「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

三鷹のアメノウズメです。

2019-05-31 07:30:46 | 日記
四年前にジブリ美術館の近くにある祠を三鷹の旗神社と私達が呼んで、久しくなりましたが、私のブログの読者の方々が、行かれたことを伝えて下さったり、周りの皆様にも大事にして頂いているのは、本当に嬉しいことです。


アメノウズメは、必ず「三鷹のアメノウズメです」と言って、話が始まります。
5月8日に、また同じように話してきました。


三鷹のアメノウズメです。
羅漢が増えましたね。
私のところに来てくれる人が多くなりました。
かたじけないことです。
あの時から、もう四年経ちましたね。
本当に来てくれるとは、思いませんでした。
リーーーーラーーーーの花もわかってくれたのは、アワツの話が出来る人だとわかった瞬間でした。


リラの花は、ライラックとも言いますが、この時のIさんのことを思い出していました。
私が、「アメノウズメがライラックが欲しいと言っている」と言ったために、彼は沢山の花屋さんに問い合わせをしていたのです。
ライラックの時期は、本当に短くて、枯れやすいので、扱っている花屋さんはあまりないことも、この時にわかりました。
やっと田園調布の花屋さんで見つけて持って来てくれたので、アメノウズメはとても喜んでくれたのですね。


🐶 ライラックの花




K会長が今年送ってくれた、ライラックの花。



続きです。


Iさんは、私が助けた子供でした。
越後湯沢の川に落ちてしまった子供が、わかってくれたとは、思いませんでした。
辣腕なゼウスが、穴を開けた子供だったのですね。
熱海のマンションに行って、体を癒したらいいですよ。
魂の癒しになりますからね。


この話も、Iさんが北海道の山道を歩いている時に、わかった話でした。「千と千尋の神隠し」の千尋が、川に落ちた時に助けたのは、ニギハヤヒミコハクヌシでしたね。

やっぱり、助けてくれる神様はいるのだなと思いました。

過去記事で越後湯沢の話は、ニギハヤヒの話だったし、ゼウスが穴を開けたと言っていたのは、タケミカズチの話でした。


🐶大雪山のニギハヤヒ



🐶 タケミカズチの話



続きです。


アワツの言葉がカタカムナです。

アワツとは、何なのでしょうか?

アワツとは、プレアデスのタイゲタ星のことです。
日本の地名に残っているでしょう。
「アワツ小湊」とか「アワツ神社」とか。
元々は、沢山ありましたよ。
カミドと書いて「神戸(こうべ)」とか、元々あった地名は消されていますからね。


私は、「アワツ小湊」はどういう字を書くのか調べてみて、あぁ、そうだったのかと思いました。

アワツは「天津」と書くのですね。
祝詞の「天津神、国津神、八百万の神達ともに」の「天津」なのだということですね。


続きです。


「神奈川」もそうですよ。
「巫(かんなぎ)」からきています。
大山もありますからね。
三浦半島の走水の古墳も知られてないですが、縄文の時の要所でした。
走水にいたのは、ヤマトタケルとオトタチバナヒメと言われていますが、違いますよ。
真の話はまだ出来ませんが、3000年前の話がわかってくれて、嬉しいです。
M子さんは、友達が増えて豊かな老後になりましたね。
Iさんは、令和になって世界に出られるでしょう。
変わらない愛は、続くのです。
ありがとう。


私は、アメノウズメの言葉にウルウルしてしまいました。
このブログも、毎日400人以上の方が訪問して下さっています。
「かつこ内親王」を始めた時は、20人くらいでした。

「魂の会」の参加者の方も50人以上になり、友達はどんどん増えていますね。
私は五十代になってから、これだけの友達を増やすことが出来るとは思いませんでした。
本当に豊かな老後になりそうで、嬉しく思っています。
確か、仏陀が言っていた「一番の財産は友達」という言葉通りだと思うのですね。


そして、アメノウズメが言っていた古墳のことですが、私がテレビ番組を観ていたからだったのかと、思いました。

🌟4月29日の『新説!所JAPAN』
【日本人のパワースポット好き大調査&新発見!夫婦円満(秘)名所】

いろいろな、パワースポットの話の中で、解説をしていた磯田道史さんの持ち込み企画で、横須賀市の走水神社近くの古墳の話があったのです。
要約すると、


1999年に長柄桜山古墳群が発見された。
走水神社の御朱印帳にヤマトタケルの奥さんオトタチバナヒメが描かれている。
磯田道史はヤマトタケルノミコトは12代景行天皇の息子で、日本を統一していった英雄だと説明した。
「ヤマトタケルは走水神社の近くの岬から房総半島に渡る時に『こんなの走って跳んでも渡れる』と言ってしまったため神の怒りを買い、船が大荒れとなった。
その時にオトタチバナヒメは海に身を投げ生贄となった。その時に櫛だけが御所ケ崎に流れ着いた」と説明した。
同様に千葉県側にもオトタチバナヒメの櫛を埋めて作ったと言われる吾妻神社と橘樹神社がある。
しかし、4世紀の巨大古墳がこの三浦半島に見つかった。
磯田道史はヤマトタケルとオトタチバナヒメと関係がある夫婦墓ではないかと推測したという。
「伝説と古墳を結びつけてはいけないのはわかっているけどロマンがある」と主張。
古事記にはヤマトタケルは白鳥になって飛んでいったとされ白鳥が止まった場所が白鳥塚古墳とされている。
しかし生前に古墳が作られることが多く、同一人物の墓が複数あることもあると指摘。

磯田道史は古墳は住みやすいところに作られやすいので、宅地開発で壊されることも多いので残っていてよかったと話した。
そして、第一発見者の東家洋之助さんに挨拶、東家さんは1人で見つけたという。
何回も山を散歩していると人口の山っぽいと感じたと話した。
古文書も伝承もないハイキングコースだったが、東家さんは証拠探しを始めた。
6年間が過ぎ、携帯電話のアンテナ基部を作るために整備され始めると埴輪が土から出て落ちていた。
埴輪の一部の突帯が手に入れられると古墳の証明になる。
東家さんの見つけた欠片が突帯だった。
その破片を見て担当者が駆けつけたと話した。
磯田道史は一般の人が見つけるのは異例中の異例、星発見するよりすごいことで日本史上今後ないことだと絶賛した。
東家さんは「よく言ってくれました」と喜んだ。

スタジオトークで、磯田道史は歴史的発見でアマチュアが関わることはあるが、東家さんは定年後にアルバイトで発掘をして考古学を学び直したことがすごいと話した。


テレビ番組の中で、磯田先生がかなり興奮していて、面白かったのですが、古墳に実際行って、正面に富士山が見える場所では、興奮のピークになっていました。

走水神社は、2年前の5月5日にいくちゃんとみこちゃんと3人で行きましたが、
古墳は知らなかったことなので、いつか行ってみようかと思いました。


🐶走水神社に行って来ました

コメント
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