ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ある日の日記

2015-08-30 22:30:20 | ある日の日記
本を集中して、読みすぎたせいか、目や頭が痛い。
それで、休養がてら、一日を過していたのだけど、夕方、近所の人と犬のことで話していた時、耳よりなことを聞いた。

何と、白い柴犬がいるのだそう。黒い柴犬は、知っているけど、それは知らなかったなあ。なんでも、その犬は、CMに出てくる北海道犬の「カイ君」にそっくりなのだそうだが、れっきとした柴。 「白」は、もともと先天的に「不良」(犬をこんな風に言うのは、嫌なのだけれど)とされるものだそうだが、最近は、従来、「白」は存在しないと思われていた犬種の「白犬」が流行っているらしい。

文豪ヘミングウェイは、6本指の猫を飼っていて、彼の家があったフロリダは、キー・ウェストのあたりは、今でもヘミングウェイの猫の血をひいた6本指の猫が沢山、いるそう。

白い柴犬に、6本指の猫…何だか、ミステリアスで面白いな。そんなことを思っていると、ガーデンを小さな縞猫が横切っていった。
思えば、生まれてから一度も、猫を飼ったことがない。家族に猫嫌いの人がいるためだけれど、ああ、いつか猫も飼ってみたいもの。


化粧のパフを思わせる柔らかい肉球を、顔に押して、朝起こしてくれたり、冬の寒い夜は、湯たんぽがわりになってくれたり、と猫との生活は楽しそうなんだもの。






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夏の終わりの東京

2015-08-27 17:28:07 | 旅のこと
東京へ行って来た。カリグラフィースクールのサマーセミナーを受講するため。
まず、銀座について、「椿屋珈琲店」へ。
銀座に来る度、ここの珈琲を飲むのだけれど、本当においしい。

昼時だったので、「特製ビーフカレーセット」を注文。

サフランライスの上にルーをかけて、食べるカレーも、とってもおいしい! ここのお店は、茶褐色の木をふんだんに使い、新しいのだけど、レトロ調のインテリア。店名の椿をモチィーフにした、ステンドグラスや金屏風っぽい壁があり、色ガラスの器(アンティークというほど、古そうには見えないけれど)が戸棚に飾られているなど、落ち着く調度。
私の左隣には、作家の宮本輝によく似た、老紳士が本を読みながら、やはりカレーを食していらしたけれど、ハードカバーの格調高そうな本を読んでいる姿が、印象に残ったもの。
珈琲は、ロイヤルコペンハーゲンの器にそそがれるのだけど、やっぱりとても美味しい。ここの珈琲ほど、美味しい店は、外に知らないような気も…。

それから、カリグラフィースクールへ。一度、受講してみたかった白谷泉さんの書く字は、素晴らしく、見るだけでうっとりしそうなほど。 日本を代表するカリグラファーの一人というだけあってか、サマーセミナーのクラスも満員で、追加クラスができたおかげで、参加できたのだ。
教えてもらったことが、すこしでも身になればよいのだけど。
その夜は、いつも泊まる神楽坂のアグネスホテルへ一泊。

翌日、再び、銀座へ。遠くへ行く時間はないし、東京駅に近いので、ついつい行ってしまうのだ。

そして、私の好みにはまる場所を発見。
130年も前からあるという、老舗の書店「教文館」。キリスト教の宣教師らが設立してという、この書店、聖書関係のものばかりでなく、一般文芸書も置いてあるのだが、ここの4階にある「エインカム」が良いのだ。エインカムとは、ヘブライ語で「葡萄園の泉」という意味。
カードや刺繍作品、小物、ロザリオ等、色々なものがあるのだが、わたしが見つけたのは、

これ。カリグラフィーのカードと、中世ヨーロッパの意匠を使ったミニカ-ド。左奥に見えるのは、同じく写本を印刷した便箋と封筒セットで、「ベツレヘムの星」を見ているらしい男と幼な子の絵が描かれ、回りにも装飾紋様が細かく描かれたもの。
ああ、良いもの見つけた。うれしい。

この書店には、カフェもついていて、

出される器も、御覧のように植物が描かれ、可愛いです。この時、食したトラピストガレットは「那須のトラピスト修道院のガレット」なのだそう。
メニューにある、外のケーキも「タンネちゃん」という可愛らしい名前がついていて、「ヘーゼルナッツをふんだんに使った生地に、チョコチップを入れたもみの木の形をしたケーキ」という説明書きがついているなど、一味違うユニークさ。
手作りジェラートにいたっては、教文館オリジナルの本型クッキーつき、というのだから、食べてみたいなあ…。本の形をしたクッキーだなんて、素敵だと思いませんか?



