手さぐりブログはじめました!

足の向くまま、気の向くままに!

佐潟・白鳥は?

2014-10-18 08:26:38 | 日記


 天気が良かったので赤塚の佐潟まで足を延ばしてみました。


          

 佐潟に有る環境省の見学(観測)施設の中から撮るとこんな感じです。

  

          

 近くから撮ると舟は三艘有りました。

      
          


 白鳥は見つけられませんでしたが、いつ頃飛来するのでしょうか?
 ここ佐潟は保護されて、この様に自然が残されていますが、かって新潟県内にはあちこちに潟(沼地)が存在していたのです。
 今は田んぼになっていますが、広々として人家の無い所はたいてい昔の潟の跡と思います・・多くが潟の付いた地名で残っています。

 *旧巻町の鎧潟(農業大学校の有る所)などはその典型的な所と言えましょう。
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脚下照顧 自分の足元を見ると・・

2014-10-16 17:13:45 | 日記


          

 ”脚下照顧” とは石瀬の種月寺の本堂の入口に置かれていたプレートに書かれていた言葉。
 自分の足元を良く見て、履物を揃えなさいと受け止められるが、実際の意味はもっと奥深い様だ。

 先週末の運動会で所沢に行った際に駅前のデパートで求めました。
 中々自分の足に合ったシューズに出会えず、探していた時にTVの通販番組で見つけたのです・・これならばと思ったのだが、幅が3Eだけで不安だったのです。

 同じブランドで4E~が有ると分かったので出かけたついでに買い求めたのです。
 ゆとりが有っていいのですが、今度は足首がきついのです・・しょうがないのでチャックを緩めて履いているのですが、ついつい足元を見てしまうのです。

 玄関を見ればその家のレベルが良く分ると言われます・・玄関はその家の顔とも言われます。
 秋の夜長、自分を見つめながら一杯やりたいと思います・・いつも自分の都合のいい様にしてしまう自分なのです。
 
 
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アスパラを移植しました

2014-10-16 16:26:35 | 日記

          

 和納の畑にアスパラを移植しました・・先週末の八十里越の集合場所(下田の道の駅)で買った苗です。


           

 六株入り一パックだったので、二つの畝に分けて植えました・・今が植え付け時期かどうかは分らないが、売っていたのできっとそうなんだろう?
 奥の畝の右側には春に植えたアスパラが繁っています。

          

 夏頃はカボチャに占領されて藪になっていたが、ようやく小さな畑の全体が見渡せます。
 近くの畑では大根やら、白菜、、ネギが多く植えられているのだが、これから我が家の畑にはトウ菜の一種”かわながれ”を植える予定。

 奥から二列目の畝にはネギを50本植えたのだが、カボチャの下になって全部消えてしまったのでした。
 近々市民農園のサツマイモを収穫予定・・甘くなって齧られているのは承知の上だ。
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穏やかな陽射し

2014-10-15 18:06:41 | 日記


 台風も通り過ぎて今日は穏やかな一日でした。
 昨日の洗濯物は乾かず、今日は二日分外に干したのでした。
 遠くから近くの小学校を撮ってみました。

          

 刈取りの済んだ田んぼ・・これから段々寂しくなって来るのです。
 せめて今月いっぱい位は秋晴れであって欲しいものです。
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八十里 こしぬけ武士の 越す峠

2014-10-13 09:55:15 | 日記
 


 戊辰戦争で長岡から会津に数千の長岡藩士と、その家族が落ち延びたと言われている峠・・当時は山の尾根を通ったのだそうだ。
 尾根の下に幽かに林道の跡が見えます。

 *タイトルは敗走する河井継之助が詠んだ句(と伝えられている)。


           

 三条市の主催でこの秘境八十里越のバスツァーに参加しました。


            

 工事現場なので全員がヘルメットを被っています・・黄色いヘルメットはNHKの取材班で”あさイチ”と言う番組だそうです。
 橋の名前は「ぼたばし」とよむのだとか。

 *参加者の年代に驚きです、私等よりだいぶ上の年代が多くて、腰の曲がった人、杖を付いている人など様々でした。


           

 左上の写真のトンネルを抜けて右の写真の様な橋に繋がるのだそうです。


           

 県境を貫いている長いトンネルは完成していて、バスで通れました。
 トンネルを抜けると滝が見えましたが、もうすぐ紅葉が始まりそうです。

 *参加者からの質問、「いつ頃完成の予定ですか?」
 答えられないそうです。

           

 *素朴な疑問です・・何の為にこの様な難工事をしてまで道路を造るのだろう?
 三条側から只見へ、只見側から三条へ通る必要が有るのだろうか?・・資料では只見から会津若松に行くより、この峠を通る事が出来れば三条の方が近くて”救命救急体制”が向上するとか。
 それならば福島側で道路整備をした方が普段の生活にも遥かに便利と思えるのですがね。

 *貰った資料によると、この道を利用して中越地域と南会津地方の経済的、人的交流は明治末期まで続き、その後鉄道利用へと移っていったとか。


          


 *もしかして何か有った時の逃げ道?・・日本海側で事有った時に中越、三条地域はこの峠から太平洋側に避難するのか?
 先の大震災では太平洋側からは津川経由で避難して来ていたけれど、考え過ぎでしょうか?


 
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