ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

転生

2016-11-29 22:23:43 | 本のレビュー

「転生」 ジョナサン・コット著  新潮社。

十年ほど前に買っていた本。新聞の書評欄で紹介されているのを見て、強い興味を惹かれ早速購入したのだが、今回再読したのを含め、計3回読んでいる。

これは小説ではなく、発掘関係の学術書でもなく、ドキュメンタリーなのだが、ここで取り上げられているのは「3000年前の記憶を持ったイギリス人女性の驚くべき人生」である。
彼女の名は、ドロシー・イーディー。1904年、ロンドンに生まれる。だが、三歳の時、階段から落ちた時、一時死んだと思われた後、息を吹き返した。その後、彼女は、前世のエジプトでの人生を思い出し、その幻視とでもいうべき体験に溺れるようになる。
その記憶によると、彼女は3000年前のエジプトで、神殿に使える14歳の巫女だった。だが、時のファラオ、セティ1世に庭園で見だされ、恋に落ちる。その後、彼女ーベントレシャイト(喜びの竪琴の意味)は神殿の掟に背いたというかどで、処刑されるのだが、セティ1世との愛の絆は久遠の時をこえて、生き続けたというのだ。

こう書いたら、あまりの荒唐無稽さに呆れてしまいそうだが、この前世の記憶は、ドロシーを支え続け、彼女の豊かな才能を開花させる源泉ともいうべきものとなる。導かれるようにして、エジプトへやってきたドロシーは、オンム・セティー(セティーの母の意)と呼ばれ、たぐい稀な技量を持った考古学者となる。オンム・セティーは、彼女に会った誰もが言うように、極めて魅力的な人間で、「頭がおかしい」とは到底思えない、知性をも持っていた。 彼女は、昼間は勤勉な考古学者として働き、夜自分一人で過ごす時は、向こう側の世界からやってくるセティ1世との時間を楽しんだという――世界には、何て素晴らしく、常軌を逸した人がいるものだろう!

数千年前の前世と、永遠の愛――この壮大なスケールの物語を信じようが、信じまいが、それはすべて読者の判断にゆだねられている。オンム・セティーを嘘つきよばわりしたり、「頭がいかれている」というのは、簡単なことだが、彼女が神殿の発掘や書物の執筆に貢献したことを忘れてはならないだろう。そして、天文学者カール・セーガンも言っているように、「彼女は、思春期のファンタジーを人生に取り入れたのです。その話が事実であろうが幻想であろうが、オンム・セティーがこのファンタジーのおかげで豊かな人生を送ることができたことを忘れてはなりません」――これは正しい。

作中、ひときわ印象的なエピソードがある。クルーズ船の中で、オンム・セティーに出会った、美しい30代のアメリカ人女性が自分は、アクナトンの時代、ネフェルティティに仕える女官だったと語りはじめたのだ。その驚くべき物語を聞き終えた後、オンム・セティーは言う「彼女の話は本当なの。本当に転生の話なのよ」と。

はるかな昔、生きていた人間の魂が時を超えて、別の人間の内に宿ることはあるのだろうか? それは永遠の謎に違いないとしても、悠久の流れを刻むナイル河や、久遠の大地は何か重大な秘密を人々にささやいてくれるような気さえするのである。

ある日の日記

2016-11-29 22:01:43 | ある日の日記

上の写真は、ギャラリーを開く時、「イメージ用」(?)として撮った写真であります。
何の関係もないのだけど、ふいに見つかった画像――何だか懐かしいので、ここにアップいたしましたです。

もうすっかり冬の気配がしみる、今日このごろ。昼下がり、お腹がすいたなあと思う時、食べたいのは「焼き芋」
洒落たケーキよりも高級チョコよりも、焼き芋が食べたい!  それなのに、焼き芋という、庶民の友であったはずのものが、今の時代にはなかなか手に入らなくなった気がするのです。

落ち葉を集めて焚火をすることも禁じられるようになったし、「焼き芋~、石焼き芋~」と哀切なメロディーとともに流れてくる屋台なんて、もう何十年も見なくなったのでは?

