「ラーメン味楽」さんで、腹ごしらえをして向かった先は、利尻町博物館でした
なぜ、ここに行くことになったかというと、今回の旅については、Iさんがしっかりプロデュースしていたのですが、稚内から利尻島に渡るフェリーの中で、Iさんから「利尻島 礼文島」のガイドブックを渡されて、
ねーさん、行かないといけない場所を聞いておいて。
と言われていたので、私はガイドブックをパラパラ見ていたのですが、その中に「トナカイ」という文字を見つけて、
あ、ここに「トナカイ」って書いてあるよ。
ねーさん、これは礼文島みたいだよ。
そーかー。
と、言っていたのです。
その時に、
博物館に行け
と言われていて、Iさんには、
ねーさん、「博物館」でいいのね。
と何度も確認されていたのです。
私も、もちろんわからないのですが、言われたから行こうということになりました。
Iさんは、駐車場で車を降りるとサッサと博物館の中に入り、入場料1人200円も払い、私達が建物に入って行くと、あたかも博物館の職員さんのように、
ようこそ!どうぞ。
とか言っていたので、職員の女性が笑っていました。
私達は、いろいろな動物の剥製などを見て歩いていましたが、トドの剥製は迫力ありましたね。
みんなでトドの前で写真を撮っていると、奥の方からIさんの叫び声が、、、
ねーさん、トナカイがあったーー。
本当にあったよ。。。
僕は、ねーさんを尊敬するよーー。
私達がそこに行くと、確かにトナカイの角を装飾した祭具が、利尻島の遺跡から出土していたらしいです。
・亦稚(またわっか)貝塚の出土遺物は、昭和52年(1977)に宗谷バスターミナルの改築工事に伴う発掘調査で出土した遺物です。
・オホーツク文化の生業、狩猟対象の動物とオホーツク文化を担った人々との関係を知るうえで、貴重な資料がたくさん出土しました。
・土器は、オットセイやクジラなど海の動物を線で刻んで模様をつけたものと、粘土紐を貼り付けて模様をあしらったものとがあります。
・鹿角製品には一頭のクマの頭部と約40頭以上のクジラやトド、オットセイが彫られています。
・この鹿角製品はトナカイの角でできていますので、サハリンなどの北の地域から持ち込まれたものと考えられます。
・亦稚貝塚は明治33年(1900)に海獣の牙で作った人形が発見され、翌年には坪井正五郎によって「北海道利尻貝塚発見の海獣牙製の人形」として『東京人類学会雑誌』に発表されました。
・亦稚貝塚の亦稚はアイヌ語の「マタ・ワッカ」で「冬・水」という意味です。このことから冬でも凍らない湧き水があった場所であったことがわかります。
とのことでした。
いずれにしてもトナカイは、実際にいたのかと思い、トナカイを調べて、また私はビックリしてしまいました。
Wikipediaのトナカイの名称のところに
和名であるトナカイはアイヌ語での呼称「トゥナカイ」(tunakay) または「トゥナッカイ」(tunaxkay) に由来する。
アイヌ語のトゥナカイも北方民族の言語からの外来語だと考えられている。
「トナカイ」はアイヌ語だったのですね。
さて、私達は博物館を見終わり、帰ろうとして外に出ると、駐車場の向こう側に屋根がある展示物が見えました。
展示物は、木製の船でその右の端をみると、木製のソリがあったのです。
私達は、みんなで見に行きました。
二人で、ソリを撮っているところ。
またまた、Iさんは大興奮になり、
ねーさん、トナカイもソリもあった。
やっぱりサンタクロースさんが言った通りなんだねーー!
