藤村が夫の目を盗み、別の支社の黒石にダンプの練習をさせていた…
それを知った私は、見知らぬ通行人に家に入り込まれて
冷蔵庫の中を見られたような気分になり、大いに憤慨したものだ。
しかし、怒ってばかりはいられない。
黒石を入り込ませ、夫のテリトリー侵犯を開始したとなると
藤村が次に狙うのは、夫の扱う重機で間違いない。
ダンプの運転手はどこからでも集められるが
ダンプに商品を積み込む重機と、それを操作するオペレーター無しでは
会社の運営は成り立たないからである。
藤村がなんぼバカでも、このことは知っているはずだ。
そして、これをやらせるのは神田さんに決まっている。
なぜなら私には、経験による確信があった。
というのもその昔、夫が愛人を会社に入れたことがある。
彼女はダンプの運転手として入社したが
うちへ入り込むために大型免許を取得したホヤホヤなので
入ったわ、バリバリ仕事しますわ、というわけにはいかない。
そこでとりあえず夫が何をしたかというと、熱心に重機の操作を教えた。
自分の一番可愛い者を、会社で一番重要な仕事に関わらせたいのは
とち狂ったオスの習性なのだ。
ついでに言うと、一人分しかスペースの無い重機の個室に
2人で入り込めば、そこはパラダイスさ。
教えるというもっともらしい理由で、手取り足取りの密着は
オスにとって最高に喜ばしい状況。
藤村も、神田さんとぜひやりたいはずだ。
ちなみに夫の愛人は、才能が無かった。
初めて一人で積込みをした時、加減がわからずダンプの荷台をぶっ潰す。
あと少しズレていたら、運転手も無事ではなかっただろう。
以後、彼女が練習する時は、運転手が積込みを拒否するようになったため
オペレーターへの道は早々に挫折した経緯がある。
…などと思っていたら案の定
藤村は神田さんに重機を教えると言い出した。
少しずつ教えて、そのうち免許を取らせたいそう。
免許を持たない藤村が、何を教えるのかわからないが
一方で神田さんも、積込みへの意欲を次男に話していた。
わかるよ…ダンプの運転より楽そうで、偉く見えるもんね。
いずれにしても藤村は、神田さんを夫の後釜と勝手に決め
神田さんもそのつもりだということは、はっきりした。
彼らの夢見る王国を作り上げるには、夫を早く追い出すことが先決だ。
しかし残念ながら、そうはいかない。
のどかな昼下がり、たまに来るダンプにゆっくり積み込むなら
練習すれば誰でもできる。
私もペーパーながら免許を持っているので、やろうと思えばできるが
我が社の営業内容に特化して言えば
夫のやっている重機オペレーターは、安全と利益を左右する最も重要な仕事。
会社を神社に例えるなら、ダンプが参拝客でオペレーターは神主である。
同じ建設業でも、うちは商品を仕入れて売るのが本業なので
その商品に直接関わるオペレーターは
会社にとって扇子の要(かなめ)なのだ。
商品の特質によって積込み方を変え
安全と迅速を確保しながらダンプを効率よく回し
積載量の限界まで積込むことで確実な利益を生み出すには
熟練した技術に加え、ダンプを従わせる押し出しが不可欠。
免許があるからできるというものではない。
「オペ(重機オペレーター)を怒らせたら仕事ができなくなる」
というのが、この業界の常識である。
相次ぐ藤村の愚行に、夫の反応が今一つ薄いように見えるのは
難攻不落の砦、積込みを支配しているからだった。
藤村も神田さんも、これがわかってない。
だから簡単に「重機がやりたい、やらせたい」と言えるのだ。
まだ30代の黒石なら、これから何十年も修行すれば
どうにかなるかもしれないが
すでに48才で、ダンプの運転もおぼつかない神田さんでは
時間的にも技術的にも精神的にも無理。
美空ひばりの前でカラオケを歌うようなものだ。
人選ミスにもほどがある。
そうこうしているうちに、9月が終わろうとしていた。
10月1日からは、藤村にとって肝入りの新しい仕事が始まる。
郊外にある工場へ、納品を行う仕事だ。
よその会社が手を引いたのをヤツが拾った。
そしてその工場は、8月まで神田さんが勤めていた所なので
藤村の張り切りようは尋常でない。
現場の視察や打ち合わせと称しては、神田さんと2人でいなくなるので