私が大学生だった頃、下宿先のアパートの前を時々、通り過ぎていくのを見たのが最後だった記憶がいたします。

もちろん、スーパーの売り場にも時々、「焼き芋」なるものが陳列されていることがあるけれど、それは「遠赤外線」(どういうものか、ようわからん)で焼いたと称するもので、いつ焼いたか知れないような代物。 紙袋の包装紙に包んである、それを買って帰ったこともあるのですが、あんまりおいしくない。

本物の焼き芋は、今や夢にしか出てこない「昭和のまぼろし」と化している?

命売ります

2016-11-24 17:31:34 | 本のレビュー

あの三島由紀夫が、こんなエンターテインメント小説を公にしてるなんて!
ついぞ、最近まで知りませんでした。学生時代、三島には耽溺していて、「豊饒の海」や「仮面の告白」、「アポロの盃」は繰り返し読んだというのに……私の生まれる前年の1970年、自刃した三島は当時45歳。  私と同じ年ではありませんか!  子供の頃から読んできた文豪や大作家も、多くが若くして世を去っています。

芥川龍之介が35歳、太宰治が39歳、そして三島――夏目漱石だって49歳で故人になってるのだもの。澁澤龍彦も、まだ若かったですね。
だから、仰ぎ見ていた作家たちが、いつのまにか自分よりも若くなっていたら、誰に何を学べばいいのか? とさえ思ってしまうのです。

ああ、話が横道にずれてしまいました。日本が世界に誇る天才三島といえば、華麗にして絢爛たる文学世界が思い浮かぶはず。「ピタゴラスの天球の音楽」、「ギリシア美術のような端麗さ」と形容された至上の美。
しいて言うなら、王朝文学に見られるような香り高さに、高等数学の整然たる美しさをぶつけてきたようなものかもしれません。

この「命売ります」――1960年代の高度経済成長期に書かれたもの(多分)らしいのですが、当時の風俗が21世紀の現代とさほど遠く隔たっていないことにちょっとびっくり。それなりの、ハイテクノロジーもすでにあったようだし。
主人公の青年は、ニヒルの極みにある存在として描かれ、自殺企図に失敗した後、自分の「命」を売るという珍商売をはじめることに。そこにやってくる得体のしれない顧客と際スパイ組織らしきものが、ミステリー仕掛けとなって、一気読みすること間違いないしの面白さ!

「純文学」の頂点に位置するような三島由紀夫が、こんな通俗性たっぷりのハードボイルド小説をものするのにも驚くけれど、作中にあらわれる比喩の絶妙さ、文章の流麗さはさすがミシマというところ。 中途から追われる立場になった主人公が、安宿の天井の上に広がっているだろう星空を思い描くところ、ラストの蒼穹を見上げながらの孤独感を描写した箇所―実に素晴らしい!
今、世界的な日本人作家として村上春樹が、不動の地位を得ていますが、やはり三島の方がはるかに格上ですね。それは、闇に冷たくきらめく白刃のような狂気を内蔵した天才だから?

ここ数日のこと

2016-11-23 20:59:13 | カリグラフィー+写本装飾
姪が昼前やってきて、夕方までお客様してました。
         
                         
この「こどもがはじめてであう絵本」(ブックケースの中に4冊の絵本が入っている仕掛けになってるの)というものを、出したりしまったりして遊んでいるのですが、古びた感じからも想像がつくでしょうが、私が小さい時読んでいたものであります。

 このウサギは「うさこちゃん」――デイック・ブルーナ作なのですが、ミッフイーになる前は、もっと大人っぽかったのね。 うさこちゃんとミッフィーが違うキャラクターなのかも知らないのですが、個人的には「うさこちゃん」の方が好き。
色使いも4色ぐらいしかないのに、豊かで単純な美しさが感じられます。


 姪は、昼食後必ず昼寝をするのですが、ちっちゃいから座布団2枚で立派な寝台になってしまいます。上のハーブガーデンでノエルが吠えていると、突然眠りからさめ、「ワンワン、ないた」と離れの天窓を指さすのでした……すごい! いろんなことがわかってるのだわ…。


    
   完成した写本の模写。 中央の紋章の盾をもった女性に白い犬がとびついている絵が、写本にしては可愛いかな?