その後、西光亭のくるみのクッキーを買って、帰宅。ここの箱は、みな、リスのイラストがついていて、キュートなのだ。





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童話の宝物

2015-08-21 21:38:26 | 本のレビュー

ご近所のBさんから、図書カードを贈られて、とてもうれしかったのですが、「ぜひ、記念になるものを」と思い、御覧の本を買いました。
「グリム童話全集」 西村書店。
豪華愛蔵版と銘打っている通り、
かくのごとく、分厚く、大きく豪華な作り。グリム童話もアンデルセン童話も、小さい頃読んだ絵本は別に、小さな文庫本をそろえるだけで、すませていたわたしとしては、宝物のような書物。
すべての「グリム童話」がおさめられている上、中を開けば、美しいカラーの挿絵がいっぱい!
「白雪と紅薔薇」も、「灰かぶり」も、「ラプンツェル」も、みな、美しい絵つきで楽しめるのですね。


実をいうと、頂いた図書カードは、もう一枚あるのですが、こんな素敵な書物には、なかなか巡り合えそうにないので、当分大切にしまわれていることになりそうです。
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ノエルの散歩道

2015-08-21 21:24:34 | ノエル

は~い、残暑見舞いもうしあげます。実は、今日はわたしの誕生日なの。つまり、獅子座の生まれっていうわけ。

さて、本日めでたく4歳の誕生日を迎えたわけだけど、部屋へ入ったり、ごはん食べたり、おやつをもらったりと、いつものように時間が過ぎて、夕方のお散歩時間。


この土手の上を通る時が、一番好き。わたしの家の近くは、いつもいるノエルハーブガーデンは別にして、結構にぎやかなところになってしまっているのだけど、ここには青々とした田んぼや畦道が見えたりして、「自然」を感じちゃう。

これから、秋になって、稲が黄金色に色づくのも楽しみ。ねえ、何だかわたし、日本の風景にぴったりしてない?

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東京って不思議

2015-08-20 23:33:17 | ある日の日記
来週、用事で東京へ行くので、準備。いつもの定宿に、一泊の予約をしたり、持っていかねばならないものに目を通したり…。

そして、こないだ書店で、東京のガイドブックも買ってきた。まるで、おのぼりさんのようであるが、ここ何年も、この街をじっくり歩いてないので、ちょっと浦島太郎状態になっているのであります。昔、行き慣れた西武新宿線の新宿駅から、伊勢丹方面に行こうとしても、街の風景ががらりと変わってしまい、とまどったのも記憶に新しいです。

それにしても、東京とはなかなか不思議な街。電車に乗って、西、東、へ向かうだけで、風景は一変するし、新宿、銀座、渋谷、代官山、表参道など、違う駅に降りたったとたん、街の匂いや雰囲気までがらりと変わるのだから、さまざまな表情を持つ女優のような都市ではありませんか!

超高層ビルが林立する新宿から、中央線、西武線などに乗って、郊外へ1時間も走ってゆけば、奥多摩の深い山々が見えてきたりします。昔、学生時代、ふらりと思いつきで、奥多摩へ行った際、どーんとひなびた駅に降りたち、あたりは山に囲まれた僻地(?)だったのを、「これが同じ東京か?」とびっくらこいたのを思い出します。おまけに、駅のプラットホームのベンチには、幼馴染そっくりの少年(注:幼馴染というのは、もちろん女性です)が座っていて、その横顔の鼻筋やら目元まで「えっ、○○ちゃん、どうして、ここにいるの?」と声をかけてしまいそうな、瓜二つぶりだったのが、おかしなことでした。

そして、観光所のそばには、「熊がでます」と立て看板があったり、「山へ入ったきり、行方不明」の方の写真が何枚も貼ってあったり――何だか、遠いところへ来てしまったようでありました。

他に、電車に乗って、郊外へ向かうと、無機質な高層マンションや、同じく無機質な駅前通りが並ぶ、コロニーのような風景が広がったりして、それも面白かった。個人的には、つるつるとした人間の匂いがあまりしない場所も結構好きなのであります。

年をくったせいか、都会といっても、華やかなファッションが並ぶ街でなく、普通の人が住む郊外の住宅地にひかれるようになりました。駅前の、ちょっとした商店街や線路を越えたところにある、住宅地や図書館、郵便局、スーパー、銀行といったありふれた町。でも、どこかちょっと文化的な香りがし、風変わりな景色もちょこっと見られると
いいうような…。

こう書いていると、昔何度も訪れた、練馬の「いわさきちひろ美術館」やら、電車の窓から見た夕暮れの中の白い家やその庭にいた黒い猟犬のシルエットまで、懐かしく思い出してしまったりしますね。
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パプーシャの黒い瞳

2015-08-17 21:44:21 | 映画のレビュー

ジプシー、あるいはロマと聞いて、どんなことを思い浮かべるだろうか?

