藤村のアマゾネス計画は、なかなか大胆な構想だ。
この計画は、48才バツイチ孫ありの女性運転手
神田さんを入社させた盆明けから、藤村の脳内で急速に進み始めた。
彼のプランをお聞かせしよう。
まず車で30分余りの隣市にある、船着場を兼ねた資材置き場を借りる。
そこへ事務所を置いて、女性ばかりを集めた別会社を作る。
仕事の内容は、特定の取引先へ納入する商品の運搬に限定する。
特定の取引先とは、広い幹線道路を往復して荷下ろしをするだけの
単純作業で済む所である。
言うなれば道幅が狭かったり、アップダウンの激しい難所も無く
他社と連携を取りながら作業を進める必要も無く
現場の要望に応じる運転技術がいらないため
女性でもこなせるというのが大前提なのだった。
ユルい仕事なので、賃金は最初から低く設定。
女性を雇うことで人件費を抑えるには
給与形態が他の支社支店と異なってしまう。
そのために別会社を作る必要があるというのが、藤村の主張だ。
人のふんどしで相撲を取ろうとする彼が、人件費に言及するのは
経費節減の見地からではない。
本社は25年ほど前、倒産の危機に見舞われた。
河野常務ら取締役の奔走で危機を脱出した後
自衛策として新入社員の募集を減らし、教育にかかる経費を抑えるかたわら
安く雇える中高年の中途採用を推進してきた経緯がある。
この習慣が今も続いているために
ゲスまみれの会社になってしまったのはさておき
人件費へのこだわりは本社にとって長年のテーマ。
何につけ上層部の口にのぼるため、それを日頃から聞きかじっている藤村は
単なる受け売りで人件費にこだわって見せるに過ぎない。
人件費を抑えるという名目で、女性ばかりの会社を作り
彼はそこでトップに収まる…これがアマゾネス計画の概要である。
何も知らない女性を集めれば、彼の乏しい知識と経験が活かされると
本気で思っている様子なのが憐れだ。
ところでアマゾネスといったら昔の映画では、女でも男並みの戦闘をする集団。
弓を引くのに胸が邪魔になるからと
片方のお乳を惜しげもなく切り落とすような、すごい女たちだ。
しかし藤村のアマゾネスは、女だったら何でもいいらしい。
それはともかく、彼のアイデアには大きな穴がある。
そもそも商品の運搬のみに限定された、ユルい仕事をさせてくれる取引先は
3軒しか無い。
しかも毎日納品があるわけではなく
相手からの注文を待つだけで、繁忙期も無い。
いわば需要の少ない、終わりかけた会社なのだ。
それらへ納品するために、敷地を借りて別会社を作り
大型車を用意してアマゾネスとやらを車の数だけ囲うのは
はなから無理というものである。
小さい女の子が「大きくなったら歌手になりたい」と夢見るよりも
成功の確率は低い。
ちなみにこのうちの1軒は、7月まで神田さんが勤めていた会社。
前に納品していた会社が手を引いたため
表向きは棚からぼた餅で、藤村が仕事を獲得したことになっている。
入社以来、営業できない歴5年の藤村は
この幸運によって自信を持ち、いちだんと横柄になった。
が、前の会社がなぜ手を引いたのかを
彼は考えようとしない。
理由は一つ、儲からないからである。
それでも藤村の展望は、明るい。
自分が営業を頑張って、3軒の会社に活気を取り戻し
注文がどんどん入るようにするつもりだと言う。
本気なのか、うわごとなのか、わからないが
どっちにしてもマトモではない。
さすが、自営の会社を2軒つぶした男は違う。
ともあれ藤村の荒唐無稽なプランには、神田さんの存在が大きく影響していた。
まず隣市に借りようとしている船着場を兼ねた資材置き場。
神田さんの住まいは、その近くだ。
つまり、そこに会社ができれば神田さんはとても助かる。
藤村は神田さんの通勤に配慮して、この敷地に目をつけたのだった。
次に女性運転手ばかりの会社を作るにあたり
必要になってくるのは、当然ながら女性。
だが、人材集めに不自由は無い。
神田さんが先月までアルバイトをしていた会社には、女性のバイト仲間が数人いた。
正社員で迎えられたばかりか、新車をあてがわれた神田さんを
皆はうらやんでいて、こちらに転職したがっているそうだ。
現に藤村は先日、神田さんに頼まれて、そのうちの一人と面接を済ませている。
次に新車を購入する時は、その人を入れるという怪しげな約束をしたそうだ。
面接というより、紹介デートに近い。
私もそうだし、夫の愛人たちもそうだったのでわかるが
女というのは厚かましい生き物である。
怖いわ、嫌いよと口では言っても、自分の言うことを聞いてくれるとなると
どこまでも増長して要求が増えていく。
が、しょせんは女の浅知恵。
事態はとんでもない方角へ迷走するものだ。
とまあ、このように着々と進行中のアマゾネス計画。
大丈夫なのかって?
