「萬盛」さんの箱蕎麦を美味しく頂き、「澤蔵司稲荷」に向かいました。
本堂にご挨拶をして右手の坂道を降りて行きました。
立看板には、「善光寺坂のムクノキ」と書いてあり、道路の真ん中にあるのですが、読んでみると、昔はこの辺りも傳通院の境内で、澤蔵司稲荷の御神木でもあったようです。
澤蔵司稲荷は、お寺の右手の方に降りて行く感じなのですが、上から見ても明るくキレイになっていました。
他に人は誰もいなくて、私が社の前にしばらくいると、猫がやってきて真ん中でポーズを取っていたので、写真を撮ろうとしてスマホを出すと、いつもはほとんどしたことがない自撮り画面になっていて、慌てて変えようとしていると、猫はスルスルとどこかに行ってしまいました。
じっくり見ると、結構迫力ありますね。
小石川七福神の地図に、「萬盛」さんが紹介されていました。
私は、約10年前と6年前に澤蔵司稲荷に来たのですが、それは私がまだ祖母におんぶされていた頃からいるらしい、アクネの神が澤蔵司だったと言っていたからでした。
「傳通院」の山門です。
本堂にご挨拶をして右手の坂道を降りて行きました。
立看板には、「善光寺坂のムクノキ」と書いてあり、道路の真ん中にあるのですが、読んでみると、昔はこの辺りも傳通院の境内で、澤蔵司稲荷の御神木でもあったようです。
太平洋戦争の東京大空襲の中、生き残ったとのことで、昔は23㍍の高さの木だったそうですよ。
澤蔵司稲荷のところに行くと、歴史探訪らしいグループの人達がゾロゾロと歩いていました。
私は、まずはお寺にご挨拶をしました。
6年前に来た時は、工事中だったのですが、とてもキレイになっていました。
澤蔵司稲荷は、お寺の右手の方に降りて行く感じなのですが、上から見ても明るくキレイになっていました。
他に人は誰もいなくて、私が社の前にしばらくいると、猫がやってきて真ん中でポーズを取っていたので、写真を撮ろうとしてスマホを出すと、いつもはほとんどしたことがない自撮り画面になっていて、慌てて変えようとしていると、猫はスルスルとどこかに行ってしまいました。
あ~あ、やっちまったなと思いながら、階段を昇っていると、コンクリートのところにさっきの猫がいて、やっと撮ることが出来ました。
じっくり見ると、結構迫力ありますね。
猫は、またスルスルと上がって行ってしまい、いなくなってしまいました。
お寺の四百年祭の提灯は「萬盛」さんの奉納だとわかりました。
小石川七福神の地図に、「萬盛」さんが紹介されていました。
私は、約10年前と6年前に澤蔵司稲荷に来たのですが、それは私がまだ祖母におんぶされていた頃からいるらしい、アクネの神が澤蔵司だったと言っていたからでした。
🐶 沢蔵司(たくぞうす) その2
澤蔵司稲荷は10年前から比べると、ずいぶんキレイになったと思いました。
やっぱり四百年とは、明治から現在がたった150年と思うと、長い歴史な場所なのだと思いました。
この日に行ったのも、タイミングだったのですね。
私は、次の目的地の川崎大師に向かいました。
続きます。
ヤベ~漢字の奴ですな(*`艸´)
斜に構えて凄んでいるし
何より口もとで笑って見せているところが
もう・・・ヤクザですね( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
見れば見るほど吸い込まれる怖さ
閻魔大王の使いでしょうか(((;ꏿ_ꏿ;)))
前にここに行った時は盛萬さんがお休みだったのでまた行きたいと思います。
やっと、写真を撮ったので、じっくり見たのは、下書きする時でした。
なんだか、不思議な現れ方の猫でしたよ。
ヤバい感じですかね。
四百年続いている「萬盛」さんは、やっぱり頑張って欲しいですね。
コロナ禍で、心配だったので、変わらず営業していて、良かったと思いました。
猫は、確かに迫力ありましたね。(笑)