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夏の参院選の岩手選挙区選挙区候補者に慶大ラグビー部前監督の田中真一を公認すると自民党が発表した。小沢の金城湯池だった岩手県だったが小沢の自業自得でその豪腕も細って過去のご威光は急速に萎んで来ている。民主党の平野達男(前復興大臣)も小沢の生活第一に参加せず民主党に残留したが、民主党の支持率6%では当選はとても覚束無い、そこで離党したが民主党は除籍処分にした、自民党の一部が平野を推薦しようとの動きが出ていたが自民党石破幹事長が岩手県連会長鈴木俊一と会談して田中真一の公認を伝え、鈴木も了承した。自民党青年局長小泉進次郎も平野支援について「反対だ。自民党は『民主党だったら被災地の復興が加速できない』と言ってきた。筋が通らない」「倒そうとしなくても小沢はいずれ倒れる。『過去の人』をいつまでも見て戦っていても自民党は変わらない。もう戦う相手はそこにはいない」と述べた。『小沢など最早眼中にない』と勢いがいい。確かに小沢には過去の力は急速に失せた。何時までもその虚勢を過大評価するのは、『幽霊の正体見たり枯れ尾花』だろう。自民党岩手県連は参院選の選挙区候補者を公募して県選出国会議員や県議ら計16人が選考委員を務め、最終選考に残った5人と面接。3人に絞った上で投票を行い、田中が最多の支持を得た。その後市町村支部長らの県連選対委員会で了承された。田中真一候補は監督を2年努めた。慶大職員も退職している。これだけ順序を踏んで選考したのであるから田中候補にするのが当然だ。小沢の力は確実に弱った、何も怯える必要はないだろう。小沢は秘書3人を犠牲にして本人は塀の中に落ちずに済んだ。皮肉なことに小沢と田中真一、『陸の王者』慶応OBだ。1899年(明治32年)慶応義塾の英文学教員英国人E・B・クラークがケンブリッジ大学留学から戻った田中銀之助と共に、慶応義塾の学生達に指導したのが日本で始めてのラグビーチームで、日吉グランドが日本ラグビー発祥地となる。田中真一はその田中銀之助の曾孫(ひこまご)にあたる。
辛口コメントもなかなか良いです