  書きかけて中断している短編小説も、書かなければいけないでしょうね。

夜のひととき

2016-11-19 22:29:26 | ある日の日記

神戸から買って帰ったケーキ。  夕食の後に、お茶とともに頂きました。この「トゥース トゥース」のケーキが大好きで、神戸に行くたび、買って帰るのを楽しみにしています。

今日の写本教室では、作品作りも大詰めで、皆さん各自の作品を作っておられたのだけど、それぞれとっても綺麗! 思わず見とれてしまいました。
やっぱり、伝統的なものが好みです。

子供の頃は絵を書くのが苦手だったのに、写本の装飾が好きになるなんて不思議……まだまだだけれど、「ケルズの書」の模写をしてみるのが夢なのです。


  美味なるケーキは、ひとときの幸せと安らぎをも運んでくれるのであります。 

ある日の日記

2016-11-17 20:10:24 | ある日の日記

最近、世の中が面白くない。 目まぐるしく色んなことが起こり、TVやメディアに情報が流され、あっという間に消えていく。
情報が多すぎて、疲れるし、浮き立つような楽しい出来事も毎日の日常には、ほとんど起こらない。

年を取ってしまったせいだろうなあ…そのくせ、漠然とした懈怠の気持ちと、しんしんとした寂しさは感じる。これは、もうどうしても解消しようのないものだとわかっているのだけれど…。人といっとき喋っても、孤独感や退屈は、その時まぎらわされるだけである。

年をへるごとに、すべては移り変わって、消えていくものであることを実感。私も、あれこれ新しいことにチャレンジしたりするよりも、若い頃感動した本を読み直したり、散歩に出た時、カフェで外のひだまりを眺めながら、ボーッとするひとときを大切にしたくなりだしました。
幸せは、案外ポケットの中などに潜んでいるものなのであります。

郊外のガーデンにて

2016-11-13 21:16:50 | ある日の日記
両親を連れて、兄一家と郊外の「岡山ガーデン」なるところにドライブ。
    
ここのイタリアンレストランで食事をしたのだけれど、なかなか美味しい。一歳半の姪も終始ご機嫌でありました。

         
敷地内には、古い藁ぶき屋根の民家があり、ここはお蕎麦屋さんなんだって。あいにく、この日は定休日の看板が下がっていたけれど、今度また行ってみよう。

 
隣りには、乗馬クラブがあって、秋の木立の中を馬が行き来するさまが見え、本当にステキ。馬って、実に美しい動物なんだもの。


    
 子供たちが遊ぶためのアスレチックゾーンもあって、ごらんのようにお洒落なツリーハウスも。ああ、考えてみれば、私って樹の上の家なるもので、遊んだことないなあ。
 外国の児童文学の本を読んで、憧れていただけのような気がしまする。
    
 木に吊り下げられたブランコも、座る部分がサクラの木でできていた。 寒い風が吹く日だったものの、晩秋の木漏れ日があたりを照らし出し、透明な美しさにあふれるガーデンでした。 休日の楽しみは、こんなところで味わいたい!

君は若く美しく・・・

2016-11-13 01:15:29 | アート・文化

この人誰? との言葉が聞こえそうですが、ついさっきまで私も知りませんでした。

福沢諭吉の曾孫で、カーレーサーになり若くして死んでしまった人がおり、その人がハンサムだったということは知っていたのですが、それが彼――福沢幸雄ということ。
写真の数々を見たら、素晴らしい美青年なのにビックリ! 最近のイケメン俳優(といわれている)たちを見ても、何も感じない私ですが、福沢幸雄の美貌にはほとんど感動さえしていまいました。(母がギリシア人というのですから、ハーフですね)

