お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「大阪人」と「ヨドバシカメラ」

2005年08月25日 | エッセイ・日記・意見
「値切る」という事は、「人と人のコミュニケーション」である。東京の「ヨドバシカメラ」が大阪・梅田の中心に進出した。東京人にとっては、当たり前の事だが、「ヨドバシカメラ」は値切れない。その代わり、価格を出来るだけ下げ、ポイントを10%以上還元するというシステムを構築している。

しかし、そんなシステムは大阪人、特に大阪のおばちゃんには通じない。当然、「ヨドバシカメラ」でも値切る。それが大阪の「人間関係の近さ」なのである。

かつて、連続ドラマで主役をやって貰った女優さんが大阪で映画のロケをやっていたので、陣中見舞いに行った時の事。ちょうど、その日のロケが夕方終了したので、食事に行こうという事になった。ロケ地は大阪の下町の商店街。監督のOKの声で、おばちゃん達が集まってくる。
「××さん(女優さんの名前)と一緒に写真撮って貰いっ」
女優さんへの許諾もなく、「撮らせてもらう」のが既に前提になって話は進んでいる。女優さんも気がいい人だったので、そこに集まった人と気軽に記念撮影、そして、サイン。

タクシー二台に分乗し、大阪のミナミへと。
「前のタクシーについていって下さい」と運転手さんにいうと、
「私は人の後ろについていくのが嫌いなんですわ」と返され、
前のタクシーを追い抜いてしまった。食事に行く店の正確な場所を知っている人は追い抜かしたタクシーに乗っていた。

かなり、ぶったまげたが、携帯で連絡を取り合い、何とか、店に到着。大阪の町の持つ、底知れない怖さを感じた日だった。
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キャンプに行くと必ず、川に落ちる少年。

2005年08月25日 | エッセイ・日記・意見
僕は、神戸生まれである。長い時間を西宮で過ごした。それゆえ、六甲山には何度もキャンプに出かけた。
キャンプに行く途中には、川を渡る箇所が何箇所かある。学校から遠足で六甲山に行っても、川を渡るところで、石についた苔などで、川に足を滑らせて落ちる役目は僕だった。性格が「嬉がり」、つまり、大阪弁で言うところの「いちびり」なので、「いちびり」ながら、歩いているうちに、注意力散漫になり、川に落ちるという仕組みである。

小学校の通信簿にも、「気が散りやすい」と「利己主義」の二つの評価は、いつも有り難く先生に頂いていた。
転校生で、本当に「利己主義」の塊だった。
「今でも、そうやん」と言われれば、甘んじて受ける気持ちである。
小学校中学年の時には、転校生で、クラスの生徒に溶け込めず、「○○君(僕の事)と友達になるにはどうしたらいいか」というのが、「ホームルームのテーマ」になった。本ばかり読んでいる「二宮尊徳」の様な・・・そんな偉ないか・・・少年だった。家と学校の往復も本を読みながら、歩いていた。

中学受験の際も、1時間20分勉強して、20分読書をするというサイクルを自分で作って、勉強の効率を上げた。読書が本当に好きだった。
うちの家は祖父の代から読書家で、大正時代のスタインベックの「怒りの葡萄」等という本があった。父は、「松本清張のカッパノベルス」をほとんど持っており、僕の「大人の本」の入門も、松本清張の「Dの複合」だった。物凄い話題の脱線の仕方をしてしまった。まあ、はっきりしていることは、僕が今でも「利己主義」だと言う事である。
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「お金」の貸し借りはしない主義。

2005年08月25日 | エッセイ・日記・意見
僕は、「借金」も嫌いだが、人にお金を借りるのも、嫌だ。

かつて、大阪でいつも通っていた小粋なバーがあった。そこには10年近く通った。大学の友達がその近くの会社で働いていたので、彼を誘って飲みにも行った。そして、僕は東京に転勤になり、その店の事を忘れかけていた頃、大学の友達から電話がかかってきた。
そのバーのマスターの子供が交通事故を起こし、お金が無いので、「サラ金」の保証人になったという内容だった。

僕は責任を感じた。もし、僕が東京に転勤せずに、大阪にいたら、まずマスターは間違いなく、僕のところに、「借金の保証人になって欲しい」と言って来ただろう。
まず、友人と折半で費用を出して、友人にマスターとサラ金に行って貰い、全額返済する。そうしなければ、間違いなく、借金は雪だるま式に膨れ上がるからだ。その金額が二人で150万円だった。

しばらくは、毎月、マスターからの返済は続いたが、ある時から音沙汰が無くなった。返済する様に、手紙も書いたが返事も来なかった。そして、一年後、マスターから僕の携帯に電話がかかってきた。
「あと10万円貸してくれませんか。そしたら、この夏が越せるんです」
虫のいい話だった。手紙の返信も寄越さずに、それはないでしょう、と断った。
大阪に行く機会があったので、店を覗いてみた。まだ開店前で店は閉まっていたが、エレベーターの所で、出勤してくるマスターと鉢合わせした。
マスターの「人相」は変わっていた。頭を少し下げ、お互いすれ違った。店に誘って、経緯を説明してくれる様子も無かった。

僕はもういいと思った。「人は変わるものだ」と。それからまた一年後、店に行ってみると、店は潰れていた。

このマスターが僕に、バーボンウィスキーの美味しさを教えてくれた。グレン・モーレンジーというスコッチを紹介してくれた。そのグレン・モーレンジーを僕は「新宿ゴールデン街」の親しいお店に紹介し、置いて貰っていた。

