配車権が藤村に移行したことで、我々夫婦には心配が増えたか。
否、楽になった。
これは意外だったので、脱力した。
夫は最初から「楽になる」と言っていたが、私は心配していたのだ。
藤村が無茶をするのは決定事項…
幼児に車の運転をさせるのと同様、大変なことになるのは目に見えている。
各方面に頭を下げて、後始末に奔走するのは致し方ないとしても
恩ある社長や河野常務に申し訳が立たない。
社の内外において、失った信用を取り戻すには年月を要するが
63才の夫に残された年月は少ない。
間に合うだろうか、という心配である。
しかしフタを開けてみれば、それは杞憂であった。
藤村が配車を行うとは、すなわち藤村が会社の実権を握ること。
つまりは全責任を藤村が負うことになるからである。
会社というのはどこでもそうだが
働く人それぞれの立場に与えられた権限と
その権限に付いて回る責任との両輪で運営される。
配車権という、我々の業界では重く扱われる権限を手にした藤村には
その権限と同じ重量の責任が生じるのだ。
今までは夫と次男に配車権があったため
何か不都合があれば、責任は夫にかかった。
藤村の方も、それを理由に自分の失敗を夫のせいにしては
無関係を装ってうまくすり抜けてきた。
しかし、今度は藤村が責任を取る番だ。
永井部長の許可を得て、公に配車を握ったのだから
もう言い逃れはできない。
我々はただ、成り行きを眺めていればいいのだった。
こうして意気揚々と、配車を始めた藤村。
社内の配車はあまり変化が無いため、当面は何とかなるものの
外注の方は初心者だ。
さしあたって彼にできることといえば、うちの次男に揉み手すり手で
チャーターを依頼する会社の電話番号を教えてもらうことだった。
とはいえ藤村は過去に一度、やはり配車がやりたいと言い出して
勝手にやり始めたことがある。
とある会社と、専属チャーターの密約をしたからだ。
つまり接待漬けのあげく、業者と癒着したのだった。
けれども相手の方がウワテだった。
最初は順調だったが、繁忙期に入ってたくさんのチャーターが必要になった時
いつものように翌日の台数を伝えたら、「明日は無理」と断られる。
それでは仕事をこなせないので、当然「どうしても」と頼む。
すると相手は、「チャーター料金を上げてくれたら、そっちへ回してもいい」
と言い、藤村は相手の言い値に従った。
会社が払うのだから、藤村のフトコロはいたまない。
彼にとっては、会社の利益よりも癒着を隠す方が大事なのだった。
これを何度か繰り返し、その会社に支払うチャーター料金は
法外の高値になっていった。
気づいた河野常務は激怒して、相手と話をつけ
藤村にはその会社との接触禁止を申し渡す。
初犯ということで、藤村にこれといったおとがめは無かった。
つまり藤村はチャーターといえば、そのずる賢い会社しか知らず
そこがダメとなると他にあてがない。
次男のネットワークを使うしかないのだった。
しかしこれも、早々に行き詰まる。
発注する相手が、ことごとく電話に出てくれなくなったのだ。
「いかにも仕事をくれてやる、みたいな口ぶりが腹立たしい」
「接待は無いのかと言われた」、「口のきき方が横柄」
「ドタキャンされた」、「ドタキャンしたり、やっぱり来てと言ったり
振り回されて、こちらの予定が立たない」
これらが次男に届いた、電話に出ない理由である。
手堅い業者から相手にされなくなった藤村は
それでも果敢にチャーターをかき集めて乗り切った。
県外や離島の業者、評判が悪くて仕事にあぶれている業者だ。
それらも遠過ぎたり、藤村と喧嘩になったりで
だんだん来なくなりつつあった。
アマゾネス計画の夢が破れたのは、そんな時だ。
しかし藤村は、いつまでも悲しみに打ちひしがれてはいられない。
週末の4連休を控え、発注元は国
元請けはスーパーゼネコンの仕事が始まる。
藤村は、スーパーゼネコンが相手だと緊張する。
大手を相手に仕事をするのが誇らしくて舞い上がり
ソワソワと落ち着かない。
我々もスーパーゼネコンが相手だと、別の意味で緊張する。
大手は安全基準が厳しいだけでなく
現場監督の人間性に問題ありのケースが多いからだ。
せっかく大手に就職したのに、年古りて監督の肩書きを手土産に
中央からこんな田舎へ飛ばされた人物といったら、そんなもの。
我々のような地元業者をあからさまに見下げるだけでなく
工事を安く上げて認められ、中央へ返り咲きたい一心なのか
工期が終了するまで下品に値下げをねだる。
これが原因で地方へ飛ばされたのだろうと
こちらが納得してしまうような勘違いも多く
トラブルが付きものだからである。
しかし今回からは、何が起きても藤村の責任だ。
夫はリラックスしており、私もそれを感じてホッとした。
こうして初日の木曜日が訪れる。
社内の少ないダンプは
エントリーが間に合わなかった神田さんを除いて総動員。
藤村のかき集めたチャーターも10台ほど来て
現場への納入が開始された。
けれども一発目で、早くも問題発生。
オイル漏れである。
な〜んだ、オイル漏れ?