といっても、彼が死んでしまったのはずっと前。私ですら生まれる前の1969年、25歳の若さで、車のテスト走行中に激突したというのですから…。この1960年代の高度経済成長期には、郷愁や憧れを抱く私には、福沢幸雄氏のまとう雰囲気に強く惹きつけられるものがあるのかも。



それにしても、アイルトン・セナといいカーレーサーには、若く美しく、悲劇的な死を迎える星がつきまとっているのでしょうか? 同時代で、Sachiio Hukuzawaというカーレーサーの青春を見届けたかったな……。 伝説は美しい。

私は、あの洋服が着たい

2016-11-08 22:37:54 | ある日の日記

自分でも不思議に思うのだが、どうしてこんなにファッションが好きなのだろう? 洋服やバッグ、アクセサリー、部屋に飾る小物――そういったものを選んだり、手元に並べて見つめたりすることほど、好きなことはないような気さえしてくる。

この前、カフェで珈琲を飲んでいる時、ななめ向かいに座っていた若い女性……もちろん知り合いでもないし、特に目を引く美人だった訳でもないのに、なぜか気にかかってしまう。
どうしたのかな? この懐かしいような気持ちは? としばし考えているうちにはたっと思い当たった。
その女性が着ているセーターとスカートが、若い頃の私が着ていたものによく似ているのだ。グレーに格子のようなチェックが入っている短めのスカートにワイン色のセーターは縁のところが紺色にぐるりと取り巻かれている―「ああ」と私は思った。 懐かしい人に再会したような気持は、私の洋服への追憶につながっているんだな。

自分が着ていた洋服は、子供時代の頃のものも含めて、ずいぶん覚えているのだけれど、もちろん今、手元にあるわけではない。すべて、人にあげたり、捨ててしまったりしていたはず。私には、古い服を大事にとっておくという習慣なぞなくて(いちいち、取っていたら大変な数になってしまう)、クローゼットや洋服ダンスの中はいつもほどよい数におさまっているのだが、服の記憶は、アルバムだけでなく、心の中にもしっかり存在している。

洋服って、肌や下着の上に直接身に着けるもの――だから、それだけ親しいぬくもりを感じるもののはず。だから、好きな色や、デザインでこだわりぬきたいのだが、悲しむらくはバッグや小物と違って、すぐ古びてしまうこと。 「いや、洋服ったって、そんなに傷むもんじゃないよ」というあなた、数年もたてば、流行や時代のムードやらで、洋服はすぐ、ピカピカした輝きをなくしてしまうのである。もちろん、何年たっても、いい味を出してくれる「相棒」のようにぴったりくるものもあるんだけど。

クローゼットを開けるたびに、そこに現われる色彩や手触りに、幸せな気分になるのは、誰しも同じはず。

誰がツタンカーメンを殺したか

2016-11-08 20:41:57 | 本のレビュー
     
「誰がツタンカーメンを殺したか」   ボブ・ブライアー著 東眞理子訳  原書房。

この刺激的なタイトルの本は、若い頃買っていたもの。古代エジプトの18王朝時代は、考古学者ならずともドラマチックで華麗な謎に満ちていて、人々を惹きつけてやまない――そんな訳で、私も幾冊も買い求めていたのだが、時の流れと共に内容もすっかり忘却の淵に沈んでしまったのだ。

気づけば、古代エジプトに関する知識さえ、ずいぶん薄らいでいるではないか! そんな危機感(?)を感じた、ある秋の昼さがり、本棚から取り出したのが、これという訳。

素晴らしく、面白い本である。アメリカを代表するエジプト学者が描いた、新たな歴史観ということもできるし、そこんじょそこらのミステリーよりはるかにスリリングな殺人事件の謎を解いたものとも読める――ブライアーは、確信に満ちて語るのだが、少年王は暗殺されたのだ。

驚かされるのは、ツタンカーメンが生きていた三千年~三千数百年前のエジプトがとてつもなく高度な文明社会を築いていたこと。ツタンカーメンの王墓には、幾十ものワイン樽が見つかったが、そこには収穫された年(治世何年目というように書き記されていた)やツタンカーメン所有の葡萄園であること、辛口か甘口かもでヒエログリフで書かれていたのだ。

