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2~3年前、江戸川乱歩邸を訪ねた時したためたエッセイが引き出しの奥から出てきました。これでも、ちゃんとエッセイの形になっているかしら?
懐かしいので、このブログに載せてみますね。上の写真は乱歩邸の書庫を外のガラス越しに撮影したものです。
『夏の終わりの東京を歩いた。用事を片づける傍ら、以前から一度行ってみたいと思っていた池袋の江戸川乱歩邸を訪れることができて、感無量!
というのは、ここは大学時代、来ようとして迷ってしまったことがあり、それから「いつかは行きたい」とずーっと思っていた場所なのだ。また迷ったら困ると思いつつ、池袋駅からタクシーでやってきた(中年の女性運転手さんは、「乱歩邸? それ聞いたことないけど何ですか?」などとのたまい、iPADの地図を見せなくちゃならなかった)のだが、実物は「これが、あの大乱歩の家?」と思ってしまうほどこじんまりしたもので、少し驚いた。
うねったアーチ形のアプローチが小さな洋館へ続いているのだが、玄関から向こうは立ち入り禁止。その一階にあるのが、あの有名な応接間。白い上げ下げ窓に囲まれた室内は明るく、窓を通して、木々の緑や光が感じられるのが、とっても居心地良さそう。なのに、外からガラス越しにしか、のぞけないのが悲しい……。
おまけに、それが普通のガラスではなく、防弾ガラスのごとく、すごく分厚いのだ。
ただ、この家自体は、乱歩の小説に出て来る、世田谷とか武蔵野(注:昭和初期の話です)の外れの淋しい原っぱにポツンと建っている、赤レンガの洋館とは趣が異なっているものの、やはり大正の浪漫を感じさせる古い洋館。明智小五郎や怪人二十面相が歩き回っていてもおかしくはない雰囲気があって、こたえられない。
私の他には二~三人の若い欧米人の客が、この洋館を訪ねて来ていて、これはうれしい驚きだった。なぜって、あの独特の世界は、外国人には受け入れがたいものだろうと思いこんでいたから。
そして、庭先にぽつんと離れて建っているのが、あの有名な土蔵。しかし、ここも分厚いガラスがはめこんであって、入り口から一歩も入ることができない。ただ、中にほのかな照明が灯り、重厚な本棚にぎっしり本が並べられているのが見えた。
聞くところによると、ここには二万冊にものぼる乱歩の蔵書があって、英語やドイツ語の原書も大量にあるなど、乱歩の語学力、博識ぶるを目の当たりにできるそうな。薄暗く、ひんやりした土蔵内に、幾多の探偵関係の資料が整然と並んでいるのを想像すると、この世ならぬ夢幻の世界に誘いこまれたようで、うっとりしてしまうのは私だけじゃないはず。
事実、乱歩伝説の一つに、真夜中、この土蔵の中で蝋燭の火をともしながら、人知れず小説を書いているというものもあったのだが(もちろん、根も葉もない作り話なのだけど)、こんな昔に、欧米の探偵小説を渉猟し、深い語学力を持つ一方、「孤島の鬼」「死の十字路」などの変態。・耽美小説を発表し続け、さらには子供達への贈り物として「少年探偵団」シリーズを書き残した江戸川乱歩とは何者だったのか?
そのあまりにスケールの大きさ、千変万化する世界からして、乱歩こそ怪人二十面相なのでは? とさえ思ってしまう。
ここへ運んでくれたタクシー運転手さんが「あれ? ここ立教大学の構内にありますよ」と驚いたように、目の前には立教大学の正門があり、乱歩の家の後ろは中等部・高等部の校舎に続いているらしい。大学の中に家があるなんて、とびっくりしてしまったが、レンガの建物に緑のアイビーが絡んでいるさまは、本当に綺麗で、ついふらふらとキャンパス内に入りこんでしまった。
古い赤レンガの校舎は、白いペンキ塗りの上げ下げ窓がずらりと並び、緑の蔦に囲まれて、絵のような美しさだ。芝生に囲まれたキャンパスを、若い学生たちが楽しそうに闊歩している。
そう言えば、遥か昔、まだ高校生だったクリスマスの時期、ここを訪れたことがあった。重厚な木の扉の前に、赤いリボンで飾られた樅のリースがかけられているのが、とてもお洒落で、地方から出て来たばかりの少女だった私は、「ああ、なんて綺麗なんだろう」とため息をついてしまったことを思い出す。
振り返ると、江戸川乱歩邸は、レンガの続く塀の間に、ひっそりと佇んでいた。この絶妙なミスマッチーーひょっとしたら、怪人二十面相は本当に、ここに隠れていたのかもしれない』