いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

メンデルスゾーンとゲーテ (メンデルスゾーン基金日本支部の集まりより)

2013年05月14日 | ピアノ・音楽

 日曜日はメンデルスゾーン基金日本支部の企画に行ってきました。私も美しい音楽をたくさん作ったメンデルスゾーンについてもっと詳しくなりたいと思っていたところ、友人に会員の方がいて集まりのことを知ったからです。

 メンデルスゾーンと言えば、無言歌をはじめとする、旋律の美しい曲をたくさん作ったお金持ちの作曲家という印象を受けやすいし、私もそのように感じていた時期がありました。しかし彼は14歳の時祖母からクリスマスプレゼントにもらったあの「マタイ受難曲」の自筆稿の写本を研究し、なんと20歳の時に「マタイ受難曲」を復活させるべく上演、すなわちバッハをこの世に広めたという偉業を成し遂げた人物なのです。ユダヤ人であったこともあり、死後他の作曲家などから不当な扱いを受けたりもしましたが、作曲面でも演奏面でも大変な天才であった上に視野の広い人物でもありました。彼のオルガン曲や協奏曲を聴くと彼の音楽の力強さ、深さ、骨太さを実感します。

 今回はゲーテの作った詩をもとに作られた歌曲を、姉のファニー・メンデルスゾーンが作曲した曲とともに紹介する企画でしたが、演奏前に第1部として、メンデルスゾーン研究の一人者である星野宏美氏の「メンデルスゾーンとイタリアとゲーテ」という講演、星野宏美氏、淡野弓子氏、淡野太郎氏の鼎談がありました。

 星野氏の講演によると、フェリックス・メンデルスゾーンは人生の多くの期間を旅していたとのこと。子供のころに訪問していたイギリス、スイス、フランスに対して、大人になって訪問したイタリアには、訪問前から大変な憧れを抱いていました。訪問前からゲーテと親しく芸術について深く語り合い、イタリア訪問の際にはゲーテ著の『イタリア紀行』を備えて旅立ったとのこと。ただそのゲーテの紀行文、イタリアへの感銘から失望という内容も含まれていたらしいそうですが。メンデルスゾーンのイタリア訪問、最初のヴェネツィアではゴンドラに出会い、フィレンツェは1週間滞在、そしてローマは長期的に滞在し、そこで人との交流も持ちゲーテと出会っていました。メンデルスゾーンはイタリアでオペラを聴いたりしたものの、オペラの中心が北方面になっていたのもありイタリア音楽から退廃が感じてしまい音楽面では失望を感じたそうです。そのような失望もあったのでしょうか、彼は自分の根源がドイツであることを自覚したのとイタリアへのよきイメージを保持したかったのもあり(実際美術など他の芸術では感銘を受けました)、二度とイタリアへは訪れなかったそうです。ちなみにフェリックスの姉のファニー・メンデルスゾーンも親から音楽教育を受け大変な才能を持っていた人物でしたが、当時は女性が作曲などの仕事をするということが一般的ではなかったためか父から音楽活動を 自粛し,弟のよき理解者になるよう勧められました。しかし才能も熱意もある彼女、その後も細々と音楽活動を続け自作も出版しましたが。。。

 ゲーテとの交流もフェニックスは5回であったのに対してファニーは1回のみ。しかもゲーテと深く交流できたフェニックスに対して話すことはほとんどなかったファニーでしたが、ゲーテの詩を大変愛していたうえにゲーテも彼女の曲を愛しており、作った曲からもゲーテへの憧れが感じられたということでした。

 星野氏、淡野弓子氏、淡野太郎氏との鼎談ではゲーテの詩に基づいた曲のいきさつや特徴が語られました。詩で伝えたいことがしっかり伝わるように曲を付ける詩の連や行を前後、反復させているという例として、「Erster Verlust 最初の喪失」が挙げられていました。いまた恋愛などの私的な内容を語った詩に付けられたことの多かった独唱曲は出版されなかったものの、自然を語った詩に付けられたことの多かった合唱曲は出版されたという事実から本来は人に知られたくないような心のひだを歌った詩に曲をつけたことが後ろめたいという感情があったのでは、という話や、音の流れや重厚な和音、そしてその変化から衝撃を受け、なぜそのような和音、響きのものをメンデルスゾーンは作ったのかということを追求しながら演奏していきたい、という演奏者としての抱負等、興味深い話をうかがうことができました。

 後半の演奏では以下の曲が演奏されました。

独唱曲
Sehnsucht nach Italien イタリアへの憧れ 1822 曲:ファニー・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ
Nach Süden 南へ Op.10 曲:ファニー・メンデルスゾーン  詩:不詳
Venezianisches Gondellied ヴェネツィアのゴンドラの唄 Op.57-5 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:Th.モーア(独訳:F.フライリガート)
Erster Verlust 最初の喪失 Op.99-1 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ
Die Liebende schreibt 恋する女が書いていること Op.86-3 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ
Suleika ズライカ Op.34-4 フェリックス) 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ=v.ヴィレマー
二重唱曲
Suleika und Hatem ズライカとハーテム 曲:ファニー・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ=v.ヴィレマー
合唱曲
Auf dem See 湖上にて Op.41-6 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ
Die Nachtigal うぐいす Op.59-4 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ
Frühzeitiger Frühling 早すぎた春 Op.59-2 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ

