郊外で、美味しい家庭的な料理が楽しめるお店。
丁寧で、北欧の小さなおうちを思わせる店内がくつろぎます。
もっと、こんな時間を意識して作らねば、と思ったクリスマス前のミルク色の午後。
郊外で、美味しい家庭的な料理が楽しめるお店。
丁寧で、北欧の小さなおうちを思わせる店内がくつろぎます。
もっと、こんな時間を意識して作らねば、と思ったクリスマス前のミルク色の午後。
ずっとエクセルの勉強をしていたりして、忙しかったけど、クリスマスはやっぱり、楽しまないと! 毎年クリスマスケーキを持ってきてくださる友人から頂いたケーキと赤い実はドライフルーツの入ったフルーツティーで聖夜のお茶会を楽しみました。
場所は、例によって離れで。
これがケーキとお茶! どっちもとても美味しかった~♬
照明を消して、静かな部屋の中で、キラキラ✨輝きながら、駆けてゆくトナカイの群れ……これで、ノエルさえいれば言うことなしなのだけれど。
今日も忙しかった。
愛犬のノエルが、特別な治療を必要とするようになったので、隣の総社市の動物病院まで薬をもらいに行く。その帰り、パティスリー「シェルブルー」で、ケーキとクッキーを買って、帰宅。
イチゴのタルトが、とても美味しい。
今日は、特別に良いティーカップをカップボードから取り出して、紅茶を淹れてみる。
あっ、やっぱりいい器で飲むと、気分がゆったりするような……ほっこりします。
数日前、この本をAmazonで入手して、100年前の時代風俗や女学生の生活を、実に面白く読んだのだが、その感想を書くのは、また後程。
今晩は、もうお休みします。
昨日、Yさんが毎年恒例のクリスマスケーキを、持ってきてくれました。うれしいなあ……🐻
もちろん、手作り! スポンジの台にチョコレートクリームを塗り、間にもチョコのクリーム、シロップ漬けのフルーツetcを挟んでいるらしいのですが、このスポンジ地と強すぎないチョコレート味のクリームの相性が絶妙なのだ❣
母と一緒に、昨日だけで、それぞれホールの四分の一サイズをペロリと食べてしまいました。あ……、やっぱり、とてもおいしい♬
今日は残りを食べようっと。 Yさん、本当にありがとうございます。
クリスマスなので、こういう感じの食器を使おうかな?
自分の部屋も、少しでもクリスマス🎄気分を出すために、カリグラフィーを始めた頃に作った作品や、イコンを飾ってみました。
下手だけれど、ずっと昔作ったものは(自分で作ったもののせいか)愛着があります。
午前中、街へ行き、珈琲豆と食パンなどを買ってくる。上の写真は、このところパンを買うようになったお店「グラハム・マーケット」店内。
パン売り場の方は、こんな風にレイアウトされている。う~ん、上に飾られたドライフラワーがボリュームがあるなあ……。
もう十七年近くも昔、三年ほどフラワーデザインを習っていたのだけれど、当時のモードは、プリザーブドフラワー一色。私は特にプリザーブドをすることななかったものの、その頃はいたるところにインテリアに使われていた記憶がある。
その後、アートフラワーを経て、時代はドライフラワーへ向かったらしい。 うんと昔、私が子供の頃も、ドライフラワーをあちこち(注:昭和五十年代の頃です)で見た覚えがあるのだけれど、流行は繰り返すというのは真理であるのだな。
今、珈琲にはまっていて、豆の銘柄や産地のカラーなどを事典で調べて遊んでいるのだけれど、面白い!
珈琲の発祥はエチオピアが源であるらしいのだが、そこからアラビア半島のイエメンに伝わり、イスラム教の修道僧の間で飲まれたのが、はじまりであるらしいとか……。
エチオピアのイルガチェフという銘柄が、今人気であるらしいとか、イエメンのモカマタリは古い由緒ある銘柄だとか――キリマンジャロの産地が、タンザニアの山の麓であることも初めて知った……☕
忙しいせいもあって、長い間ブログの更新を怠っていました……。
気づけば、もう春もたけなわ。今日は、一日家にいられるので、のんびりしています。あ~、くつろぐなあ…。
上の写真は、兄一家がディズニーランドへ旅行に行ってきたとかで、こないだ持ってきてくれたひよこ🐤。
実は、ひよこは私の大好きなお菓子。あの可愛い形や、優しい丸みがなんともいえない! 本場博多のほかにも、なぜか東京土産として定着しているらしいのですが、これは限定版とかで、「紅茶ひよ子」。紅茶の味が、ほんのりして、これもおいしい。そして、注目してほしいのは、包み紙や菓子箱のデザイン性の高さであります。
なんか、押しつけがましくないのに、さりげなくセンスがよく薄緑の箱の模様など、つい、じいっと見入ってしまう私。
一日が終わり、まだ体力があるな、という時には、Blu-rayプレーヤーで映画ロードショー。この間、観てとても面白かったのは、ブラッド・ピット&レオナルド・ディカプリオ共演の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」。
また、ゆっくりと感想を書きませう。
今、気づくと十二月半ば過ぎ。ふと、空いた時間の隙間に、お蕎麦を食べに行きました。
この季節だけしか、食することのできない「鴨なんばん蕎麦」。ああ、温かくて、生き返ったような気分になるなあ。
このお店名物の卵焼きもつけて……だしのしみた卵焼きに、すりおろした大根がついて、本当に美味しい。
時間があれば、ミニシアターで特集上映されるロミー・シュナイダーの映画にも、ぜひ行きたいと考えています。
あれこれ過ごしているうちに、もう11月も半ばに……。今日は、久しぶりに家でのんびりでき、今しがたTV番組「グレーテルのかまど」を見たところです。 「G線上のアリア」などで知られる作曲家ブラームスの愛したデザートということで、紹介されていたのが、何と「ザルツブルガーノッケルン」!
