庚申塔?のつもりが何故か「申庚塔」と彫られている・・石瀬神社先の間瀬街道と呼ばれる林道の傍らに存在する。
間違いなのか遊び心なのかは不明・・彫られている文面から砥石を採取する人々が建てたのではと推測されている。
隣の金池集落の入口に立つ庚申塔だが、この文字はあまり良く見えないが亀田鵬齋の書と伝えられている。
庚の文字 广(まだれ)の「ヽ」が原石の傷(凹み)を利用していている・・これも遊び心なのだろうか?
青龍寺の六地蔵と水かけ不道明王・・この地蔵に供えられて石で撫でると下半身に効能が有ると言われている。
本堂の中には船に乗った地蔵像があるのです(新潟県内の三体のうちの一体)
火の見やぐらの地蔵さんと呼ばれている延命地蔵とあんじょさん(庵住?)の地蔵・・かっては野ざらしであったらしく傷んでいるが、今は小屋の中に入れられている。
集落の弥彦寄りにある湯殿山塔・・出羽三山を信仰し参拝に行く事を目的とした講が湯殿山講で、行衣という白の木綿上着をまとって、股引をはき、頭には「おかんむり」を巻き白い手甲、脚絆の装束で杖を持ち「サンゲ サンゲ」と唱えながら参拝に向ったと言われている。
山形県の新庄地区の一角(本合海)に今でも湯殿山信仰のサンゲ サンゲが伝承されている様です。
サンゲとは懺悔(さんげ)のことでしょうか。
右の写真は弥彦よりの村はずれに立つ子育て地蔵。
近年建てられた良寛歌碑でその側にも子育て地蔵がお堂に納められている・・上の写真のお堂は下の地蔵さんと呼ばれ岩室よりの村外れに建てられているのです。
集落の両側の外れに在るのは何か理由が有るのでしょうか?・・そう言えば岩室でも集落の両側の外れに在るのです。
*この良寛碑の石柱は新潟市白山に在った旧県庁舎の玄関石を利用しているそうだ。
散歩がてらに訪ねて歩くだけでも健康になりそうな気がしませんか!・・あまり難しく考えずに。