演奏者
独唱:永島陽子、淡野太郎、淡野弓子
二重唱:柴田圭子、依田卓
合唱:メンデルスゾーン・コーア&ハインリッヒ・シュッツ合唱団有志
指揮:淡野太郎
ピアノ:山形明朗

 ファニー・メンデルスゾーン作曲のイタリアの憧れは彼女自身のイタリアへの憧れが切々と感じられるものでした。ヴェネツィアのゴンドラの唄は無言歌のピアノ曲にもありますが、淡野太郎氏のバリトンの響きがしぶく訴えかけるような感じでとても心を打つものでした。個人的には無言歌のヴェネツィアノゴンドラの唄よりも好きだった気がします。独唱曲と二重唱曲として作られたズライカの作詞者であるV・ヴィレマーは、晩年のゲーテがひそかに恋した若き人妻で、作品はハーテム(男性)とズライカ(女性)の詩のやりとりを描いた愛の章であったとのこと。おおっぴらにはやはり出版できない事情がこちらにもあったようですが、独唱曲、二重奏曲ともストーリー性のある美しい曲でした。

 出版されているうえに和声が重厚だとの説明もあった合唱曲の三曲は、メンデルスゾーン・コーア&ハインリッヒ・シュッツ合唱団有志
の方たちのアカペラでした。衝撃的な和声変化の発見まではちょっといけませんでしたが、ドラマ性が感じられる変化に満ちた堂々たる曲であることが伝わってきました。噛めば噛むほど感じられそうな味わい。曲の持つ力そして人の曲への愛情、声の力を実感しました。やっぱり人の声っていいですね!

 改めてよき集まりに行けたと思いました。メンデルスゾーンの音楽や生涯についてもっと知りたいと思いました。紹介してくれた友人に感謝です。その後会場近くの店を回り楽しみました。代官山いいところですね、あそこの某書店は極楽すぎて魔の空間です。

 おまけ

Felix Mendelssohn - Die Nachtigall うぐいす. opus 59, № 4 
演奏:TheArmChoir

 


練習会

2013年05月14日 | ピアノ・音楽

 お絵かきを入れる予定ですがその間に2記事(もう1記事入るかもしれません)音楽記事を入れます。

 先週末土曜日はピアノ練習会。練習したり、日ごろの練習の成果をお互いに披露&聴きあい、人前での演奏に慣れたりするために集まっています。始まる前にこう弾こうという目標を立てるのですが、大体思ったように弾けず、それでもメンバーたちの熱意と温かさのおかげで大きなエネルギーをいただき毎回励みになっているという集まりです。今回もそうでした。

 ちなみに今回の私の目標の一つは「休符に気を付ける」でした。たかが休符されど休符。ときにレッスンで指摘してもらう前には気づかない休符の中にも、入れることによって緊張感がもたらされたりする重要な休符があるのですね。休符のないときで音が飛んでいるときにはぎりぎりまで伸ばして瞬間移動 とか、休符のあるときにはその前の音をパシッと切るかそれとも余韻の有るような雰囲気で聴こえないようにするかという離鍵についてもこだわったりしたら本当にきりがないです。それプラス、まともな音楽らしく聴こえるようにする、となるとさらに難題が(汗 )ミスタッチも嫌ですよね、そのミスタッチ、歌いたい、と思ったところや、難所を通過した直後のようなところが危険だったりします。先日もそれでした、プーランクの「エディットピアフを讃えて」ここで歌わせるぞ~と言った場所のソプラノの出だしで見事に指が違うキーの上に着地しました。そうなったら最悪。内声や低音部でつじつまを合わせるように弾いていてもあきらかに大切な音が欠落していることには変わりない。どこも間違えたくないけれど、特に間違えたくない場所、というのが明らかにありますよね。そういう場所ではなぜか力みやすいのですが、そういうところでこそ正確に弾きたいですよね。(一方和声的に影響がなさそうなところはちょっと間違えてもなんとかなったり(ここは練習時にはできるだけ参考にしないほうがいい項目ですが、実際にはそういうことがあります) )着地箇所を正確にした上に表現豊かにするに不可欠なのは運動神経なのかしら。。。耳が痛いです。こまめな練習しかないのかもね。

 音を響かせるために重心を置く場所、というのもありますよね。背筋をもっと使うとよい、とあったし、実際そのようにすると、音も出ていたような気がするのですが、先日はそういう意識はすっかり吹っ飛んでいました。唯一明らかに存在していたのは格好つけて背伸びしたい妙な色気。そういう色気だけは自然と湧き上がり、想定外の曲も衝動で登場させ撃沈しました(汗)

 録音、今回はしなかったのですがしてみたらさぞかしどのようなものかが分かるだろうな。人様に録音を勧めたからにはそろそろ自分の恐るべき演奏、客観的に聴いてみなければと思いました。メンバーたちも課題や目標をもって臨まれていて、練習会の場を有効に活用されているようです。本当にまじめ、謙虚な方たちばかりでありがたいです。私も足元を見つめしっかり練習しよう、と行くたびに思うのです。本番を控えた方たちのご健闘、この場をお借りしてお祈りいたします(^^)