先日の昼下がり、家の電話が鳴って
いつものように85才の義母ヨシコが出た。
しばらくしゃべって電話を切ると、彼女は私のいる台所へ来て言う。
「マッサージチェア、引き取ってもらうからねっ!」
試合で得点をあげたエースのごとく、勝ち誇った表情だ。
「マッサージチェア?」
私は眉間にシワを寄せて聞き返す。
ヨシコのアジトである居間の縁側に置かれた
壊れたマッサージチェアは、長年に渡って我が一家の邪魔者。
このマッサージチェアを巡り、ヨシコと私は長年の攻防を続けてきた。
ヨシコはこれを捨てたい。
私も捨てたい。
両者の願望は一致している。
そして処分の方法はちゃんとある。
車で隣町にある公営の廃棄場へ持って行けば、引き取ってくれる。
しかし縁側の隅にあるマッサージチェアは
その上にガラクタが積み重ねられ、テトリスのようになっている。
それらのガラクタを取り除き、マッサージチェアを外へ引っ張り出すのは
ヨシコが考えている以上に大変だ。
自分がしでかしておきながら、この作業を私にやらせようとする…
その根性が気に入らないので、私は捨てに行くと言わない。
以前に一度、記事にしたが
この諸悪の根源とも言えるマッサージチェアを
引き取ってくれるという電話があった。
古いマッサージチェアを無料で引き取るという
殊勝な申し出をしたのは 、産廃業者を名乗る人物であった。
嬉しい話に舞い上がるヨシコと電話を代わった私は
相手が産廃業者ではなく、新しいマッサージチェアの販売者と知って断った。
が、今回のヨシコは電話を私に代わらず
自分で話して引き取りの日にちを決めた。
嫁に代わると水際でブロックされて、敗北を味わうのが嫌なのだ。
「また詐欺よ」
私は言ったが、ヨシコは強気だ。
「今度のは違う!
古物商じゃ言うとった。
古いのや壊れたのを直して、外国に売るのが仕事じゃと!」
「古いのや壊れたのを引き取って、直して、外国へ運んで
どんだけ金がかかるんじゃ。
新品買うた方がよっぽど安いじゃんか」
言葉に詰まるヨシコ。
しかし彼女には、逆上という常套手段がある。
「あんたはいつまでたっても捨ててくれんじゃないの!
私は運転ができんけん、業者を使うしかないが!」
ああ、うるさ。
私はヨシコに言った。
「じゃあ、賭けようや。
業者が来ても私は口出しせんけん、お義母さんが一人で応対して。
ほんまに無料じゃったら、小遣いあげる。
詐欺じゃったら今後一切、かかってきた電話を信じるのはやめんさい」
「ほんまじゃね?後悔しんさんな?」
すでに勝ったつもりで、ニヤリと笑うヨシコ。
それはこっちのセリフじゃわい。
2日後、業者と約束した日曜日がやってきた。
ヨシコは次男に手伝わせ
ガラクタの魔境からマッサージチェアを引っ張り出した。
そして庭の片隅に置き、まんじりともせずに業者の到着を待つ。
やがて、自称“古物商”とやらは、やって来た。
30代半ばの、小太りで人の良さそうな男だ。
12時の約束だったが、来たのは1時過ぎ。
時間を守らないところからして、すでに怪しい。
しかも彼が乗ってきた車は、なにわナンバーの軽バン。
引き取る気が無いことは、この車でわかる。
ヨシコには、近くで何軒か頼まれていると言ったそうだが
複数の家を回ってマッサージチェアを引き取るつもりなら
もっと大きい車で来るはずだ。
家の中から見ていると、男は庭に鎮座するマッサージチェアを
様々な角度からスマホで撮影している。
その間、ヨシコは初対面の人にいつもするように
昔の栄光をハイテンションで語り続ける。
男は、ひとしきり写真を撮るフリをした後
…そうよ、私にはフリに見えた…
「本部に写真を送ったので、もう少ししたら返事が来ます。
他にいらない物があれば、返事が来るまで拝見させていただきますよ。
もう使わないカメラとか、腕時計とか、ありませんか?