王家を頂点とする神官や書記の世界まで、現代の人間社会と比べて少しも遜色がない――はっきり言って、世紀が進むごとに文明が進歩してきたなんて言えないのではなかろうか?
医学や自然科学においては、現代の方が圧倒的な知識や技術を持っているとはいえ、ピラミッドやアブ=シンベルのような壮麗な建築を作り上げた情熱、美術品の美しさなど古代エジプトに及ばないものがいくらもある。

この書物の中で、ツタンカーメンはかの宗教改革を断行したファラオ、アクナートンの息子であること、父の死後、都をアマルナからテーベに戻したことがはっきり書かれている。だが、即位した当時、11歳に過ぎなかった少年王を補佐(というより、自分が実権を握ったといえる)したのは、宰相アイと将軍ホルエンヘブ。
異母姉であるアンクエスエンアメンと結婚したツタンカーメンには、短い幸福が訪れる。だが、幸せなファラオ夫妻を引き裂いたのは、ツタンカーメンの死だった。カーターの発掘から50年もたって、ようやくレントゲン撮影されることとなった少年王の頭部の写真を見て、血の塊があること、ファラオは鈍器で殴られたことで死亡したのではないか、との推測がなされることとなった。 しかし、誰が? 何のために?

ブライアーは、成長してゆくにつれ、自分の意志に従わなくなってゆくツタンカーメンを排除し、自分がエジプトのファラオになりかわろうとしたアイ(忠臣だったはずの)が手を下したと断言する。アイもホルエンヘブも王族ではなく、庶民にすぎない――彼らがファラオになるとしたら、エジプトの歴史が大きく変わることとなる。

ツタンカーメンの死後、王妃アンクエスエンアメンが敵国ヒッタイトの王に手紙を出し、「私は、恐ろしくてなりません。私の夫は死にました。私には息子がいません。そして、召使と結婚させられようとしています。私に、あなたの息子を一人下さい。その人がエジプト王となるでしょう」という激情に満ちた文章を送ったことはよく知られている。
ヒッタイトは、エジプトの宿敵であり、将軍ホルエンヘブは一生を賭けて彼らと戦ってきた。こんな手紙が明るみに出されたら、彼の激しい怒りをかったであろうし、ヒッタイト王が送ったはずの王子も殺されたらしい。
そして、発掘された古代の指輪……そこには、アンクエスエンアメンとアイの名前が彫られていた……彼らは、結婚したのだ。

ここから、ファラオの地位につくため、最後の王族となったアンクエスエンアメンと結婚したアイの姿が浮かび上がるのだが、以後、アンクエスエンアメンは歴史から消えてしまった。

何千年も前の出来事が、わずかな発掘品や神殿の碑文をたよりに、解き明かされることの不思議。遠い古代の人々の生活が、つい昨日のようにさえ思えてしまう。
これも、今も当時と変わることなく流れ続けるナイルのたまものであろうし、川のほとりには、当時とそう変わることない暮らしを営んでいる農民がいる。エジプトでは、ナイルも、太陽も、ピラミッドもすべてが久遠なのだ。

二十歳の春の日、私も古代エジプトの扉を開けた。5泊6日だったかのクルーズ船に乗って(外装は白く、美しかったものの、アガサ・クリスティーの『ナイルに死す』の華麗な世界には遠かった)、ナイル河畔の神殿をいくつも訪れたことを思い出す。コム・オンボ、フィラエ、エレファンティネ……懐かしい名前が、この本にもでてきて、古代エジプト人もこれらの神殿に礼拝したことを今さらのように、実感してしまった。 ある島の神殿では、壁画を修復しているおじさんもいた。私がカメラを向けると、ニッコリ笑ってくれたっけ。夜明けに起きた時、船の向こうにたゆたっていたナイルの水も……すべては、移ろってゆくのである。