幌馬車を駆って、国から国へとさすらいながら旅してゆく人々。音楽や舞踊に独特の才能を発揮し、あらゆる法律や枷を嫌う、束縛されない民……けれど、彼らが辿った道は、過酷であり悲劇的であったとも思う。

といっても、個人的にはジプシーの歴史についてなどほとんど知らなくて、イタリアやポルトガルで道の雑踏の中、彼らの姿をちらと見たにすぎない。ただ、ジプシーの血をひくらしい女性の歌声を、夜の灯が照らす、ほの暗い店の片隅で聞いた時、その哀切なメロディーに、胸をかきむしられるような心地がしたのは、今もはっきり覚えているのだけど…。

この映画は、ジプシー初の女流詩人とされ、みずみずしい詩を生み出しながら、一族の禁忌を破ったため、ジプシーの群れを追われた女性の物語だ。ジプシーは、元来書き文字をもたず、その生活習慣も門外不出の秘密とされ、長い間独特の風習をたもってきた。けれど、そうした一族に生まれたはずの少女――パプーシャ(人形という意味)は、幼い頃から、言葉に魅せられ、こっそり文字を習い覚える。

そうして、書かれた詩。それは、何と美しいものだったろう。人の心に食いいってくるほどの力を持ちながら、森と自然と、ジプシーの命の火が見えかくれしているようだ。パプーシャが生まれ、育ったのは、ポーランドであり、その政情と彼らジプシーの運命が、複雑に交差する。戦前は、流浪の民として、なかば放置されていた彼らに、戦後「ジプシー定住生活」の政策が下される。年の離れた音楽家と結婚したパプーシャの心に燃え続けた詩人の魂。その才能を見抜いたのが、彼らジプシーの仲間に、しばし身を寄せいていた詩人イェジであった。

後に彼女が、イェジに送った詩が、世間に彼女の才能を知らしめ、彼女自身の運命を悲惨なものにしていくのだが、彼女がどうしてこんな目にあわねばならなかったのだろう? イェジが、500年以上もの間、知られていなかったジプシーの生活を本に著述することは、歴史に消えていくだけだったジプシーの姿を明らかにすることだった。パプーシャも「ジプシーには、歴史がないわ。文字がないのだから」と言っている通り、貴重な本になったはず――なのだが、自分たちの掟を守り続けるジプシー達にとっては許しがたいことであった。

よって、移住したローマで、パプーシャと彼女の夫は、貧しく、訪れる者もない生活を余儀なくされる。こうしたつらい、悲劇的な人生だったからこそ、パプーシャの詩は、心震わせられるほど美しく、涙を流させるのだろう。
「すべてのジプシーよ
 私のもとへおいで
 走っておいで
 大きな焚き火が輝く森へ」


パプーシャのすべての詩を読んでみたい、と思う。



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ルゥルゥおはなしして

2015-08-17 21:17:37 | 本のレビュー
「ルゥルゥおはなしして」たかどのほうこ作 岩波書店。

著者のたかどのほうこさんは、う~んと昔、私がまだ大学生だった頃読んだ「時計坂の家」が忘れ難い児童文学作家の方です。この「時計坂の家」――内容も、私好みのどこかミステリアスでありながら、上品な少女っぽさがあって、この本が並べられていた池袋は「リブロ書店」の陳列コーナーの雰囲気まで、今も鮮やかに思い出すほど。

さて、この「ルゥルゥおはなしして」は、「時計坂…」のようなやや年齢層が上向けの児童文学でなく、より低学年向けのもののようですが、描かれたお話は上品で、想像力の遊びにあふれ、魅力抜群。

ここ2,3年の間に読んだ児童文学の中で「思い出のマーニー」と並ぶくらい、私の好みの作品でした。

ルゥルゥは、空想力豊かな、素敵な女の子。彼女が、自分の部屋の棚に置いてあるお人形やぬいぐるみを登場人物にして作りあげる物語――それは、小さな島に実のるさくらんぼの木から始まったり、ブタのぬいぐるみのお手伝いさんナニーが旅に出た先は、灯台のホテル(ナニーは、ホテルと勘違いしているのです)だったりするという魅力的なもの。

ルゥルゥが語る、そのお話を部屋のぬいぐるみたちもわくわくして聞くのですが(だって、自分たちが登場するのですから!)、郵便局でもらった小人つきの貯金箱が、そのまま灯台に住む木曜小人に変身し、その木曜小人とは木曜日だけいい小人でその他の曜日は、悪い小人になるなんて、とっても面白い!。ルゥルゥの想像力の素晴らしいこと!

