「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

令和になって

2019-05-27 07:30:31 | 日記
5月1日に令和に元号が代わりましたね。

朝から、愛知県在住のOさんから、ドン開きの荒熊神社の金弊の写真が送られてきました。







みこちゃんからは、皇居の上空の写真が送られてきました。
沢山の神様達が集まっているように見えますね。



みゆきちゃんからは、あかりちゃんの写真が。。。



国民の皆様が祝福の中で、穏やかに元号が代わって良かったですね。

次の日の5月2日に、いつも替えている金龍さんの塩を替えていました。
マンションの四隅に置いているのです。

金龍さんの塩は、私の振り子で見ると、プラス20の塩で、一般的な塩よりパワーがあるのですが、初めに置きだした時は、1ヶ月置くとマイナスになって捨てていたのが、だんだんと劣化しなくなって、リビングに置いた塩は、逆にだんだんパワーが上がるようになっていました。
しばらくはプラス50でしたが、昨年からは、プラス60になっていました。

そして、今回のことですが、一番始めに替える玄関の塩がプラス30になって驚いていると、リビングの塩は、プラス70になっていました。

神様達は、私のパワーを80の何乗という言い方をしますが、80まで上がるのかもしれませんね。

5月2日は、Iさんは上高地にコーヒーを飲みに行っていました。



有名な合羽橋(かっぱばし)は、鳥居のように見えますね。
そして、またお約束の日輪が。。。





川原でのコーヒー、美味しそうでね。


そして、「魂の会」に、はるばる会津若松からいらして下さった、Mさんから📩がきました。


会津若松のMです。
先日はお疲れ様でした。
協力して下さった各リーダーの皆様にも大変お世話になりました。
本当にありがとうございました。


お会いできたこと、まさに夢のようでした。
人間って、面白いなあ・・・とか、
やろうと思えばできるんだなあ・・・とか、一週間たって、じわじわとかみしめています。
M子さんにお会いしたらやってみたいと思っていたことが、ほぼすべてやれたと思い、満足いたしております。

帰りのフェリーでの出来事は忘れません。
とても幸せな気持ちになりました。
自分の事のように喜んで下さった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
「Mは良かったな」とおっしゃっていたのは虹龍さんでよろしいでしょうか。
お時間と余裕のある時に聞いていただけると幸いです。


帰りは伊豆山神社に寄らせていただきました。
無事に参加出来たことのお礼と報告をし、走水神社にも寄らせていただき帰途につきました。


その道中でのことです。
私達の車は渋滞を回避するために迂回路を選択したのですが、細い山道で前方の車が対向車と鉢合わせで動けなくなったため、今来た道を引き返し別のルートを行くことにしたのです。
初めて通る道ですから土地勘など、あろうはずもございません。

少し広い道路に抜けて、しばらく走ると左側に古民家を改装したであろうお店の看板が目に止まりました。パン屋さんとわかるととっさに「ここでパンを買わなくては」と思い立ち、主人にすぐ引き返すようお願いして、閉店間際でしたが、いくつか買い求める事が出来ました。
何かの史跡のような場所で、説明版も立ってはいましたが、帰りを急いでいたのでろくに見もせずに車に戻ったのです。
すぐにおやつにいただいたのですが、とても美味しいパンでした。
食べた後眠くなって、主人には申し訳ないですが、ずっと寝ながら帰りました(^^)。

無事に帰宅してから、レシートを見ると、”MUGIHUMI”というお店で、住所は小田原市江の浦・・天正庵跡と書かれてありました。

それでも「天正庵??」という感じでよくわからなかったのですが、次の日調べてみてかなり驚いたのですね。
そこは、秀吉さんと利休さんゆかりの場所だったのですね。

どうも私達は連れていかれたようです。
なんといいますか、ねぎらっていただいたようです。
”ご苦労様、美味いパンがあるから食べて行きなさい”という感じでしょうか。
このお店今年の一月にオープンしたばかりですが、すでに評判になっているようで、本当に美味しかったです。




この写真は、少し前にMさんがご主人と車で走っている時に出た、水平の虹だそうで、お会いした時にいただきました。
空いっぱいの虹だったそうですよ。
虹龍に聞いてみると、やっぱりそうだったらしく、喜んでいました。


そして、小田原の「天正庵跡」を調べてみると、


🌟「ここは、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原戦役の際、秀吉が千利休に命じて、大野五郎兵衛の屋敷内に茶室を設けたところである。

『天正庵由来記』によれば、「天正18年5月の頃、秀吉公、小田原の北条を責める折柄、諸将の労を慰めんとて、利休、前波半入らに命じて当村五郎兵衛屋敷内に数寄屋(茶室)を囲い結ばしめ、橋立の茶壺、玉堂の茶入れ、その他の名器等をかざりつけ、公(秀吉)手づから茶を点じ、徳川家康、織田信雄、細川忠興、蒲生氏郷などに給り、饗応の中、公興のあまりに、給仕の青女房に金の扇子10本ばかり取り出し、躍れ躍れと利休、半入、女房達と共に興じければ、諸将各長陣の労を忘れける」とある。
天正庵の大野家には、秀吉から拝領の酒器、木杯や、秀吉が使用したといわれる碁盤が保存されている。


彼女が、会津若松から私とIさんにと、持って来て下さったのは、千利休の息子さん由来のお饅頭だったのです。
だから、彼女が呼ばれたと感じても不思議ではないですね。



そして、その後のMさんの📩


5月7日にCT検査を受けて来ました。
やはりきれいな状態でした。
毎回、検査はドキドキしますね。

先生がおっしゃるには、これはレアケースだということです。
私もそうじゃないかと思っていた
ので「うすうすそうではないかと思ってました~」
なんて呑気にこたえていたら、

「もしかしたら、遺伝子異常かもしれない。」
なんておっしゃって、遺伝子検査を勧められたりしています。
私が使った抗がん剤がその手の患者さんに有効なタイプのものだったからという事らしいのですが、そもそも根治を目的としておらず緩和ケアとしての治療だったので、今の状況は説明し難いとは想像できます。

わざわざ調べるのにもお金かかりますし・・・
アンジェリーナジョリーさんが受けて大胆な予防措置を取られたあの検査です。

ということで「へ~、そんなんだ。」と一旦、聞き流すだけにしておきました。


【中略】


私は沢山の方たちに(目に見えない存在も含めて)支えられて今があると思うので、この場をお借りして感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
「いつもありがとうございます。しいたらさやわ。」
M子さんを通して伝わりますように。

M子さんのブログは、だから
”希望”です。
いつもありがとうございます。

応援していますし、またお会いするのを楽しみにしています。



希望を持つことで、細胞を変えてしまうのかどうかはわかりません。
私は、Mさんと何年か電話で話してきていたので、やっぱり奇跡は起こるのだと、感動しています。

私が伝えている神様達の言葉には、パワーがあるのでしょうか。
がんばってブログも続けていこうと思いました。

コメント
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