大丈夫。
彼の野望を実現させるためには
まず、本社の営業会議で構想を話さなければならない。
自腹でなく、本社の資金をあてにするんだから当たり前だ。
それから却下なり審議なりが行われる。
実現の可能性は、ゼロ以外に無い。
藤村が社長や取締役の前で、この大バカあんぽんたん計画を話すだろうか…
我々の興味は、ひとえにそこだった。
自分一人で夢を温めるのは自由だが、議案として発表するとなると
人格を疑われること間違いなし。
我々家族は、賭けをした。
負けた者がケーキを買うのだ。
しかし皆が発表する方に賭けたので、賭けにはならなかった。
毎週月曜日の午前7時から行われる営業会議で
今週、藤村は満を辞してアマゾネス計画の議案を提出したそうだ。
プレゼンを行うまでもなく、大怒られしたという。
やっぱり彼は期待を裏切らない。
取締役の面々は、死ねと言わんばかりの剣幕。
河野常務が入院中でなかったら、はっきり言ったに違いない。
そこへ社長がやんわり言った。
「藤村さん、そういうことは退職して、ご自分でやってください」
これが一番こたえたらしく、会議を終えて出社した藤村は
夫に経緯を話した後で力なく言った。
「ワシ、もう辞める…」
夫が密かに、そして非常に喜んだのは言うまでもない。
「借金はどうするん?」
夫はたずねた。
藤村は認知症の母親が作った借金を返すために
会社の福利厚生部門から500万円、借りているのだ。
「さっき本社で、退職金と借金の残りを調べてもらってきた。
何とか相殺できそう」
けっこう本気モードだと、夫は思ったそうだ。
が、藤村の言うことがあてにならないのは、すでにわかっている。
そう言ったハシから神田さんのダンプに乗り込み、出かけて行った。
さてこの日から、2人は仕出し弁当を取ることになっている。
カップルで外食ばかりだと、お互いにお金が続かないからだ。
「朝は辞める辞める言いよったのに、昼は2人で嬉しげに弁当食いよる」
昼休憩で帰宅した夫は、残念そうに報告。
私は満足のいく報告内容に、気を良くして言った。
「今度辞める言うた時は、神田さんも連れて行けって言うんよ」
わかった…夫はうなづくのだった。
《続く》
この計画は、48才バツイチ孫ありの女性運転手
神田さんを入社させた盆明けから、藤村の脳内で急速に進み始めた。
彼のプランをお聞かせしよう。
まず車で30分余りの隣市にある、船着場を兼ねた資材置き場を借りる。
そこへ事務所を置いて、女性ばかりを集めた別会社を作る。
仕事の内容は、特定の取引先へ納入する商品の運搬に限定する。
特定の取引先とは、広い幹線道路を往復して荷下ろしをするだけの
単純作業で済む所である。
言うなれば道幅が狭かったり、アップダウンの激しい難所も無く
他社と連携を取りながら作業を進める必要も無く
現場の要望に応じる運転技術がいらないため
女性でもこなせるというのが大前提なのだった。
ユルい仕事なので、賃金は最初から低く設定。
女性を雇うことで人件費を抑えるには
給与形態が他の支社支店と異なってしまう。
そのために別会社を作る必要があるというのが、藤村の主張だ。
人のふんどしで相撲を取ろうとする彼が、人件費に言及するのは
経費節減の見地からではない。
本社は25年ほど前、倒産の危機に見舞われた。
河野常務ら取締役の奔走で危機を脱出した後
自衛策として新入社員の募集を減らし、教育にかかる経費を抑えるかたわら
安く雇える中高年の中途採用を推進してきた経緯がある。
この習慣が今も続いているために
ゲスまみれの会社になってしまったのはさておき
人件費へのこだわりは本社にとって長年のテーマ。
何につけ上層部の口にのぼるため、それを日頃から聞きかじっている藤村は
単なる受け売りで人件費にこだわって見せるに過ぎない。
人件費を抑えるという名目で、女性ばかりの会社を作り
彼はそこでトップに収まる…これがアマゾネス計画の概要である。
何も知らない女性を集めれば、彼の乏しい知識と経験が活かされると
本気で思っている様子なのが憐れだ。
ところでアマゾネスといったら昔の映画では、女でも男並みの戦闘をする集団。
弓を引くのに胸が邪魔になるからと
片方のお乳を惜しげもなく切り落とすような、すごい女たちだ。
しかし藤村のアマゾネスは、女だったら何でもいいらしい。
それはともかく、彼のアイデアには大きな穴がある。
そもそも商品の運搬のみに限定された、ユルい仕事をさせてくれる取引先は
3軒しか無い。
しかも毎日納品があるわけではなく
相手からの注文を待つだけで、繁忙期も無い。