古くても安い物でもかまいませんよ?」
と言っている。
「う〜ん…カメラはもう無いしぃ〜」
可愛ぶって人差し指をアゴにあて、考えるヨシコ。
「腕時計はね、いい物でなくてもオモチャみたいな物でも
いくらかのお金になりますよ?」
そこでヨシコは家の中に入り、景品や記念品の腕時計を何本か持ち出した。
「5百円?」
と言っているので、それらはまとめて5百円になったのだろう。
ガラクタで金がもらえると知ったヨシコは
再び家の中に入って壊れた足裏マッサージ機を持ち出した。
「これも5百円?」
そう叫んでいるからには、5百円の値がついたらしい。
老婆を喜ばせるのに成功した男は、だんだん核心に迫りつつあった。
「それから今、ネックレスや指輪のケースが不足してるんですが
ありませんか?」
「ケース?ネックレスや指輪じゃなくて?」
「そうなんですぅ。
製造が追いつかなくて。
もし余ってるケースがあったら、高く買わせていただきますよ?」
これは、彼ら詐欺師の手。
いきなり貴金属や宝石では警戒される。
最初、ガラクタに5百円の値段をつけて、次にケースと言う。
いい貴金属は、たいてい紺やグレーのベルベット製で
金属の縁取りが付いたケースに入っているものだ。
ガラクタに値がついたことで、欲の扉が開いた人間は
ケースがいくらになるのかを聞きたくなるものだ。
ケースに入れるような宝石を持ってないと思われるのもシャクだし
「これはまあ、売るわけにはいかないけど…」
と言いつつ、自分の宝石の入ったケースをつい見せてしまうだろう。
ここまでコトを運べば、流れで中のお宝も拝見するようになる。
彼らの目的は、ケースの中身だ。
「無いわ」
だがヨシコ、これには引っかからなかった。
昔の女には宝石と、それに合わせたケースが
切っても切れない一対だという揺るぎない信念がある。
宝石だけ、ケースだけという状態は考えられないのだ。
そうこうしているうちに、“本部”から連絡が来たそうで
男とヨシコは玄関に入ってきた。
ガラクタ時計と足裏マッサージ機で、合計千円の受け取り証を書くらしい。
玄関で、男は言った。
「ここでは書きにくいんで、机のある所で…」
上がり込もうとしているのだ。
しかしヨシコ、その点は心得ている様子。
「ここでいいわ」
と玄関で住所や名前の記入に取り組んだ。
書き終わると、男は言う。
「一応、確認のために免許証か保険証を見せてください」
ヨシコは居間へ保険証を取りに行き、男は保険証を受け取ってペンを持つ。
「ええと…番号は…」
もうあかん。
口出しはしないと言ったが、放置しておけない。
「ちょっと待てぃ!」
台所にいた私は、そう言いながら玄関へ走った。
「保険証の番号、書かせるわけにはいかんわ」
と、保険証を取り返す。
「え…でも…お金と交換で受け取り証をいただかないと…」
「お金はいらん。
それより、マッサージチェアの引き取りはどうなったんですか」
「あ〜、それはですね、本部から連絡が来て
こちらの物は海外で非常に需要の高い型なので、ぜひ欲しいんですが
今、コロナでしょう。
それで、見送るという結果が出たんです」
「マッサージチェアは、コロナにならんよ」
「いえ、輸出の都合でちょっと…」
「マッサージチェアは口実で、本命は貴金属じゃろ。
コロナ言うときゃ、年寄りが納得するけんね」
「いえ、うちの会社は古物商なんで、本当にマッサージチェアが必要で…」
「じゃが、うちのマッサージチェアは海外向けじゃけん、引き取れんと」
「はい、そういうことです」
「マッサージチェア引き取ってくれんのなら、もうあなたに用は無い。
お金はいりませんから、受け取りを返してください」
「いえ、あの…奥様も何か、引き取って欲しい物があれば…」
話をそらそうと、にこやかに営業する男。
「犬!そこの茶色いの!(愛犬リュウには謝る)」
「犬は…」
男は諦めたらしく
ヨシコが書いた3枚綴りの受け取り証を差し出す。
ついでにガラクタ時計と足裏マッサージ機も置いて
帰って行った。
コピーを重ねて印字が薄くなり、文字の歪んだ書類に会社名は無い。
しかも紙の間に黒いカーボンシートを挟んで複写する、レトロな様式。
受け取り証なんて、本当はどうでもいいのだ。
まずマッサージチェアで、家の門を開く。