夫は平和な数日を過ごした。
こうして始まった新しい仕事は、初日から多忙だった。
売り上げはたいしたことないのだが、興奮した藤村が
性懲りもなくたくさんのチャーターを呼ぶからだ。
仕事をするたびにあちこち壊し、修理に出していた神田さんのダンプも
この日に間に合ったので、商品を積んで古巣へ向かった。
アルバイトでしか使ってくれなかった前の会社へ
今度は別会社の正社員として、しかも彼女のために買った新車で入るのだ。
前の会社は気分が悪かろうが、彼女の鼻高々は想像できる。
が、一発目で脱落。
この現場は荷降ろしをする場所が、穴のように深くなっていて
運ばれた商品を貯めていくタイプ。
神田さんは定位置までバックをしていて後輪が穴に落ち
ダンプは壊れたのだった。
彼女、その会社に勤めていた時は
ロングボディと呼ばれる荷台の長いダンプに乗っていたが
今のものは荷台が短いノーマルタイプ。
加減がわからず、下がり過ぎたらしい。
神田さんのダンプを引っ張り上げ、修理工場まで運ぶため
それぞれの作業に適した車を呼んで、散財。
アクシデントの衝撃により
神田さんが降ろそうとした商品が違う場所へ落ちたため
それを綺麗にする重機をリースで借りて、また散財。
こういうのって、けっこう高い。
リース料も高いが、現場まで運ぶ料金は最低でも片道5万円以上かかる。
工場には同じ重機があるというのに、貸してもらえなかった。
普通、このような非常時には、後で燃料代を払えば貸してくれるものだ。
藤村も神田さんも、嫌われているらしい。
2日目、ダンプを修理中の神田さんは例のごとく、事務所で秘書気取り。
藤村も例のごとく、たくさんのチャーターを呼び
得意満面で采配を振るっている。
采配を振るっているつもりなのは藤村だけだが、本人はそう信じている。
この日、昼食に帰った次男が言うには
「親父は相当怒っとる」
「何で」
「積込みの量が少ない。
誰も気がついてないけど、俺にはわかる」
「は〜ん…反撃に出たか」
積込みの量が少ないと、なぜ反撃になるのか。
説明したいけど長くなりそうなので、今日はこの辺で。
《続く》
それを知った私は、見知らぬ通行人に家に入り込まれて
冷蔵庫の中を見られたような気分になり、大いに憤慨したものだ。
しかし、怒ってばかりはいられない。
黒石を入り込ませ、夫のテリトリー侵犯を開始したとなると
藤村が次に狙うのは、夫の扱う重機で間違いない。
ダンプの運転手はどこからでも集められるが
ダンプに商品を積み込む重機と、それを操作するオペレーター無しでは
会社の運営は成り立たないからである。
藤村がなんぼバカでも、このことは知っているはずだ。
そして、これをやらせるのは神田さんに決まっている。
なぜなら私には、経験による確信があった。
というのもその昔、夫が愛人を会社に入れたことがある。
彼女はダンプの運転手として入社したが
うちへ入り込むために大型免許を取得したホヤホヤなので
入ったわ、バリバリ仕事しますわ、というわけにはいかない。
そこでとりあえず夫が何をしたかというと、熱心に重機の操作を教えた。
自分の一番可愛い者を、会社で一番重要な仕事に関わらせたいのは
とち狂ったオスの習性なのだ。
ついでに言うと、一人分しかスペースの無い重機の個室に
2人で入り込めば、そこはパラダイスさ。
教えるというもっともらしい理由で、手取り足取りの密着は
オスにとって最高に喜ばしい状況。
藤村も、神田さんとぜひやりたいはずだ。
ちなみに夫の愛人は、才能が無かった。
初めて一人で積込みをした時、加減がわからずダンプの荷台をぶっ潰す。
あと少しズレていたら、運転手も無事ではなかっただろう。
以後、彼女が練習する時は、運転手が積込みを拒否するようになったため
オペレーターへの道は早々に挫折した経緯がある。
…などと思っていたら案の定
藤村は神田さんに重機を教えると言い出した。
少しずつ教えて、そのうち免許を取らせたいそう。
免許を持たない藤村が、何を教えるのかわからないが
一方で神田さんも、積込みへの意欲を次男に話していた。
わかるよ…ダンプの運転より楽そうで、偉く見えるもんね。
いずれにしても藤村は、神田さんを夫の後釜と勝手に決め
