「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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「防災の日」に

2019-09-01 07:30:31 | 日記
Iさんは、私達5人(K会長、みこちゃん、いくちゃん、みゆきちゃん、私)のために、月山山頂の月山神社本宮のお守りを求めてくれました。

その月山のお守りは、最近いただいたのですが、Iさんがパワーがスゴいと言っていた時に私が振り子で見てみると、プラス40になっていて、やっぱりパワーは強いことはわかりました。

私のお守りは、結構増えていますが、プラス40のパワーは初めてだったと思います。



ところが、そのせいだったのか、Iさんには大変なことが起こっていました。


Iさんの📩


パワーが上がりすぎたのか、、、
パソコンが二台とも、、、
壊れた、、、


それについて7月17日に話してきたのは、プレアデスのタイゲタ星のホツマツタエの神でした。


うわついていないからいいのだろうな。
リーインカネーションのことがわかるからいいのだろうな。

どなたですか?

タイゲタ星のホツマツタエの神だよ。
繋がりが出来た人が多くなって良かったな。
目立っているIは、大変なことになっていたな。
パソコンが壊れたと言っていただろう。

はい、2台壊れたらしいです。

パソコンが壊れたのは、月山のお守りのせいではないよ。
Iのパワーが上がり過ぎたからだよ。
誰でもではないが、変わらない愛のパワーが増した時、電磁波が出るのだよ。
原因不明のことだから、仕方ないよ。

知床連山に、ノナのお兄さんが全部揃ったと聞きましたよ。

ノナの兄が全部揃ったな。
本当に早かったと思うよ。
羅臼に行ってくれたからな。
知床の岬は、自然の宝庫だっただろう。
齢(よわい)を重ねてわかることだが、自然がどれほど体にいいかということだよ。
利尻と羅臼に行ってくれたから、後は四国だな。
M子は、まだ行ってないだろう。
かつてのことだが、四国は魂の出来る場所だったのだよ。
問題はないから、来年は四国とハワイ島に行ったらいいよ。


その日にみゆきちゃんから📩がきました。

夜、またヲシテの神が来ていました。話したいみたいなのでお願いします。

Iさんも、同じことを言っていたので、7月18日にヲシテの神と朝から話していました。


ヲシテの神だ。

Iさんとみゆきちゃんのところに行きましたか?

行ったよ。

何かありましたか?

話したいことがあったのだ。
知多半島の荒熊の神と、仲良くなったよ。
初めて会ったのだが、猿田彦の息子だと聞いたよ。

はい。そう聞いています。

旗神社のことも、わかっているそうだな。
私は、カタカムナからヲシテ文字を作った。
人に伝えるには、言葉だけでは無理だったからだ。
境の神のタセツの神(宇摩志阿斯訶備比古遅神)もわかったらしいな。
M子はノナの魂だと聞いたよ。
パワーが半端ないからスサノオノミコトが若返りの薬を作っているらしいな。
熱海のマンションに行ってもいいか?

はい。どうぞ。

全部、カラツの神が教えてくれたよ。
私の眷属がIの古傷に訴えていたことは、死ななくて良かったと思うほど、強いものだった。
私は、鎧が重くて出られなかったが、今はスカイウェイに乗って、世界中に行けることがわかった。
オーストラリアのウルルに行って来たよ。
オーストラリアは、アポリジニがいるからな。
縄文の時は、一緒に話し合っていたよ。
からくれないに水くくるとはだな。
血で血を洗う戦いは、何度も繰り返されてきた。
人が増えたからか。
問題は、境があることなのだよ。
境のない世界にしたいと、スカイウェイが通って思う。
利他の心で頼んだよ。


ヲシテの神は、奈良の天安川(あめのやすかわ)神社にいた天之尾羽張(あめのおはばり)と言われる神様ですね。
Iさんにとっては、歩けなくなったりして大変なことでしたが、なんだか自由に動けるようになって、楽しそうで良かったです。


その後に話してきたのは、ヲシテの神が言っていた荒熊の神でした。


天(あめの)が付く神は、タイゲタ星から来た神が多いよ。
知多半島の荒熊の神だ。
清水(宮司)は、護摩焚き(ごまだき)しているな。
父の猿田彦が入っているので、体は大丈夫だ。
未来は、私達にもわからない。
人が作っていく話だからな。
かつての三河湾地震は、ないことにされていたからな。



この記事が、9月1日になったのは何か不思議なタイミングですね。
「防災の日」だからです。
この時に荒熊の神が言っていたのは、1945年に起きた三河湾地震の話でした。
私はこの頃に起きた地震のことは、もちろん知りませんでした。
何故なら、隠されていたからのようです。


🌟三河湾地震は愛知県三河湾を震源とし発生した直下型地震である。1945年前後で発生した4大地震(昭和南海地震・鳥取地震・昭和東南海地震)の一つである。

概要
発生日時:1945年(昭和20年)1月13日午前3時38分28秒
地震規模:M6.8(M7.1という説もある)
最大震度:6(現在の震度階級で云うと7 明治村・桜井村・三和村などで記録)
地震の種類:直下型地震
余震回数:有感地震196回 無感地震718回
最大余震:1945年(昭和20年)1月16日 
死者:2306名
家屋全壊・半壊:23776棟

太平洋戦争の最中に発生した。
そのためか軍部が国民の戦意を低下させないために情報統制を行ったため、詳しい被害状況があまりわかっていない。
1ヶ月前に発生した昭和東南海地震の余震であるといわれている。
なお、この地震が敗戦を早めたといわれている。(中部工業地帯の軍需産業の拠点が壊滅状態に陥ったため)

この地震により家屋が倒壊したり、沿岸部では大規模な液状化現象が確認されたりしている。
そのほか愛知県額田郡幸田町では延長20kmの大規模な地震断層が発生した。この断層は現在深溝(ふこうず)断層と呼ばれている。


この地震は、日本の中では知られていなかったのですが、アメリカはすぐに国内のニュースにしていたようですよ。

いろいろなタイミングで、太平洋戦争は終戦を迎えることになったのですね。

終戦から70年以上の時が経ち、また地震はいつどこに起きてもおかしくないのだと思います。

私の父は、今年96歳になりますが、大正12年の9月1日に起きた関東大震災の年に生まれたのです。

日頃から、油断はしてはいけないということだと思いました。


🌟「防災の日」は、1960年(昭和35年)に、内閣の閣議了解により制定された。
9月1日の日付は、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんだものである。
また、例年8月31日 - 9月1日付近は、台風の襲来が多いとされる二百十日にあたり、「災害への備えを怠らないように」との戒めも込められている。
制定前年の1959年(昭和34年)9月下旬には、9月26日に上陸した伊勢湾台風が史上まれにみる被害をもたらした。


コメント (2)
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