次にガラクタの買い取りで玄関に入り、書類の記入で家に上がり
宝石のケースで金庫を開けさせて、最後は免許証か保険証の番号。
つまりは貴金属の買い取りと、個人情報の収集が彼の目的だ。
問題のマッサージチェアは翌日、長男と廃棄場へ行って捨てた。
せっかく庭まで出ているんだから、いい機会だった。
以後、ヨシコは少しおとなしくなった。
騙された無念なのか
マッサージチェアが無くなって安心したのかは不明である。
いつものように85才の義母ヨシコが出た。
しばらくしゃべって電話を切ると、彼女は私のいる台所へ来て言う。
「マッサージチェア、引き取ってもらうからねっ!」
試合で得点をあげたエースのごとく、勝ち誇った表情だ。
「マッサージチェア?」
私は眉間にシワを寄せて聞き返す。
ヨシコのアジトである居間の縁側に置かれた
壊れたマッサージチェアは、長年に渡って我が一家の邪魔者。
このマッサージチェアを巡り、ヨシコと私は長年の攻防を続けてきた。
ヨシコはこれを捨てたい。
私も捨てたい。
両者の願望は一致している。
そして処分の方法はちゃんとある。
車で隣町にある公営の廃棄場へ持って行けば、引き取ってくれる。
しかし縁側の隅にあるマッサージチェアは
その上にガラクタが積み重ねられ、テトリスのようになっている。
それらのガラクタを取り除き、マッサージチェアを外へ引っ張り出すのは
ヨシコが考えている以上に大変だ。
自分がしでかしておきながら、この作業を私にやらせようとする…
その根性が気に入らないので、私は捨てに行くと言わない。
以前に一度、記事にしたが
この諸悪の根源とも言えるマッサージチェアを
引き取ってくれるという電話があった。
古いマッサージチェアを無料で引き取るという
殊勝な申し出をしたのは 、産廃業者を名乗る人物であった。
嬉しい話に舞い上がるヨシコと電話を代わった私は
相手が産廃業者ではなく、新しいマッサージチェアの販売者と知って断った。
が、今回のヨシコは電話を私に代わらず
自分で話して引き取りの日にちを決めた。
嫁に代わると水際でブロックされて、敗北を味わうのが嫌なのだ。
「また詐欺よ」
私は言ったが、ヨシコは強気だ。
「今度のは違う!
古物商じゃ言うとった。
古いのや壊れたのを直して、外国に売るのが仕事じゃと!」
「古いのや壊れたのを引き取って、直して、外国へ運んで
どんだけ金がかかるんじゃ。
新品買うた方がよっぽど安いじゃんか」
言葉に詰まるヨシコ。
しかし彼女には、逆上という常套手段がある。
「あんたはいつまでたっても捨ててくれんじゃないの!
私は運転ができんけん、業者を使うしかないが!」
ああ、うるさ。
私はヨシコに言った。
「じゃあ、賭けようや。
業者が来ても私は口出しせんけん、お義母さんが一人で応対して。
ほんまに無料じゃったら、小遣いあげる。
詐欺じゃったら今後一切、かかってきた電話を信じるのはやめんさい」
「ほんまじゃね?後悔しんさんな?」
すでに勝ったつもりで、ニヤリと笑うヨシコ。
それはこっちのセリフじゃわい。
2日後、業者と約束した日曜日がやってきた。
ヨシコは次男に手伝わせ
ガラクタの魔境からマッサージチェアを引っ張り出した。
そして庭の片隅に置き、まんじりともせずに業者の到着を待つ。
やがて、自称“古物商”とやらは、やって来た。
30代半ばの、小太りで人の良さそうな男だ。
12時の約束だったが、来たのは1時過ぎ。
時間を守らないところからして、すでに怪しい。
しかも彼が乗ってきた車は、なにわナンバーの軽バン。
引き取る気が無いことは、この車でわかる。
ヨシコには、近くで何軒か頼まれていると言ったそうだが
複数の家を回ってマッサージチェアを引き取るつもりなら
もっと大きい車で来るはずだ。
家の中から見ていると、男は庭に鎮座するマッサージチェアを
様々な角度からスマホで撮影している。
その間、ヨシコは初対面の人にいつもするように
昔の栄光をハイテンションで語り続ける。
男は、ひとしきり写真を撮るフリをした後
…そうよ、私にはフリに見えた…
「本部に写真を送ったので、もう少ししたら返事が来ます。
他にいらない物があれば、返事が来るまで拝見させていただきますよ。
もう使わないカメラとか、腕時計とか、ありませんか?