こういう感じのスイーツね。山が三つあるように見立てた、ふわふわの卵菓子で、上にかかって砂糖も、雪山にかかる雪を思わせる心憎いお菓子。 あ~、私も一度は食べたいとずーっと憧れ続けているスイーツです。番組でも、オーストリアの人たちが、天使のえくぼを思わせり美味しさだとか、ザルツブルクは、このお菓子があることを世界に誇らなければ――などと言っているのを聞き、思わず生つばがでてしまいそうになってしまいました。
多分、スフレに似た味じゃないかな……ただし、こんなきれいな山脈を作るのは難しそうで、番組内でもレシピを実演していた男性のザルツブルガーノッテルンは、山が見事につぶれ、なだらかな丘となっておりました。
閑話休題。
オーストリアのお菓子も素敵ですが、この間、姪の七五三のお祝いが、神社での集合写真の後、ホテルであり、私も久々にご馳走を食べることができましたです。
上の写真は、翡翠茄子に生ウニとキャビアを乗せたものだそうな。
こちらも、簡単に言ってしまえばお刺身なのですが、皿に描かれた紋様が、まるで竜安寺の石庭を思わせるようで、素敵!色も、グレーの石の色ですし。 その間に大葉の上に乗った刺身は、まるで岩のような配置になっており、紅葉がそっと置かれているのも、晩秋の気配であります。
こちらは、皿というより、織部の緑色をした焼き物の台のうえに、細かく細工した牛蒡や、豚肉の味噌だれ、南天の飾りも利いていて、見ているだけで楽しい。 もちろん、とてもおいしかったであります。
美味な食べ物は、人をしばらくの間幸せにしてくれるものなのだあー、と思いつつ、夜の肌寒さの中を、車で家にgoしました
。
先週は、所属している児童文学のサークル「松ぼっくり」の会長の松田さんが、倉敷文化連盟賞を受賞されたため、その授賞式に参加。
ところが、会場が思ったより遠く、5分ほど遅刻してしまう、という失態……トホホ。
でも、無事花束とカードが渡せてよかった!(授賞式の開会時刻が早かったので、その前日、花を買ったので、新鮮さがなくなるとヒヤヒヤしたのですが、水を入れたバケツにつけ、涼しいところに置いていたせいで、◎。良かった☻
受賞式の後、喫茶室で皆とお茶したのですが、昨年「松ぼっくり」をやめられた方とも、久しぶりにお会いできて、近況も聞くことができて、うれしかったです。
昨日は、近所のハワイアンカフェに。
十年以上前、ここが初めてできた時、1.2回行ったけれど、ここ、こんなにおいしかったのか……。カボチャのスープも、エビとトマトソースのパスタも、手作りという感じで、ほっこりと美味しかったです。
この春から、体力を少しでもつけたい、とハワイアンフラを始めたところだったので、ハワイアンフラの講師もされているオーナーとハワイをめぐって雑談。店内はハワイアン雑貨も販売してあり、なんか、すご~くトロピカルムード……いいなあ。
フラを始めて、今までほとんど興味のなかったハワイ文化に目覚めた私です。ハワイ語も、ハワイの神話も、そして南洋の自然も、学べば学ぶほど新鮮。いつか、本当に、ハワイに行ってみたい!
今日、カリグラファーズ・ギルドの作品展から、出品作品が帰ってきましました。実は、これ二年前の東京オリンピックを題材にしたもの。だから、ギリシアの神殿っぽいイラストやオリーブの葉もちょこっと書き加えてます。忙しいので、東京と京都で行われた展示会にも足を運べないままでしたが……。
あまり良い出来ではないけれど、飾るには手ごろな大きさなので、自室のベッドの近くの壁にかけることにしました。
ばたばたと家の用事を片づける間に、短編を五十枚ほど書き上げる。
そして、以前から、読みたいなと思っていた三島由紀夫の「英霊の声」収められている短編集も何とか読了。何といっても、掉尾にある「英霊の声」が圧巻! 三島文学にはつきものの、あまりに端正な構成美のせいで、いささか情感に欠ける恨みはあるのだけれど、この神事の最中、よりましの中に降りてくる、英霊――二・二六事件の将校や特攻で若い命を散らした霊の言葉や彼らの語る「真実」は、鬼気迫る物凄さ。天皇制についてもふれた、永遠の問題作ともある通り、この作品を書いた三島のある種の覚悟のようなものが行間の影からも読み取れて、気味悪くも、胸がざわついて仕方ない異様な作品となったもの。
たぶん、この「英霊の声」は、私の内でも長く印象に残るのでは、と思います。