どんなに親しくても、それ以来、「人にお金を貸す」のも、「人からお金を借りる」のも、金輪際止め様と思った。
大阪のその店は、妻との待ち合わせの場でもあり、想い出深い場所だった。とても残念だ。マスターは「脱サラ」して、その店を始めた。吉本のマネジャーに最初は連れて行かれ、とても気に入ったので、一人で行く様になったのだ。「お金」のおかげで、「人」と「場所」を失くした。苦い経験だった。
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「台風の暴風雨の中のリポーター」

2005年08月25日 | テレビ番組
以前、「台風中継のリポーターが何故、あんなに危ない場所からリポートしないといけないのか」という「コメント」を頂いた事があり、今日朝、台風中継を見ていて思った事だが、「台風中継」の奥には、「台風の被害に遭われた方には申し訳ない」が、「自分も荒波や暴風雨の近くや中にいたい」という、「子供心に感じた台風に対する非日常性の楽しさ」があるのではないだろうか。

子供の頃、台風が来るとなると、大人は騒ぎ出し、学校は途中下校になり、その「大変さ」が子供の「好奇心」をくすぐった。
「えっ、これがいつもの小川なの?」と、轟々流れて、溢れそうになった川を橋の上から眺めたり、とんでもない暴風雨を静かな家の中から、カーテンをちょっと開けて、覗いたりしていた。

僕の住んでいた所の多くが、高い所にあり、浸水の可能性がほとんど無かったので、無責任にも喜んでいたのかもしれない。堂々と学校の授業をサボれるのも魅力だった。

台風というと、お年寄りが田んぼを見に行って、川に流されたりするニュースが多い様な気がする。「田んぼがダメになる」という事は大変な事だと思うが、「命」には代えがたいと思う。やはり、自分には「台風の被害はおそいかかってくるはずは無い」という根拠の無い理屈で、田んぼに行かれるのかもしれない。僕だって、明日、交通事故に遭ったり、病気を発病したりするリスクをいつも秘めながら生きている。自分には、そうした不幸は襲いかかって来る筈は無い、という「意味の無い確信」で行動しているのである。



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「カレーライス」と「有精卵」

2005年08月25日 | 料理・飲み物・食べ物
カレーライスに、生卵を入れて食べるのが好きだ。あつあつの御飯にかかったカレーのルー。その真ん中に空き地を作り、そこに生卵を落とす。まず、白身のドロっとしたところと、カレーライスを混ぜて食べ、それをしばらくした後、黄身を崩して、カレーライスのルーとよく混ぜて食べる。

大阪の「自由軒」の最初から、カレーのルーとライスを混ぜ合わせたカレーとはまた違う楽しさが醸し出されるカレーの食べ方だと思う。

辛いカレーが、卵の黄身で「まろやかな味」になり、口の中に広がってくる。最高である。

話は違うが、会社の近くに美味しい「タンタンメン」を出す店がある。昼時は行列が出来るほどの人気店である。その店のカウンターに「卵」が置いてある。これが「有精卵」なのである。僕は、この「有精卵」が食べられない。中で、「ヒヨコ」になっていて、「ヒヨコの眼」とかが見えたら、きっと卒倒してしまう。いつも一緒にその店に行っていた先輩は必ずその「有精卵」を何の抵抗感も無く食べていた。僕は、そういうところを尊敬する。
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「かき氷」

2005年08月25日 | 料理・飲み物・食べ物
ダイエット中にも関わらず、昨日、「イチゴミルクのかき氷」を食べてしまった。市民プールとかで泳いで、程よく疲れた時、暑い日差しの中で食べる「かき氷」は美味しい。子供達も大喜び。
「かき氷」ができると言う事は、「水がきれい」という事だろう。インド゛やアフリカで「かき氷」があったとして、それを日本人が食べたら、きっと、お腹を下してしまうだろう。

あのように、「氷」というものを削って、山の様にして食べると言う習慣は、日本独特のものだろうか。日本独特のものだとしたら、いったいいつ頃から「かき氷を食べる」という行為が行われ始めたのだろう。それを考えると、夜も眠れない。
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「喫茶店」は海外に無いのだろうか?

2005年08月25日 | エッセイ・日記・意見
日本ほど、「喫茶店」が多い国は無いだろう。海外に行って、疲れて、コーヒーでも飲もうと思っても「BAR(バール)」とかに入らないと飲めない。「ドトールコーヒー」とかは、日本が発祥の地なのだろうか。
東京で言えば、「ルノアール」。時が止まった様な空間に、仕事をサボった営業マンが寝てたりしている。

でも、良い喫茶店は少なくなった様に思う。新宿・池袋の「滝沢」も閉店。大阪・梅田にも、「田園」というエレベーターで生演奏をするバンドが上がって来る「日活映画」のセットの様な喫茶店があり、大学時代は、一次会は「たよし」で飲んで、よく「田園」に流れたものだった。四階建て位で、キャパが大きく、ちょうど、飲み会の大人数でも収容できる大きさだった。

いろんな国に行ったが、ハンバーガーショップの様な所はあったが、「純喫茶」の様なお店は見当たらなかった。
やはり、単価で行っても、コーヒー類だけでは、余程立地条件が良くないと、儲からないのかもしれない。
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