と、言って子供のようなドヤ顔でソリに乗っていました。
空にはカムイ海岸に続き、また二度目の日輪が出ていました。
さて、次の目的地はIさんが絶対行きたいと言っていたミルピス屋さんでした。
フェリーの船内で見ていたガイドブックにも載っていましたが、Iさんは「ミルピス屋」さんに食い付いていました。
お店に入ると、先客のご夫婦にお店の方が説明していました。
Iさんはすぐに5本買って、ミルピスをどこで飲もうかということになり、「見返台園地展望台」に行くことになりました。
展望台は駐車場から、階段で登っていくのですが、両側の草が階段を覆っていて、なかなか歩きにくい階段でした。
私達の旅には、山登りは必須項目のようです。(画像は降りるところ)
ここは、利尻山の五号目だそうですが、雲で景色もあまり見ることは出来ませんでした。
みんなでミルピスで乾杯。
この後は、ホテルに向かいました。
続きます。
なぜ、ここに行くことになったかというと、今回の旅については、Iさんがしっかりプロデュースしていたのですが、稚内から利尻島に渡るフェリーの中で、Iさんから「利尻島 礼文島」のガイドブックを渡されて、
ねーさん、行かないといけない場所を聞いておいて。
と言われていたので、私はガイドブックをパラパラ見ていたのですが、その中に「トナカイ」という文字を見つけて、
あ、ここに「トナカイ」って書いてあるよ。
ねーさん、これは礼文島みたいだよ。
そーかー。
と、言っていたのです。
その時に、
博物館に行け
と言われていて、Iさんには、
ねーさん、「博物館」でいいのね。
と何度も確認されていたのです。
私も、もちろんわからないのですが、言われたから行こうということになりました。
Iさんは、駐車場で車を降りるとサッサと博物館の中に入り、入場料1人200円も払い、私達が建物に入って行くと、あたかも博物館の職員さんのように、
ようこそ!どうぞ。
とか言っていたので、職員の女性が笑っていました。
私達は、いろいろな動物の剥製などを見て歩いていましたが、トドの剥製は迫力ありましたね。
みんなでトドの前で写真を撮っていると、奥の方からIさんの叫び声が、、、
ねーさん、トナカイがあったーー。
本当にあったよ。。。
僕は、ねーさんを尊敬するよーー。
私達がそこに行くと、確かにトナカイの角を装飾した祭具が、利尻島の遺跡から出土していたらしいです。
・亦稚(またわっか)貝塚の出土遺物は、昭和52年(1977)に宗谷バスターミナルの改築工事に伴う発掘調査で出土した遺物です。
・オホーツク文化の生業、狩猟対象の動物とオホーツク文化を担った人々との関係を知るうえで、貴重な資料がたくさん出土しました。
・土器は、オットセイやクジラなど海の動物を線で刻んで模様をつけたものと、粘土紐を貼り付けて模様をあしらったものとがあります。
・鹿角製品には一頭のクマの頭部と約40頭以上のクジラやトド、オットセイが彫られています。
・この鹿角製品はトナカイの角でできていますので、サハリンなどの北の地域から持ち込まれたものと考えられます。
・亦稚貝塚は明治33年(1900)に海獣の牙で作った人形が発見され、翌年には坪井正五郎によって「北海道利尻貝塚発見の海獣牙製の人形」として『東京人類学会雑誌』に発表されました。
・亦稚貝塚の亦稚はアイヌ語の「マタ・ワッカ」で「冬・水」という意味です。このことから冬でも凍らない湧き水があった場所であったことがわかります。
とのことでした。
いずれにしてもトナカイは、実際にいたのかと思い、トナカイを調べて、また私はビックリしてしまいました。
Wikipediaのトナカイの名称のところに
和名であるトナカイはアイヌ語での呼称「トゥナカイ」(tunakay) または「トゥナッカイ」(tunaxkay) に由来する。
アイヌ語のトゥナカイも北方民族の言語からの外来語だと考えられている。
「トナカイ」はアイヌ語だったのですね。
さて、私達は博物館を見終わり、帰ろうとして外に出ると、駐車場の向こう側に屋根がある展示物が見えました。
展示物は、木製の船でその右の端をみると、木製のソリがあったのです。
私達は、みんなで見に行きました。
二人で、ソリを撮っているところ。
またまた、Iさんは大興奮になり、
ねーさん、トナカイもソリもあった。
やっぱりサンタクロースさんが言った通りなんだねーー!
と、言って子供のようなドヤ顔でソリに乗っていました。
空にはカムイ海岸に続き、また二度目の日輪が出ていました。
さて、次の目的地はIさんが絶対行きたいと言っていたミルピス屋さんでした。
フェリーの船内で見ていたガイドブックにも載っていましたが、Iさんは「ミルピス屋」さんに食い付いていました。
お店に入ると、先客のご夫婦にお店の方が説明していました。
Iさんはすぐに5本買って、ミルピスをどこで飲もうかということになり、「見返台園地展望台」に行くことになりました。
展望台は駐車場から、階段で登っていくのですが、両側の草が階段を覆っていて、なかなか歩きにくい階段でした。
私達の旅には、山登りは必須項目のようです。(画像は降りるところ)
ここは、利尻山の五号目だそうですが、雲で景色もあまり見ることは出来ませんでした。
みんなでミルピスで乾杯。
この後は、ホテルに向かいました。
続きます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます