お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「東京発大垣行普通」

2005年08月07日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
学生時代は、当然、お金が無く、東京に来ても、大阪に変えるのは、東京駅を当時、23時25分に出る「普通・大垣行」だった。東京駅を出る東海道本線の終電だ。上京する時も、同じ区間を走る「上り」もあり、ラッシュ時間を避けて、午前4時半頃、東京駅着だった様に思う。

この23時25分発の電車が並ばないと座れないのである。一度油断して、発車1時間前に行ったら、ホームは長蛇の列。結局、連結器のトイレの前にしゃがんで、大阪へ向かった思い出がある。この電車は時間調整の為か、浜松に長時間停車し、今は知らないが、当時はホームにあった洗面台で、乗客が早朝みんなで顔を洗っていた。

今でも「快速ながら」になり、東京駅の出発時間は若干異なるが運転されている。新幹線の終列車に乗り遅れた人はこれに乗り、名古屋始発の新幹線に乗ると、新大阪には、翌日の東京始発の新幹線より早く着ける。

空いている時は、四人ボックスのイスの板を外して、少し斜めにして、一人で1ボックスを占領して寝たものだ。

旅に行きたい欲望が渦巻いてきた。


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「ウィンナー・コーヒー」

2005年08月07日 | エッセイ・日記・意見
ちょっとした誤解を何年も引き摺っている事がある。僕の場合は、「ウィンナー・コーヒー」。最近、喫茶店のメニューでもなかなか無いのだが、初めて、そのメニューを見つけた時、一緒にいた学校の先輩がこう言った。
「ウィンナー・コーヒー」というのは、「ホット・コーヒーの上に焦げ目のついたウィンナーソーセージが一本浮かんでいるんや。これがまた、格別な味でな」

その言葉を3年くらい、僕は信じていました。あの、「赤いウィンナーに切れ目が入って、そこに焦げ目もついて、それが美味しそうにコーヒーに浮かんでいるんやろなあ」と。

3年後、先輩に騙された事を知り、ショックを受けた。
「ウィンナー・コーヒー」は、「ウィーンのコーヒー」という意味で、「白いクリームの乗ったホット・コーヒー」の事。恥を掻いた。

そんな経験ってないのかなあ、皆さんは・・・。


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「××のでかい人」は長生きする!?

2005年08月07日 | エッセイ・日記・意見
「ちんちんのでかい人は長生きしそうな気がする」・・・と長い間思っていた。
大阪府知事をやったお笑いのNさんは、仲間と旅館の大浴場に行って、隣の仲間の床に流した「熱湯」で「あちちっ!!!」と叫んだと言う噂を聞いた。つまり、体を洗うイスに座っていて、普通の状態で「ちんちん」が風呂場の床に着いていたのだ。大きい!

男性の中心にあるのが「ちんちん」だとすると、それの大きい人の「生命力は強い」のではないか、と思う。
鼻の大きい人は「ちんちん」も大きいという定説がある(?)が、そういう人を見ると、この人、長生きしはるわ、と感じているのは僕だけだろうか。


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「物が届く時差」

2005年08月07日 | エッセイ・日記・意見
「物が届く時差」というものがある。例えば、インターネット書店の「Amazon」に発注しても、新刊でなければ、一週間位、届くのにかかる事もある。
また、お正月の「おせち料理」などを百貨店に頼んでおくと、届くのは年末である。
そして、例えば、頒布会で12ヶ月分の品物を注文して、料金を支払っておくと、毎月、品物が届く。
パソコンで日にちを決めて送るグリーティングカードもそうですね。

かつて、ドラマを作っていた時、思ったのだが、そうした品物を頼んだ人が「突然の事故等で命を亡くした場合」、残された遺族にとって、もう「差出人」がこの世にいない商品を届けて貰うのは辛いだろうなあと、ドラマのストーリー作りのアイデアの時考えていた。

たくさんの品物が流通している今、そんな事態も起こらないではない。さっきまで、リリー・フランキーさんの「東京タワー」を読んでいたら、突然、数年前に考えていた事を思い出した。



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人って、母親って・・・そんな本です。

2005年08月07日 | 本・雑誌・漫画
東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

扶桑社

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二日間かかって、今、読了しました。関西弁で母親の事を「オカン」と言います。「九州・小倉」でもそうなんかぁと思いました。「オカン」・・・エエ、響きです。ものすごく繊細な文章と想像を膨らませる表現。今日、読み残したところを読み始めた時は、気持ちが沈んでいたのですが、すべてを読み終わった時は、元気になっていました。「オカン」のエネルギーを貰ったのかもしれません。

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休みの日は「鬱」・・・。

2005年08月07日 | エッセイ・日記・意見
どうしても、休みの日は「鬱」になりやすい。昨日から家族が大阪に帰省しているので、今朝も、一度は起きようと思ったが、「鬱っぽく」また寝てしまった。「抗うつ剤」と「精神安定剤の頓服」を飲んで、10時半には、起きて活動を始めた。と、言っても、飯を食べただけなのだが。

昼御飯を食べてて思った事。いつもより、量をたくさん食べてしまう。
これは、女性に多い「拒食症」の現象と似ている。つまり、「精神が不安定なので、満腹感を味わい精神を安定させたい」→「冷蔵庫のものをすべて食べたりする」→「食べた自分に後悔する(ダイエットも含め)」→「喉に指を入れて、今食べたものをすべて吐いてしまう」・・・こういう流れに陥ると、「過食症」「拒食症」を繰り返す。

また、両親の離婚問題等の起こっている時に、子供が「拒食症」になりやすい。つまり、自分(子供)が病気になりさえすれば、「両親が自分に注目してくれ、離婚の方へ目がいかなくなる」と、子供は思うのだ。

人間の「心」とは不思議なものだ。何歳になっても、掴み難い。「精神が強い」と、周りが見ている人でも、突然、「円形脱毛症」になったり、「胃炎」になったりする。強い様にみえている「精神」が「身体に負荷をかけ」、「注意信号」を発信するのだと思う。

何事も程々が良いと考えて生きていければいいのだが・・・。



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