「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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ハナちゃんの話

2019-04-03 07:30:12 | 日記
ゼウスの後に話してきたのは、座敷わらしのツカヘイでした。


ツカヘイです。
テストが出来ました。

何のテストですか?

ノンストップで、ヨーロッパに行って来られました。
ヨーロッパのスペインで、ハナちゃんは生まれ変わっていました。
だから、連れて来られたのです。
ハナちゃんは、今はヤスケとキミより小さいです。
でも、すぐ大きくなるでしょう。


私はやっぱり驚いていました。
どういうシステムになっているのかわかりませんが、ハナちゃんは生まれ変わっていたようです。

そのハナちゃんが話してきました。


ハナです。
(私が死んでしまった時に)お墓参りありがとうございました。
今は、スペインのバルセロナで生まれたのですが、ツカヘイさんがヤスケとキミを連れて迎えに来てくれました。
Iさん夫婦と一緒に日本に帰ります。

スペインの親は、悲しまないですか?

スペインの親は大丈夫です。
石の家にいるので、日本より長生きですからね。
ヤスケとキミが積み木で作っていたのは、ガウディの建物だったので繋がりました。
ありがとうございます。
また、親子で暮らせます。

ハナちゃんは、いつ生まれたのですか?

私は、年の始めに生まれました。
去年のですね。
プーケットに来たら繋がると、伝えていたのです。
Iさんのお陰ですね。
伝えてくれたみゆきちゃんとM子さんのお陰です。


ヤスケとキミが積み木が欲しいと言っていたのは、ずいぶん前のことで、Iさんは探し回ってくれました。
最終的には、Amazonで取り寄せていたのですが、ヤスケとキミは設計もしたいと言って、製図のノートも揃えてくれていました。

記事にしていたので、読み返してみると、昨年の2月の話でした。
ハナちゃんは生まれてすぐに、スペインで生まれていたことを伝えていたのでしょうか?


🐶座敷わらしのツカヘイの話



私は、また調べることが出来てしまいました。
前回で、カナリア諸島がスペイン領であることに驚いていたのは、ハナちゃんがスペインのバルセロナで生まれたと言っていたからですね。

地図で見る限り、カナリア諸島は、スペインとはずいぶん離れていたからです。

そもそも、ガウディのこともよくわからないので、バルセロナに関係しているのか?と思いながらノートに振り子で読めるままに書いていたのです。


ガウディを調べてみました。




🌟アントニ・ガウディ(カタルーニャ語:Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet, [ənˈtoni gəu̯ˈði i kuɾˈnɛt] 1852年6月25日 - 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。
19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。
サグラダ・ファミリア(聖家族教会)・グエル公園(1900-14)・カサ・ミラ(1906-10)をはじめとしたその作品はアントニオ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されている。


1878年に建築士の資格を取得している。
当時のバルセロナ建築学校校長で建築家のアリアス・ルジェン(エリアス・ロジェント、Elies Rogent)は、ガウディについて「彼が狂人なのか天才なのかはわからない、時が明らかにするだろう」と言ったと伝えられる。
同年、ガウディはパリ万国博覧会に出展するクメーリャ手袋店のためにショーケースをデザインした。
この作品を通じてガウディの才能を見初めたのが、繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエル(エウゼビ・グエイ)であった。
グエルは、その後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援し、グエル邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計を依頼した。
1883年にはサグラダ・ファミリアの専任建築家に推薦される。


ガウディは後半生を熱心なカトリック教徒として過ごした。
1914年以降、彼は宗教関連以外の依頼を断り、サグラダ・ファミリアの建設に全精力を注いだ。
しかし、親族や友人の相次ぐ死によるガウディの仕事の停滞とバルセロナ市が財政危機に見舞われたことによってサグラダ・ファミリアの建設は進まず、同時に進めていたコロニア・グエル教会堂の建設工事は未完のまま中止されてしまう。
さらに1918年、パトロンのエウゼビ・グエイが死去した。


1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中、この日眼鏡を家に忘れた彼は段差に躓き転倒、そこに通った路面電車に轢かれた。
晩年身なりに気をつかわなかったため、浮浪者と間違われて手当てが遅れ、事故の3日後に73歳で息を引き取った。遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬されている。
女性恐怖症であったらしく、終生独身であった。


調べるとガウディは、やっぱりバルセロナの人だったのだと思いました。


私は、この時にまだプーケットにいたIさんに、取り急ぎ伝えていました。


私) ハナちゃんは、去年の初めに、スペインのバルセロナで生まれていたらしい。
ヤスケとキミの積み木は、ガウディからきていたみたいだよ。


Iさん) 昨夜の2時半から3時ぐらいまでの間、神様に起こされて、深夜のプールサイドに行ってね、空を見たらたくさんの神様と、大きな鳥の神様と、ツクヨミさんがいるのさ。





それで、今回のタイで初めて祝詞を完全にあげたの。
そしたら小さなワラシさんが左の足元に来てね。
ハナちゃんかなぁ、、とは、思ったんだけど、それでさ、コニャにスペインだなぁ、、って、今、朝食食べながら話してたんだよ。

驚くね。

次はスペインで、ガウデイを見に行かないとな、、、ってさ。
帰ったら良いツアー探しといてくれと。

今この📩を開けて心底驚いた。

ハナちゃんいるよ。
小さいけどね。
ガウディ、ガウディ、ってさ。
言うんだよ。


やっぱり、Iさんはわかっていたようですね。


2月22日に話してきたのは、カラツの神でした。


カラツの神です。
ツカヘイの奥さんのハナちゃんに会ってきました。

プーケットに行ったのですか?

変わらない愛の弟のIさんがいるから、胸のアザから行けるのです。
ハナちゃんは、まだ小さいです。
ヤスケとキミよりね。
でも、すぐ大きくなるでしょう。
熱海に行ってくださいね。
ランドマークの初島にもね。


この時も初島と言われていたのです。
神様達は、何度も繰り返し伝えてきますね。


Iさんの胸のアザの話は、私達が出会ってすぐのことで、もう四年前のことなのに、やっぱり続いていたのだと、認識しました。

今、記事を読み返してもその時のことを思い出して、やっぱり不思議な気持ちになりますね。

🐶「暗黒神話」



続きます。

コメント (2)
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