前回の話の中で、根本から伝説は違うのではないかと思った話があったので、私はノートを探していました。
神様のノートは、現在はNo.93にになっています。
私が探していた話は、No.90にありました。
4月20日くらいに、四国行きの計画をしていたのですが、コロナウィルスの非常事態宣言のために延期を決めた3月25日に、Iさんからいつもの如く、誰かが話したいと言っているという📩がきたので、振り子を持ってみると話してきたのは、ニギハヤヒでした。
レーーーーイーーーーになったニギハヤヒだ。
Iに伝えてくれ。
何を伝えればいいですか?
しーーーーどーーーー(志度)は、M子がいないとダメだよ。
真珠島にある不比等(ふひと)の妻だった海女の墓に行ってくれ。
その後に、鴨部八幡宮(かどはちまんぐう)だ。
鳴門、墓、鴨部八幡宮の順番だよ。
志度寺は行った方がいいですか?
志度寺はいらない。
その後に穴吹だから、昼からでいいよ。
次の日に、剣山に登るのだろう。
楽しみだな。
何か用意する物はありますか?
用意するのは、こーーーどーーーもーーーの髪だよ。
男の子の髪の毛が欲しい。
五歳くらいの男の子の髪の毛だ。
みこに頼めばいいだろうな。
不比等が必要だと言っている。
ニギハヤヒに言われた順番に7月の旅は巡りました。
海女の墓があるのは、調べると志度寺になっているのですが、そこは行かなくていいと言われていました。
五歳くらいの男の子の髪の毛は、美容師のみこちゃんに頼めばなんとかなるだろうと思っていましたが、彼女はしっかり用意してくれました。
ニギハヤヒは、不比等が話したいと言っていたので、次の日の朝に呼んでみました。
藤原不比等だ。
志度に行ってくれるそうだな。
はい。
私の母のことは、大きなスミで塗られた話だよ。
母は、面向不背(めんこうふはい)の玉を龍から命懸けで奪って来た。
私はまだ幼かったので、覚えているのは玉が美しかったことと、母の無残な姿だけだ。
この後に、振り子はしばらくグルグル回っていました。
悲しいことだな。
好きになってしまったので、仕方なかったのだろうが、私のためにしてくれたことだと思うと、生まれてこなかった方が良かったのではないかと、ずっと思いながら生きていた。
だから、必死に学問をしたのだよ。
私は「日本書記」の編集に携わったが、あれはほとんど作られたものだ。
藤原の都合で作られたよ。
だから、バチが当たったと思う。
みんな一気に死んでしまったからな。
今は、どの世界にいるのですか?
私はまだ神にはなれないようだ。
霊界にいたのが長かったよ。
生まれ変わっても霊界にいた。
今は菩薩界にいるので、神を目指そうと思う。
昨日、ニギハヤヒ様に子供の髪の毛を用意するように言われましたが、、、
母が亡くなった時の私のことが忘れられないようだから、供養のために欲しいのだ。
私は沢山の灯籠を建てたが、少しでも明るかったら、母はもっと早く帰ってこれたと思うからだ。
弁天島から真珠島の墓に、パワーを持って来てくれると聞いた。
剣山に行くには、私のパワーが必要だと思う。
愛が一番アイフルだからな。
なぜ、その言葉を知っているのですか?
ニギハヤヒに教えて貰ったよ。
私は、この時とても混乱していました。
海女の伝説では、藤原不比等と海女の子供が房前(ふささき)になっていて、灯籠を沢山建てたのも房前になっています。
不比等は、自分が子供だったと言っていたので、どうなのだろうと、ミクネの神(天之常立之神)に聞いていました。
ミクネだ。
海女の子供は、房前ではなく不比等だよ。
不比等の父は、天智天皇だよ。
天智天皇の子供だったから、藤原の中でパワーを持っていたのだよ。
房前は、不比等の子供だから海女の孫だよ。
その辺りは隠された話だな。
海女との話が天智天皇であったというのは、問題だったからでしょうか。
伝説自体が変えられていたのかと思いました。
確かにミクネの神が言っていたように、藤原不比等はかなりなパワーだったようですし、「藤原姓」は不比等しか名乗れなかったようです。
そして、驚くことに今年は藤原不比等の没後1300年の節目だったようなので、タイミングだったらしいです。
奈良県で、イベントをやっているという記事をIさんが見つけてくれました。
・藤原不比等は、中臣(藤原)鎌足の息子で、飛鳥・奈良時代に活躍した政治家です。
・大宝律令、養老律令といった体系的な法典の作成に関わりました。
・平城遷都の実質的な采配を振るったとも言われ、藤原氏繁栄の礎を築きました。
・養老4年(720)8月3日(旧暦)に藤原不比等がお亡くなりになったことが、続日本紀に記されています。
・大宝律令、養老律令といった体系的な法典の作成に関わりました。
・平城遷都の実質的な采配を振るったとも言われ、藤原氏繁栄の礎を築きました。
・養老4年(720)8月3日(旧暦)に藤原不比等がお亡くなりになったことが、続日本紀に記されています。
続きます。
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