御津神社(みとじんじゃ)は、蒲郡市と豊橋市の間の豊川市にありました。
豊川稲荷のあるところなのだと、私は下書きをしながら思っています。
豊川稲荷には、行ったことはないからですね。
私はららさんの車に乗っていて、みーららさんの車は後からついてくるようにして、カーナビ通りに行った訳ですが、なんだか狭い道を行ったりして、初めての道のりは大変そうでした。
そして、御津神社に着いたのは、4時少し前でした。
由緒書きも立派で、境内はかなり広いこともわかりました。
とりあえず、みんなで鳥居をくぐって少し行くと、京都の貴船神社で見たような、船の形の磐座(いわくら)がありました。
なかなか大きい物ですね。
そして、その奥の鳥居の横には、かなりな大きさのクスノキがありました。
みんなでまた驚いて階段を昇って行くと、開けた広い場所があり、右手には社務所と池があり、正面に拝殿が見えました。
キレイになっているし、荒れた感じではないのですが、社務所は閉まっていて、とにかく誰もいないのです。
なんだか、勿体ない感じですね。
立派な拝殿でお参りしました。
右手奥の方にも、末社が沢山ありました。
左手奥の方に行くと、また末社があり、ここでは、沢山光が入ったので、みんなで撮影会をしていました。
なんだか、とてもいい感じの神社なのに、寂れてしまって来て欲しかったのかなと思いました。
みんなでご飯を食べている時に、御津神社に行ったら、「三三七拍子をやってくれ」と言われていたので、鳥居を出る直前の場所で、私が音頭を取って、全員でやってみました。
みんな笑っていました。
誰もいなくて、良かったです。
そして、鳥居をくぐってから振り返って見ると、白い雲が出ていました。
私達は、少し寒くなったのもあり、すぐ近くにあった喫茶店に入り、甘酒などを注文して、暖まりました。
初老の男性1人のお店でしたが、果物やお菓子も出してくれて、サービス満点でした。
その方に、御津神社のことをお聞きすると、実は由緒的には、豊川市にある三河国一宮の砥鹿神社(とがじんじゃ)よりも格上で実はここから分かれたとのことでしたよ。
改めて調べてみると、
🌟御津神社の祭神は大国主命で、創建年月は西暦以前にさかのぼるといわれ、あまりにも古く記録がないため不詳です。
御津町の歴史も古く、8代天皇の孝元天皇(西暦前200年)が当国の行幸の時に、御船を此の津に寄せられたことから、当地を「御津湊」(みとみなと)とされたことが惣国風土記に記されています。
その時、天皇は既に此の地にあらせられる神社に対し、御津神社の名を賜ったとされています。
境内にそびえる大楠は神社のシンボルで、樹齢1,000年を超える町内最高齢の樹木です。
大きさは、目通り九・二五メートル、根回り一三・六四メートル、樹高二一・〇メートル。
確かに、古い神社だとわかりましたね。
由緒書きにあった御祭神です。
ここの例大祭は、「烏賊(いか)祭り」と言って、喫茶店のマスターによると、昔は生のイカを配ったそうですよ。
この記事のタイミングが、バッチリ合ってしまったのは、私としては驚きです。
まさに「烏賊祭」は、今日ですね。
🌟太古には神社の近くまで海だったといわれ昔から伝わる全国でも珍しい「いか祭」神事が「いか」を供えて行われます。
平成31年4月20日(土曜)から平成31年4月21日(日曜)
平成31年4月20日(土曜)から平成31年4月21日(日曜)
20日:午前10時から午後5時
21日:午前9時から午後5時30分
午後3時より神輿渡御
午後5時より餅投げ
と、いうことで、お近くの方は行ってみてくださいね。
さて、私はららさんの車で豊橋駅に向かい、他の三人はみーららさんの車で名古屋に向かいました。
三人は、名古屋に泊まり、次の日は知多半島の荒熊神社に行っていました。
ららさんが、18:00代に「ひかり」があるからと言っていて、待っていましたが、スピードが早いので人気が高く、自由席もかなり満員で、新横浜まで立って帰りました。
一時間ちょっとだったので、大丈夫でしたけどね。
いつもの通勤に比べればということで、日頃は大事ですね。