おおかたの人は、一笑するかもしれない。
我々も別の現場であれば、それほど気に留めない。
しかし今回の現場は違った。
スーパーゼネコンと国が絡むと、やたら規則が厳しくなるが
今回は火気厳禁の場所なので特に厳しく
事前の安全講習は当たり前で、ダンプの年式まで
購入後何年以内と指定されている。
古いダンプがオイル漏れや燃料漏れを起こしたり
金属劣化で火花が出たりなんかしたら
大惨事につながる恐れがあるため、最初からハネるのだ。
新しいダンプが揃わない業者は
このような公共工事に参入しづらい時代になったといえよう。
藤村はこの工事のために、チャーターを寄せ集め、かき集めて
どうにか台数を揃えたが
その中に1台、年式の古いダンプが混ざっていた。
この古いダンプが、燃料漏れを起こしたのだった。
オイル漏れは地面に黒い油溜まりができ、証拠として残るので
言い逃れは不可能。
台数を集めるのに必死で、年式の規定を忘れたのが敗因である。
全車両はストップさせられ、安全基準を守らなかった罪により
藤村は現場に呼び出された。
《続く》
否、楽になった。
これは意外だったので、脱力した。
夫は最初から「楽になる」と言っていたが、私は心配していたのだ。
藤村が無茶をするのは決定事項…
幼児に車の運転をさせるのと同様、大変なことになるのは目に見えている。
各方面に頭を下げて、後始末に奔走するのは致し方ないとしても
恩ある社長や河野常務に申し訳が立たない。
社の内外において、失った信用を取り戻すには年月を要するが
63才の夫に残された年月は少ない。
間に合うだろうか、という心配である。
しかしフタを開けてみれば、それは杞憂であった。
藤村が配車を行うとは、すなわち藤村が会社の実権を握ること。
つまりは全責任を藤村が負うことになるからである。
会社というのはどこでもそうだが
働く人それぞれの立場に与えられた権限と
その権限に付いて回る責任との両輪で運営される。
配車権という、我々の業界では重く扱われる権限を手にした藤村には
その権限と同じ重量の責任が生じるのだ。
今までは夫と次男に配車権があったため
何か不都合があれば、責任は夫にかかった。
藤村の方も、それを理由に自分の失敗を夫のせいにしては
無関係を装ってうまくすり抜けてきた。
しかし、今度は藤村が責任を取る番だ。
永井部長の許可を得て、公に配車を握ったのだから
もう言い逃れはできない。
我々はただ、成り行きを眺めていればいいのだった。
こうして意気揚々と、配車を始めた藤村。
社内の配車はあまり変化が無いため、当面は何とかなるものの
外注の方は初心者だ。
さしあたって彼にできることといえば、うちの次男に揉み手すり手で
チャーターを依頼する会社の電話番号を教えてもらうことだった。
とはいえ藤村は過去に一度、やはり配車がやりたいと言い出して
勝手にやり始めたことがある。
とある会社と、専属チャーターの密約をしたからだ。
つまり接待漬けのあげく、業者と癒着したのだった。
けれども相手の方がウワテだった。
最初は順調だったが、繁忙期に入ってたくさんのチャーターが必要になった時
いつものように翌日の台数を伝えたら、「明日は無理」と断られる。
それでは仕事をこなせないので、当然「どうしても」と頼む。
すると相手は、「チャーター料金を上げてくれたら、そっちへ回してもいい」
と言い、藤村は相手の言い値に従った。
会社が払うのだから、藤村のフトコロはいたまない。
彼にとっては、会社の利益よりも癒着を隠す方が大事なのだった。
これを何度か繰り返し、その会社に支払うチャーター料金は