全部で三篇のお話がつめられた、この本。終わってしまうのが、惜しくて仕方ありませんでした。挿絵もとても可愛らしく、どこか「グリとグラの絵本」シリーズを手がけた山脇百合子さんに似た画風なのですが、これも作者のたかどのほうこさんの手になるものだそう。

幾度も、繰り返して読みたくなる物語との出会いでありました。


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片付かない

2015-08-15 23:05:25 | ある日の日記
昨年末、部屋をリフィームして、半年以上たった。前の部屋の床に積み重ねられていた本やら、趣味の雑貨やら、「いらないもの」は思い切って抹殺処分にし、すっきり生まれ変わった部屋。

パソコンやプリンターを置いた机と、カリグラフィー作業用の机が右と左に並び、窓際には、小さなベッドが鎮座まします、小さな部屋。クローゼットや洋服ダンスは作りつけだし、簡素このうえなきしつらえである。「へへん、どんなもんだい」とシンプルライフを満喫していたはずのわたし。これで、「汚部屋」になるなんてことは、もはやあるまい、とうれしかったのに・・・。

だが、致命的なことに気づくまで遅くなかったのだ。部屋は、たしかにすっきりした。けれど、わたしの処理能力は、がくんと落ちてしまっていたのである。難しい本は、読むのがスゴーク大変になってしまっていて、読んでるうちにうとうとすることもしばしば。観た映画の批評をブログに書いちゃおう! と思っても、言葉がでなかったりする。カリグラフィーの額作品のデザインを考えて、「今度作りましょう」としても、その今度、はいつになるやら? である。

計画したことが、片付かないってストレスたまるなあ…。部屋の「いらないもの」は、消えてくれても、頭の中は片付いてくれそうにない。すこしずつ、すこしずつたまってゆく「頭の中の計画」=ストレスは、雪だるまみたいにふくれあがって、わたしを圧迫するのである。

と、思いつつ、気だるい眠りに誘われる夏の日の午後でありました。
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お盆

2015-08-15 13:31:31 | ある日の日記
今日は、お盆。
この頃になってくると、カッと照りつける日差しも少しやわらいで、酷暑にも一段落ついたような気がします。
我が家では、きゅうりの馬もナスの牛も作ったことがないのだけれど、昔は、玄関先で迎え火を焚きながら、ご先祖様のお帰りを受け入れたのだそう。


この風習、素敵だと思います。盆踊りもあわせて行われ、町内ごとに「盆踊り大会」があったりするのですが、ここにも顔を出さなくなって久しいなあ…。理由の一つは、昔は山のお宮の神社のふもとの公園で行われ、風情があったものなのに、この二十年ばかりは近くのスーパーの駐車場でするというすこぶる味気ないものになってしまったため。

お宮で開かれていた時は、鬱蒼とした木々の中の神社を背景に、台が組まれ、提灯のにじむような幻想的な明かりが、夜空に映えて、子供心にも「盆踊りとは、単に楽しい夏まつりじゃないんだ」と思わせられたもの。夜にまばゆく浮かび出る提灯や、神社へのぼる階段脇に点々と置かれた行燈(子供たちが書いた絵が表にあります)が、どこかあの世にいざなうような、幽明の境を越えたものに感じさせられたのです。


時は、移り変わって平成も26年の現在。駐車場で開かれる盆踊りは、近くを通れば、それなりに幻想的な風情があるのだけれど、「やっぱり場所が悪い」ような気がいたしますです。

恒例のお墓掃除もすませて、お茶。下の写真の、抹茶ゼリーと紅茶。こうしたゼリー系のお菓子はほとんど食べない私だけれど、京都の親戚が送ってくれたこれ「宇治のお茶屋さんで、売っているのだけど、すごい人気でなかなか手に入らない」そうで、とても美味しい! あんこと抹茶と、白玉の組み合わせって、美味しいんだ・・・とあんみつ系のお菓子を食べない私には、目からうろこの体験でありました。

軒先でチリリンと揺れる風鈴の音と相まって、吹きわたる風にもゆく夏の気配が忍び込んでいます。
  

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カード作り

2015-08-12 21:42:36 | カリグラフィー+写本装飾

先月末、サンキューカードを作りました。テディベアが抱いている赤いマーメイド紙のカードは、ローマンキャピタル体とカッパープレート体を使ったもの。
真ん中にヒマワリの花のイラストを描きましたが、ちょっと赤の紙が夏らしくないですね…。

時間がある時、また別のカードを作って遊ぼうと思います。
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