手さぐりブログはじめました!

足の向くまま、気の向くままに!

舟運輸送の要衝?

2014-06-13 09:42:42 | 日記

           

 まむしの斉藤道三の居城(稲葉山城)で、後に竹中半兵衛が知略を使って攻略したりで、最後は信長が奪取して名を変え(岐阜城)、その頃から”天下布武”の朱印を用いる様になったとか。


           

 当時の輸送の主力は舟運であった様で、ここはその要衝で有ったと思われる・・移動も陸路より素早かったらしく、信長に攻められた城主はこの川(長良川)を下って逃亡したのだそうだ。

 写真の橋の上の矢印は二両連結バスで、将来新潟にもこんなバスが走るのでしょうか?
 もう一つは鵜飼いの観光船の様です。

 *ロープーウェーで昇りましたが、こんな高い所に造ったのは、きっと軍事的な要素と権力の象徴(見栄を張る為?)で有りましょう・・とても実用的とは思えないのです。
 途中に井戸が有ったのだが、雨水を貯めていたのです・・上越の春日山城の井戸には水脈が有ったと思うのです。(何より必要なのは水でしょう)
 ちなみに鉄筋コンクリートの建物です。
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家庭菜園 収穫です!

2014-06-12 17:05:48 | 日記

          

 晴れて来たので家庭菜園の玉ねぎとジャガイモを収穫した・・砂が濡れていてくっついて来たが乾けば落ちるでしょう。
 雨上がりで普通作業は無理なのだが、ここは砂地だから出来るのです。
 週末に娘の所を訪ねる予定なので、持参する為に茎が倒れた玉ねぎとジャガイモを収穫したのです。


          

 同じ場所で同じ様に育てたのに、これだけ大きさに差が出ているのです。
 

          

 ジャガイモの収穫はまだ早いと思っていたが、早々と枯れてしまった株が出て来たので掘ってみたのです・・病気かと思ったのだが、充分大きくなっていました。
 昨年は6月末に試し堀りしていたのだが、今年は大分早い感じがします。(品種・メークイン)


          

 残りの玉ねぎは来週辺りに収穫を予定・・ジャガイモは枯れた株から順番に収穫して行こうと思う。
 土の中に置けば、りっぱな貯蔵庫の役目をしてくれそうです・・前に去年の取り残しイモを見たが、きちんと保存されていたのです。
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関ケ原 野外研修・・

2014-06-12 07:49:22 | 日記

          

 天下分け目の合戦、関ケ原は誰でも知っている戦で有りましょう・・大河ドラマ”天地人”で石田三成を小栗旬が演じていたと思います。
 直江兼続は妻夫木聡で家康は?はて何方が演じていたのでしょうか?

 この場所が石田三成が陣を敷いていた処だそうで、家康の陣地や小早川が陣を敷いた山などが一望に出来る・・割と狭い盆地でここで天下を決める合戦が行われたなんて驚きです。


           

 石田方の陣の斜め前(割と近くです)が激戦地で有ったとか・・戦の状況が目の前で迫力が有った(ハラハラしていた)事でしょう。

          

 ”関ケ原古戦場巡り”のグループに遭遇・・ここから小早川の陣近くまで行くので一緒にと誘われたが遠慮させて頂いた。
 案内のウオーキング協会の会長から立派な資料を頂いた・・なかなか面白そうな内容なのでこれからじっくりと開いて行こうと思う。
 当日は月曜日で資料館は閉館していたので、とても貴重な資料となりました・・有りがたく、感謝です。


          

 家康最後の陣とやらでここで敵方の検分をしたとか。

 小早川が寝返ったので勝利を収めたが、息子の秀忠の軍は真田の城に手間取ってこの合戦に間に合わなかった。
 社長を決める役員会に遅刻したようなものか? いやそんなレベルでは無いでしょう。
 
 
*そんな訳で明日は松本城に廻る予定が、当時の真田の城の上田城に寄る事になりました・・こんなものです、私等の珍道中は。
  *資料を開いたら、ここを舞台にしてもう一つの天下分け目の戦い”壬申の乱”が有ったとか・・もう 歴史の授業の様です。
 (簡単に言うと当時の朝廷の相続争い・・西暦672年)石瀬で神主をしている家は、この乱を逃れて越後にたどり着いたと伝えられている)
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城巡り 彦根城

2014-06-11 11:50:31 | 日記

          

 前に1000円高速の最終日に彦根城を訪ねた事がある・・その時に印象に残った場所がここ!
丸岡城に続いて安土城跡を訪ねたのだが、催しが有って駐車場にも入れなかったので素通りして国宝、彦根の城に寄ったのです。
 観光地なので堀の廻りはきれいに整備された街並みが有りました。

           

 さすが、大老を務めた大藩で規模は先の丸岡城の比ではない・・30万石(35万格)で丸岡藩は5万石
 ここにもガイドがいたので越後の分家から来たと告げると、”ああ、与板藩ですね” 流石勉強していました!


          

 ここは”ひこにゃん”が人気で子供達が集まっていたが、何故か遠くの戸から身を出したり、隠れたりで不思議?不思議?で有りました。
 今はひこにゃんだが幕末に桜田門外で暗殺された伊井直弼は彦根藩の藩主・・ちなみに与板藩の最後の藩主は直弼の四男だそうです。


           

 左の写真は城から眺めた湖畔(琵琶湖)のホテルで、右はホテルからの城の遠景。
泊まったホテルは○○園グループでシルバー世代が殆んどでありました・・ホテルはこのグループに買収されたらしく、車のナビではホテル名が違っていました。(ナビを更新していないもので・・)

 *どこへ行ってもこの世代で一杯です・・日本の経済を牽引して来て、リタイアしてからも経済を潤しているシルバーならぬプラチナ世代です、恐れ入りました!
 皆様、日本経済の活性化の為、ドンドンお金を使って下さい・・貯めこんで振込サギなどに狙われない様に注意しましょう。
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一筆啓上 火の用心・・

2014-06-11 10:10:21 | 日記

           

 一筆啓上 火の用心・・はて、どこかで聞いた文句です、このフレーズで知られている福井県の丸岡城に寄ってみました。
 竹さんから”安土城行これ!”と声が掛かって、ようやく城巡りツァー実現の運びとなったのです。

           

 高速の割引の効くこの前の日曜日の早朝に出発し、途中、自宅より350Km程離れた丸岡城に寄る事になったのです。
 現存する天守閣で一度は行きたかった所です。戦後地震で倒壊し元の材料をほとんど使って再建したのだとか。
 明治の初期に廃城とされ、樹木まで伐採された丸裸の写真が有ったのには痛々しく感じました。


          

 この様な城はどこもそうだが、階段はとても急で写真の縄につかまって登るのです。


          

 どこでもこの様な旅行者はいるものです・・日本は平和でのどかな国です。
到着した時にはこの場所にハーレーが停まっていました。
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