森茉莉のエッセイの魅力に惹きつけられていた時のこと--その文章の中に、彼女が子供時代を過ごしていた明治の東京には、薔薇園が幾つもあったとの記述があった。 森茉莉は言うまでもなく、文豪森鴎外の娘。 彼女が生まれ、育ったのは、本郷近くの団子坂の上のお屋敷。いうなれば、山の手と呼ばれていた地域。 その近くにも、薔薇園があったそう。
森茉莉の、独特の香気溢れる文章を読むと、明治や大正の日本はかくも優雅で、美しかったのかと思ってしまう。 鴎外の家庭ならではだけれど、東洋と西洋の文化が溶け合い、生活の隅々のまで、美意識が張り巡らされている。 茉莉の弟の森類という人のエッセイに、「夜中に目を覚まして、「パパ、おしっこ」と父を起こす。握られた父の手からは、無限の優しさが伝わり、廊下は冷たかった。上野の山で獅子が吠えるときは、つないでいる父の手に力をこめるのである」というようなものがあったが、この頃開園したばかりの上野動物園のライオンのことを、獅子と呼ぶのも、何とも優雅。
茉莉自身は、少女時代の思い出に、「大正4年だったかの年の、美しい薔薇色の空を私は忘れない」とし、その時の空がどんなに美しかったかを、また彼女にしかできない一流の文体で、記しているのだが、そのような空の下に広がる薔薇園を、私は想像してしまう。 空気自体が紅に染まっているかのような中、夢幻の宴のごとく、咲き誇る薔薇たち・・・。
当時の日本には、西欧の薔薇が幾つも運び込まれ、植物学者たちの手で熱心に研究されていたのかもしれない。 かつての東京のあちこちにあったという薔薇園--それは、明治の彼方に消え去ってしまった。