昨日も載せた地図ですが、赤い印が五代友厚像のあるところ。そして、地図の右下に「高麗橋」とありますね。ここが、昨日書いた梅田の交差点の「道路元標」の前身、江戸時代から明治にかけて大阪の要所として「里程元標」があったところです。
さて、中之島を歩きながら、なにわ橋の近くへ来ると、橋の向こうにうっすらと五代友厚の像が見えてきました。
なにわ橋はライオン像で有名ですが、そのライオン像の向こう側に五代像が見えます。わりに目立つところに建っているわけで、なにわ橋は何度か渡ったことがあるのに、この五代像にはこれまで全然気がつきませんでした。ま、見たことがあるのかも知れませんが、五代友厚という人物を知らなかったので頭に入っていなかったのでしょうか。
「はぁ、ここかいな。これかいな」と少し驚きました。
そしてなにわ橋を渡り、中之島とはお別れ。なにわ橋のライオン像はよく知っていますが、その前に五代様がいたとはなぁ。
せっかくなので、なにわ橋のライオン像も撮っておきました。
ちなみにこの橋は「ライオン橋」の愛称でも親しまれています。
ちょうどこの前が信号で、ライオン像に背を向けた形で見るとこうなります。
ま、いずれにしても再放送中とは言いながら「あさが来た」は3年前の朝ドラです。当時「五代さま」が大人気だった頃はここを訪れる人も多かったでしょうね。この日、写真をパチパチ撮っていたのは僕だけでしたけど(笑)。
銅像の裏側の碑文には、五代友厚が大阪発展に多大なる功績を残したという文章が「大阪市」の名義で刻み込まれているのですが、それが「平成16年12月」となっていた。へぇ。建ってからまだ14年しか経過していないのか。それなら、以前にこの辺を歩いた時に気づかなかったのではなく、まだ銅像がなかったのかもね。ふ~む。なるほど、そうだったのか。と、何となく納得。
ところで、五代友厚の像はほかにも数カ所にあるそうで、ネットでそのイラストマップを見つけました。ただし、これを見つけたのは帰ってからなので、大阪取引所以外は行っていません。ま、ひとつ見ればいいのですけどね。
こんなにあったんだ。
やはり五代友厚という人は大阪にとってよほどの重要人物だった、ということですね。なにしろ「大阪の恩人」と呼ばれている人ですから。
さて、そこから堺筋を南へ歩き、適当なところで東へ曲がると、高速道路の下に東横堀川という運河が流れている。そこに架かっていた橋が高麗橋かと思ってよく見ると「今橋」と書かれていた。
で、川沿いに南へ歩くと次の橋が高麗橋だった。お~、見つけたぞ~。
この向こうが高麗橋。
高速道路の下に東横堀川が流れており、そこに架かる橋です。
橋を渡り切ったところに、石碑が建っていました。
本の説明によると、これは明治時代に作られた里程元標の跡で、江戸時代のものは、このすぐそばにあったという。京街道・中国街道・紀州街道など諸国への道のり、車馬賃の基点となった。そして明治9年の道路の制度公布によりひきつづき里程計算の起点となり、この場所に里程元標が建てられた。その里程元標には、「東京日本橋まで百四十三里二十丁、京都三条大橋まで十三里十二丁、兵庫神戸元町まで九里三十五丁」と刻まれていた、ということだそうです。
高麗橋は、そのまま東へ行くと大阪城の今の大手前につながるので、ここが重要な場所とされたのだということも、本に書いてありました。ちなみに、高麗橋の下を流れる東横堀川は、元は大坂城の外堀として開削された運河で、現在は土佐堀川と道頓堀川につながっています。
ともあれ、現在の「道路元標」も知らないのに、昔の「里程元標」なるものが高麗橋に存在したことなんて、もちろん知らなかった。「おさんぽ」の本に誘われるままここまで来て、こういうものを見られたというのは、よかった~。いいお勉強でした。
では、里程元標跡ともお別れして…
そのあとは、ひたすら堺筋を南へテクテク。
途中、道頓堀川の橋を渡り、黒門市場を横に見たりして、日本橋を歩き、通天閣を左手に見て、終点の天王寺をめざします。
通天閣を堺筋から見るというのは、滅多にないことです。
ここはJR天王寺駅の次の駅である新今宮です。角にある「ドン・キホーテ」のところを左折し、ずっと歩いて来た堺筋とお別れをして天王寺に向かいます。行く手にあべのハルカスがチラッと見えています。
もうどこにも寄らずまっすぐ天王寺まで、と思っていたのが、新世界のジャンジャン町があったので、久しぶりに歩いてみようと、少しだけ寄り道。
名物の串カツ屋などが並んでいますが、中のお客さんたちがみんなジョッキーでビールを飲んでいるのを見て、思わず生唾がゴクリ。お客さんは若い人が多く、特に若い女性の多いのには驚きます。女性たちも、ビールやお酒を楽しそうに飲んではりました。
中でも、この八重勝という店は、いつ見ても満員で、この日もお客さんが並んでいました。他にも超満員の店が2つ3つありました。しかし、1人の客もおらず、店員さんだけポツンと椅子に座っている店もあれば、パラパラっと数人だけお客の入っている店も結構あり、この差っていったいなんだろうな、と思いますね。
ジャンジャン町を後にして、再びあべのハルカスを眺めながら天王寺へ。
時計を見ると午後3時過ぎでした。10時に家を出て、5時間以上経ちました。
さぁ、阿部野から近鉄電車で藤井寺へ。さらに駅から20分ほど歩いて帰宅ということになります。4時過ぎぐらいに家に帰れるかな? 家に着いたらさっそく冷たい「お飲み物」でのどを潤さなければならない。ジャンジャン町で、人々が楽しそうに飲む姿を見せつけられた後ですからね~
負けちゃ~いられませんわ。
ずっと歩き続けて重くなった足取りも、あべのハルカスが近づいてくると、なぜか歩調も軽くなり、速度も自然に速くなる僕でした(笑)。