法外の高値になっていった。
気づいた河野常務は激怒して、相手と話をつけ
藤村にはその会社との接触禁止を申し渡す。
初犯ということで、藤村にこれといったおとがめは無かった。
つまり藤村はチャーターといえば、そのずる賢い会社しか知らず
そこがダメとなると他にあてがない。
次男のネットワークを使うしかないのだった。
しかしこれも、早々に行き詰まる。
発注する相手が、ことごとく電話に出てくれなくなったのだ。
「いかにも仕事をくれてやる、みたいな口ぶりが腹立たしい」
「接待は無いのかと言われた」、「口のきき方が横柄」
「ドタキャンされた」、「ドタキャンしたり、やっぱり来てと言ったり
振り回されて、こちらの予定が立たない」
これらが次男に届いた、電話に出ない理由である。
手堅い業者から相手にされなくなった藤村は
それでも果敢にチャーターをかき集めて乗り切った。
県外や離島の業者、評判が悪くて仕事にあぶれている業者だ。
それらも遠過ぎたり、藤村と喧嘩になったりで
だんだん来なくなりつつあった。
アマゾネス計画の夢が破れたのは、そんな時だ。
しかし藤村は、いつまでも悲しみに打ちひしがれてはいられない。
週末の4連休を控え、発注元は国
元請けはスーパーゼネコンの仕事が始まる。
藤村は、スーパーゼネコンが相手だと緊張する。
大手を相手に仕事をするのが誇らしくて舞い上がり
ソワソワと落ち着かない。
我々もスーパーゼネコンが相手だと、別の意味で緊張する。
大手は安全基準が厳しいだけでなく
現場監督の人間性に問題ありのケースが多いからだ。
せっかく大手に就職したのに、年古りて監督の肩書きを手土産に
中央からこんな田舎へ飛ばされた人物といったら、そんなもの。
我々のような地元業者をあからさまに見下げるだけでなく
工事を安く上げて認められ、中央へ返り咲きたい一心なのか
工期が終了するまで下品に値下げをねだる。
これが原因で地方へ飛ばされたのだろうと
こちらが納得してしまうような勘違いも多く
トラブルが付きものだからである。
しかし今回からは、何が起きても藤村の責任だ。
夫はリラックスしており、私もそれを感じてホッとした。
こうして初日の木曜日が訪れる。
社内の少ないダンプは
エントリーが間に合わなかった神田さんを除いて総動員。
藤村のかき集めたチャーターも10台ほど来て
現場への納入が開始された。
けれども一発目で、早くも問題発生。
オイル漏れである。
な〜んだ、オイル漏れ?
おおかたの人は、一笑するかもしれない。
我々も別の現場であれば、それほど気に留めない。
しかし今回の現場は違った。
スーパーゼネコンと国が絡むと、やたら規則が厳しくなるが
今回は火気厳禁の場所なので特に厳しく
事前の安全講習は当たり前で、ダンプの年式まで
購入後何年以内と指定されている。
古いダンプがオイル漏れや燃料漏れを起こしたり
金属劣化で火花が出たりなんかしたら
大惨事につながる恐れがあるため、最初からハネるのだ。
新しいダンプが揃わない業者は
このような公共工事に参入しづらい時代になったといえよう。
藤村はこの工事のために、チャーターを寄せ集め、かき集めて
どうにか台数を揃えたが
その中に1台、年式の古いダンプが混ざっていた。
この古いダンプが、燃料漏れを起こしたのだった。
オイル漏れは地面に黒い油溜まりができ、証拠として残るので
言い逃れは不可能。
台数を集めるのに必死で、年式の規定を忘れたのが敗因である。
全車両はストップさせられ、安全基準を守らなかった罪により
藤村は現場に呼び出された。
《続く》