたものは、境界線がはっきりしない。
 
 今日のレッスンで試したことは、野口先生はなさらなかったことだった。その場とその時間が与えられることによって、参加してくださるメンバーとのやり取りや関係の中で気づき育てられることは多く、貴重だと思う。
 最近も、ずいぶんと新しい方法が見つかった。

 仕方がないとはいえ、長期の休みはごめんこうむりたい。
 
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チャイコフスキーの甘美なる音世界

2007年03月03日 20時31分36秒 | Weblog
 佐藤優著作を読みすすむうちに、チャイコフスキーの曲を弾きたくなった。
 コンチェルトは、もう指が動かない。そこで、なまった指で音に出来る「四季」から「10月:秋の歌」だ。作品37b。
 この曲は、17小節目からゆっくりとしたワルツになる。ワルツといってもドイツやウィナワルツとはまったく雰囲気が違う。四分の四拍子を三連符で弾いていくワルツだ。夢幻の旋律が、右手と左手で会話する。魅惑的な旋律のやり取りと絡みは、男女の愛の睦言のようだ。チャイコフスキーは、むしろ男女ではなく男男の関係だとも言われるのだが。真偽のほどは確かめていない。
 そのようなことはどちらでもいい。とにかくロシア独特のというかチャイコフスキーならでは甘い旋律に、現実を忘れさせてもらえる。夢幻の戯れなのだ。

 さて、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーは、1840年ウラル地方ヴォトキンスクで生まれた。どんなところか知らないが、鉱山技師の息子だそうだ。鉱山というところに親近感を覚える。でも、日本でいう山師とは違う。
 ロシアでは西欧的アカデミックな専門教育を受けた最初の作曲家だった。ロシア最初の音楽の高等教育機関は、1862年ペテルブルグに設立された。日本で東京藝大の前身「音楽取調係」が設立されたのが1879年。東京音楽学校に改組されたのが1887年。この数字だけでは、ロシアと日本の西洋音楽の本格的教育に関しては、あまり差がないように読める。しかし、実際はまったく状況が異なっている。ロシアは大陸で西欧社会と一続きだ。ピョートル大帝が、近代化の一貫として西洋音楽を強引に導入したといわれる。この大帝の在位期間は1682~1725年だから、音楽院設立までになんと150年も年月がたっているというのも驚きである。

 で、チャイコフスキーが生きた時代の貴族家庭での文化教育レベルは非常に高かったらしい。チャイコフスキーも音楽院に入学する以前に、家庭教師や個人教授によって、ピアノの演奏技術や絶対音感を身につけるなど、職業音楽家としての基礎技術を習得していたと言われている。

 1917年ロシア革命によってソビエト政権が誕生する。
 チャイコフスキーが世を去ったのは、1893年のこと。
 帝政ロシアの最後に咲いた音楽の華は、芳しい香りをたたえている。
 その音楽の音をひとつずつ拾いながら、複雑な思いが巡る。
 ロシアからソビエトへ、そして再びロシアという国名に戻った。
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「新書ア・ラ・カルチャー委員会」ー話題の一冊『千年、働いてきました』

2007年03月02日 16時31分10秒 | Weblog
 日経新聞の広告欄に「新書 ア・ラ・カルチャー」が掲載されている。
「◎私たちは新書ファンを応援します。」というキャッチで、角川oneテーマ21、光文社新書、祥伝社新書、文春新書を紹介しているらしい。
 
 今週の「話題の一冊」は、『千年、働いてきましたー老舗企業大国ニッポン』野村進著 角川oneテーマ21である。
 見出しに次のように書かれている。
「世界最古の会社は日本にあった! 逆転の発想で生き残った老舗企業から学ぶ」
 この本をまだ読んではない。しかし、広告文だけでもご紹介したくなった。いろいろ考えさせられたからだ。

 何でも日本には創業百年を超える老舗が、十万軒以上もあるそうだ。半数が製造業。そのなかには、創業五七八年・飛鳥時代にさかのぼる世界最古の会社がある。千四百年以上も続いている会社だ。何をしているのかといえば、寺社の建築と修復をする。会社名は「金剛組」。大阪にあるらしい。

 いくつもの老舗が、伝統として受け継いできた技術を利用して、時代の最先端を行く技術開発をしているのが大きな特徴として挙げられている。
 
 そこで、いちばん知りたいのは、老舗の共通点だ。
 筆者は、こう指摘する。
「本業から外れないこと」
「バブル期に投機に手を出さなかったこと」
「拡張よりも継続を重視すること」
「儲けることよりも人の役に立つものをつくること」
「自分たちの技術や商品に魂が宿っている感覚が基本にあること」

「一筋に何かをやるのはカッコいい」という編集部の問いかけに著者は答える。
「勇心酒造の社長は、米の新しい力を生かしてアトピー性皮膚炎に期待できる入浴剤を二十五年間赤字になりながらも開発し、最終的には黒字にした。そのストイックさはカッコいいですよね」

 なるほどね。
 二十五年も赤字でもつぶれない体力があっての話だ。老舗とはそういうものだ。
 何事にも浮き沈みはあるだろう。山も谷もあるだろう。
 母がよく口にするたとえがある。
「古川に水は絶えず」つまり、基礎の堅固なものは、衰えたようでもちゃんと残っているということだ。

 いい時ばかりではない。そんな時にどんなに縮小しても継続すること。継続さえしていれば、またいつか日が当たることもあると、いう教えもある。

 一筋に何かをやり続けることの意味を考えていた時に、この記事に出会った。
 以前、「天使人語」を13年間書いておられた辰濃和男さんとお話しする機会を得た。
「野口先生は東京から地方に出かけられることはなかったのですが、私も晩年先生が仕事や授業をされる助手をさせていただき、その間20年、東京から出ることはしませんでした」
「それは一つの見識ある行動ですね」
 そう言われて、内心、いい気持ちだった。
 しかし、よく考えてみると、「ブレなく、一筋に、何かを続けられる」ということは、ボーっとしているところがあったからだ。それがないと将来に何の保証もなく海のものとも山のものともわからないことをやり続けることは出来そうにない。

 しかし、ボーっとしている向こうに、私は何かを見ていた。
 おそらく野口先生が「体操は祈りである」と臆面もなく言われたその「魂」のようなものが見えていたのだと思えてならない。
 人間(自分)に対する深い洞察、人間(自分)に対する優しさと厳しさをもちつつ、体操技術の奥にある「魂」に祈ること。
 この本に書かれていることに通じることだと思った。

 野口体操を伝えていく難しさは、まさにそこに在る。

 注・まだ、この本を手にとってもいないのに、広告文に刺激をうけて、ブログに書いてしまいました。
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