古くても安い物でもかまいませんよ?」
と言っている。
「う〜ん…カメラはもう無いしぃ〜」
可愛ぶって人差し指をアゴにあて、考えるヨシコ。
「腕時計はね、いい物でなくてもオモチャみたいな物でも
いくらかのお金になりますよ?」
そこでヨシコは家の中に入り、景品や記念品の腕時計を何本か持ち出した。
「5百円?」
と言っているので、それらはまとめて5百円になったのだろう。
ガラクタで金がもらえると知ったヨシコは
再び家の中に入って壊れた足裏マッサージ機を持ち出した。
「これも5百円?」
そう叫んでいるからには、5百円の値がついたらしい。
老婆を喜ばせるのに成功した男は、だんだん核心に迫りつつあった。
「それから今、ネックレスや指輪のケースが不足してるんですが
ありませんか?」
「ケース?ネックレスや指輪じゃなくて?」
「そうなんですぅ。
製造が追いつかなくて。
もし余ってるケースがあったら、高く買わせていただきますよ?」
これは、彼ら詐欺師の手。
いきなり貴金属や宝石では警戒される。
最初、ガラクタに5百円の値段をつけて、次にケースと言う。
いい貴金属は、たいてい紺やグレーのベルベット製で
金属の縁取りが付いたケースに入っているものだ。
ガラクタに値がついたことで、欲の扉が開いた人間は
ケースがいくらになるのかを聞きたくなるものだ。
ケースに入れるような宝石を持ってないと思われるのもシャクだし
「これはまあ、売るわけにはいかないけど…」
と言いつつ、自分の宝石の入ったケースをつい見せてしまうだろう。
ここまでコトを運べば、流れで中のお宝も拝見するようになる。
彼らの目的は、ケースの中身だ。
「無いわ」
だがヨシコ、これには引っかからなかった。
昔の女には宝石と、それに合わせたケースが
切っても切れない一対だという揺るぎない信念がある。
宝石だけ、ケースだけという状態は考えられないのだ。
そうこうしているうちに、“本部”から連絡が来たそうで
男とヨシコは玄関に入ってきた。
ガラクタ時計と足裏マッサージ機で、合計千円の受け取り証を書くらしい。
玄関で、男は言った。
「ここでは書きにくいんで、机のある所で…」
上がり込もうとしているのだ。
しかしヨシコ、その点は心得ている様子。
「ここでいいわ」
と玄関で住所や名前の記入に取り組んだ。
書き終わると、男は言う。
「一応、確認のために免許証か保険証を見せてください」
ヨシコは居間へ保険証を取りに行き、男は保険証を受け取ってペンを持つ。
「ええと…番号は…」
もうあかん。
口出しはしないと言ったが、放置しておけない。
「ちょっと待てぃ!」
台所にいた私は、そう言いながら玄関へ走った。
「保険証の番号、書かせるわけにはいかんわ」
と、保険証を取り返す。
「え…でも…お金と交換で受け取り証をいただかないと…」
「お金はいらん。
それより、マッサージチェアの引き取りはどうなったんですか」
「あ〜、それはですね、本部から連絡が来て
こちらの物は海外で非常に需要の高い型なので、ぜひ欲しいんですが
今、コロナでしょう。
それで、見送るという結果が出たんです」
「マッサージチェアは、コロナにならんよ」
「いえ、輸出の都合でちょっと…」
「マッサージチェアは口実で、本命は貴金属じゃろ。
コロナ言うときゃ、年寄りが納得するけんね」
「いえ、うちの会社は古物商なんで、本当にマッサージチェアが必要で…」
「じゃが、うちのマッサージチェアは海外向けじゃけん、引き取れんと」
「はい、そういうことです」
「マッサージチェア引き取ってくれんのなら、もうあなたに用は無い。
お金はいりませんから、受け取りを返してください」
「いえ、あの…奥様も何か、引き取って欲しい物があれば…」
話をそらそうと、にこやかに営業する男。
「犬!そこの茶色いの!(愛犬リュウには謝る)」
「犬は…」
男は諦めたらしく
ヨシコが書いた3枚綴りの受け取り証を差し出す。
ついでにガラクタ時計と足裏マッサージ機も置いて
帰って行った。
コピーを重ねて印字が薄くなり、文字の歪んだ書類に会社名は無い。
しかも紙の間に黒いカーボンシートを挟んで複写する、レトロな様式。
受け取り証なんて、本当はどうでもいいのだ。
まずマッサージチェアで、家の門を開く。
次にガラクタの買い取りで玄関に入り、書類の記入で家に上がり
宝石のケースで金庫を開けさせて、最後は免許証か保険証の番号。
つまりは貴金属の買い取りと、個人情報の収集が彼の目的だ。
問題のマッサージチェアは翌日、長男と廃棄場へ行って捨てた。
せっかく庭まで出ているんだから、いい機会だった。
以後、ヨシコは少しおとなしくなった。
騙された無念なのか
マッサージチェアが無くなって安心したのかは不明である。