「転生」 ジョナサン・コット著 新潮社。
十年ほど前に買っていた本。新聞の書評欄で紹介されているのを見て、強い興味を惹かれ早速購入したのだが、今回再読したのを含め、計3回読んでいる。
これは小説ではなく、発掘関係の学術書でもなく、ドキュメンタリーなのだが、ここで取り上げられているのは「3000年前の記憶を持ったイギリス人女性の驚くべき人生」である。
彼女の名は、ドロシー・イーディー。1904年、ロンドンに生まれる。だが、三歳の時、階段から落ちた時、一時死んだと思われた後、息を吹き返した。その後、彼女は、前世のエジプトでの人生を思い出し、その幻視とでもいうべき体験に溺れるようになる。
その記憶によると、彼女は3000年前のエジプトで、神殿に使える14歳の巫女だった。だが、時のファラオ、セティ1世に庭園で見だされ、恋に落ちる。その後、彼女ーベントレシャイト(喜びの竪琴の意味)は神殿の掟に背いたというかどで、処刑されるのだが、セティ1世との愛の絆は久遠の時をこえて、生き続けたというのだ。
こう書いたら、あまりの荒唐無稽さに呆れてしまいそうだが、この前世の記憶は、ドロシーを支え続け、彼女の豊かな才能を開花させる源泉ともいうべきものとなる。導かれるようにして、エジプトへやってきたドロシーは、オンム・セティー(セティーの母の意)と呼ばれ、たぐい稀な技量を持った考古学者となる。オンム・セティーは、彼女に会った誰もが言うように、極めて魅力的な人間で、「頭がおかしい」とは到底思えない、知性をも持っていた。 彼女は、昼間は勤勉な考古学者として働き、夜自分一人で過ごす時は、向こう側の世界からやってくるセティ1世との時間を楽しんだという――世界には、何て素晴らしく、常軌を逸した人がいるものだろう!
数千年前の前世と、永遠の愛――この壮大なスケールの物語を信じようが、信じまいが、それはすべて読者の判断にゆだねられている。オンム・セティーを嘘つきよばわりしたり、「頭がいかれている」というのは、簡単なことだが、彼女が神殿の発掘や書物の執筆に貢献したことを忘れてはならないだろう。そして、天文学者カール・セーガンも言っているように、「彼女は、思春期のファンタジーを人生に取り入れたのです。その話が事実であろうが幻想であろうが、オンム・セティーがこのファンタジーのおかげで豊かな人生を送ることができたことを忘れてはなりません」――これは正しい。
作中、ひときわ印象的なエピソードがある。クルーズ船の中で、オンム・セティーに出会った、美しい30代のアメリカ人女性が自分は、アクナトンの時代、ネフェルティティに仕える女官だったと語りはじめたのだ。その驚くべき物語を聞き終えた後、オンム・セティーは言う「彼女の話は本当なの。本当に転生の話なのよ」と。
はるかな昔、生きていた人間の魂が時を超えて、別の人間の内に宿ることはあるのだろうか? それは永遠の謎に違いないとしても、悠久の流れを刻むナイル河や、久遠の大地は何か重大な秘密を人々にささやいてくれるような気さえするのである。