神田さんもそのつもりだということは、はっきりした。
彼らの夢見る王国を作り上げるには、夫を早く追い出すことが先決だ。
しかし残念ながら、そうはいかない。
のどかな昼下がり、たまに来るダンプにゆっくり積み込むなら
練習すれば誰でもできる。
私もペーパーながら免許を持っているので、やろうと思えばできるが
我が社の営業内容に特化して言えば
夫のやっている重機オペレーターは、安全と利益を左右する最も重要な仕事。
会社を神社に例えるなら、ダンプが参拝客でオペレーターは神主である。
同じ建設業でも、うちは商品を仕入れて売るのが本業なので
その商品に直接関わるオペレーターは
会社にとって扇子の要(かなめ)なのだ。
商品の特質によって積込み方を変え
安全と迅速を確保しながらダンプを効率よく回し
積載量の限界まで積込むことで確実な利益を生み出すには
熟練した技術に加え、ダンプを従わせる押し出しが不可欠。
免許があるからできるというものではない。
「オペ(重機オペレーター)を怒らせたら仕事ができなくなる」
というのが、この業界の常識である。
相次ぐ藤村の愚行に、夫の反応が今一つ薄いように見えるのは
難攻不落の砦、積込みを支配しているからだった。
藤村も神田さんも、これがわかってない。
だから簡単に「重機がやりたい、やらせたい」と言えるのだ。
まだ30代の黒石なら、これから何十年も修行すれば
どうにかなるかもしれないが
すでに48才で、ダンプの運転もおぼつかない神田さんでは
時間的にも技術的にも精神的にも無理。
美空ひばりの前でカラオケを歌うようなものだ。
人選ミスにもほどがある。
そうこうしているうちに、9月が終わろうとしていた。
10月1日からは、藤村にとって肝入りの新しい仕事が始まる。
郊外にある工場へ、納品を行う仕事だ。
よその会社が手を引いたのをヤツが拾った。
そしてその工場は、8月まで神田さんが勤めていた所なので
藤村の張り切りようは尋常でない。
現場の視察や打ち合わせと称しては、神田さんと2人でいなくなるので
夫は平和な数日を過ごした。
こうして始まった新しい仕事は、初日から多忙だった。
売り上げはたいしたことないのだが、興奮した藤村が
性懲りもなくたくさんのチャーターを呼ぶからだ。
仕事をするたびにあちこち壊し、修理に出していた神田さんのダンプも
この日に間に合ったので、商品を積んで古巣へ向かった。
アルバイトでしか使ってくれなかった前の会社へ
今度は別会社の正社員として、しかも彼女のために買った新車で入るのだ。
前の会社は気分が悪かろうが、彼女の鼻高々は想像できる。
が、一発目で脱落。
この現場は荷降ろしをする場所が、穴のように深くなっていて
運ばれた商品を貯めていくタイプ。
神田さんは定位置までバックをしていて後輪が穴に落ち
ダンプは壊れたのだった。
彼女、その会社に勤めていた時は
ロングボディと呼ばれる荷台の長いダンプに乗っていたが
今のものは荷台が短いノーマルタイプ。
加減がわからず、下がり過ぎたらしい。
神田さんのダンプを引っ張り上げ、修理工場まで運ぶため
それぞれの作業に適した車を呼んで、散財。
アクシデントの衝撃により
神田さんが降ろそうとした商品が違う場所へ落ちたため
それを綺麗にする重機をリースで借りて、また散財。
こういうのって、けっこう高い。
リース料も高いが、現場まで運ぶ料金は最低でも片道5万円以上かかる。
工場には同じ重機があるというのに、貸してもらえなかった。
普通、このような非常時には、後で燃料代を払えば貸してくれるものだ。
藤村も神田さんも、嫌われているらしい。
2日目、ダンプを修理中の神田さんは例のごとく、事務所で秘書気取り。
藤村も例のごとく、たくさんのチャーターを呼び
得意満面で采配を振るっている。
采配を振るっているつもりなのは藤村だけだが、本人はそう信じている。
この日、昼食に帰った次男が言うには
「親父は相当怒っとる」
「何で」
「積込みの量が少ない。
誰も気がついてないけど、俺にはわかる」
「は〜ん…反撃に出たか」
積込みの量が少ないと、なぜ反撃になるのか。
説明したいけど長くなりそうなので、今日はこの辺で。
《続く》