いわば需要の少ない、終わりかけた会社なのだ。
それらへ納品するために、敷地を借りて別会社を作り
大型車を用意してアマゾネスとやらを車の数だけ囲うのは
はなから無理というものである。
小さい女の子が「大きくなったら歌手になりたい」と夢見るよりも
成功の確率は低い。
ちなみにこのうちの1軒は、7月まで神田さんが勤めていた会社。
前に納品していた会社が手を引いたため
表向きは棚からぼた餅で、藤村が仕事を獲得したことになっている。
入社以来、営業できない歴5年の藤村は
この幸運によって自信を持ち、いちだんと横柄になった。
が、前の会社がなぜ手を引いたのかを
彼は考えようとしない。
理由は一つ、儲からないからである。
それでも藤村の展望は、明るい。
自分が営業を頑張って、3軒の会社に活気を取り戻し
注文がどんどん入るようにするつもりだと言う。
本気なのか、うわごとなのか、わからないが
どっちにしてもマトモではない。
さすが、自営の会社を2軒つぶした男は違う。
ともあれ藤村の荒唐無稽なプランには、神田さんの存在が大きく影響していた。
まず隣市に借りようとしている船着場を兼ねた資材置き場。
神田さんの住まいは、その近くだ。
つまり、そこに会社ができれば神田さんはとても助かる。
藤村は神田さんの通勤に配慮して、この敷地に目をつけたのだった。
次に女性運転手ばかりの会社を作るにあたり
必要になってくるのは、当然ながら女性。
だが、人材集めに不自由は無い。
神田さんが先月までアルバイトをしていた会社には、女性のバイト仲間が数人いた。
正社員で迎えられたばかりか、新車をあてがわれた神田さんを
皆はうらやんでいて、こちらに転職したがっているそうだ。
現に藤村は先日、神田さんに頼まれて、そのうちの一人と面接を済ませている。
次に新車を購入する時は、その人を入れるという怪しげな約束をしたそうだ。
面接というより、紹介デートに近い。
私もそうだし、夫の愛人たちもそうだったのでわかるが
女というのは厚かましい生き物である。
怖いわ、嫌いよと口では言っても、自分の言うことを聞いてくれるとなると
どこまでも増長して要求が増えていく。
が、しょせんは女の浅知恵。
事態はとんでもない方角へ迷走するものだ。
とまあ、このように着々と進行中のアマゾネス計画。
大丈夫なのかって?
大丈夫。
彼の野望を実現させるためには
まず、本社の営業会議で構想を話さなければならない。
自腹でなく、本社の資金をあてにするんだから当たり前だ。
それから却下なり審議なりが行われる。
実現の可能性は、ゼロ以外に無い。
藤村が社長や取締役の前で、この大バカあんぽんたん計画を話すだろうか…
我々の興味は、ひとえにそこだった。
自分一人で夢を温めるのは自由だが、議案として発表するとなると
人格を疑われること間違いなし。
我々家族は、賭けをした。
負けた者がケーキを買うのだ。
しかし皆が発表する方に賭けたので、賭けにはならなかった。
毎週月曜日の午前7時から行われる営業会議で
今週、藤村は満を辞してアマゾネス計画の議案を提出したそうだ。
プレゼンを行うまでもなく、大怒られしたという。
やっぱり彼は期待を裏切らない。
取締役の面々は、死ねと言わんばかりの剣幕。
河野常務が入院中でなかったら、はっきり言ったに違いない。
そこへ社長がやんわり言った。
「藤村さん、そういうことは退職して、ご自分でやってください」
これが一番こたえたらしく、会議を終えて出社した藤村は
夫に経緯を話した後で力なく言った。
「ワシ、もう辞める…」
夫が密かに、そして非常に喜んだのは言うまでもない。
「借金はどうするん?」
夫はたずねた。
藤村は認知症の母親が作った借金を返すために
会社の福利厚生部門から500万円、借りているのだ。
「さっき本社で、退職金と借金の残りを調べてもらってきた。
何とか相殺できそう」
けっこう本気モードだと、夫は思ったそうだ。
が、藤村の言うことがあてにならないのは、すでにわかっている。
そう言ったハシから神田さんのダンプに乗り込み、出かけて行った。
さてこの日から、2人は仕出し弁当を取ることになっている。
カップルで外食ばかりだと、お互いにお金が続かないからだ。
「朝は辞める辞める言いよったのに、昼は2人で嬉しげに弁当食いよる」
昼休憩で帰宅した夫は、残念そうに報告。
私は満足のいく報告内容に、気を良くして言った。
「今度辞める言うた時は、神田さんも連れて行けって言うんよ」
わかった…夫はうなづくのだった。
《続く》