曖昧批評

調べないで書く適当な感想など

徳川幕府のマイナーな将軍を調べてみた

2014-04-05 02:11:36 | その他
先日、暇潰しに「徳川幕府の将軍を順番に全部言えるか」というのをやってみたら、全く駄目だった。一応センター試験は日本史で受けたのだが。

その時の僕の中の歴代徳川将軍はこんなイメージだった。

(1)家康
流石にある程度は分かってる。鳴くまで待つ人。野戦の名人。狸。

(2)秀忠
凡庸なイメージ。真田親子にコテンパンにやられた。

(3)家光
「武家のトップ」のイメージ。自称"生まれつきの将軍"

(5)綱吉
わんこ大好き。

(8)吉宗
暴れん坊。米将軍。マツケン。

(14)家茂
和宮(堀北真希)の夫。松田翔太。

(15)慶喜
最後の将軍。モッくん。

なるほど、これではセンター試験に失敗するわけだ、と自分で呆れた。これじゃいかん、徳川将軍15人くらい全部言えないと駄目だろう。と思って、知識から抜けてる番号の将軍について調べてみた。主にWikipediaでだが。

(4)家綱
11歳で将軍になった。先代家光時代からの有能な家臣が残っていて、まあまあ悪くない治世で江戸時代を安定期に移行させた。

(6)家宣
綱吉の兄の息子。水戸黄門の推薦で将軍になった。将軍になったのが48歳と遅く、3年務めただけで死んでしまったが、生類憐れみの令を速攻で廃止した名君。

(7)家継
家宣の息子。4歳で将軍になり(歴代最年少)、8歳で夭逝した。本人は何もしてないが家宣の有能な部下だった新井白石らが支えた。父に似て賢い子だったらしい。

(9)家重
名君の誉れ高い吉宗の嫡男にしてはパッとしない。言語障害で引き籠り。女好きで酒好きで頻尿。だが、田沼意次を起用したというだけで名君という評価もある。

(10)家治
家重の息子。幼い頃から優秀だったが、なぜか将軍になってからはサボりまくり。将棋が好きで、詰将棋の本を出している。暗君と言われているが、将棋が強いということは論理的な思考力は優れていたのではなかろうか。

(11)家斉
子供が53人もいた絶倫将軍。生姜が好物だとか。徳川家では例外的に頑丈で長生きし、在任40年は歴代最長。一橋家出身。平和な江戸時代の象徴的な将軍。

(12)家慶
家斉の息子。父と同様に生姜が好きだが、父とは仲が悪かった。天保の改革をやらせた人だが、水野忠邦ばかり目立って、この人は教科書に出てこなかったような気がする。黒船来航で大騒ぎになってる最中に死亡。

(13)家定
家慶の息子。篤姫の夫。脳性麻痺で病弱というが、幼少時から何度も毒殺されかかってるのも原因じゃないかと思うのだが。趣味はお菓子作り。為政者としてはほとんど何もしてない。

というわけで、この歳になってようやく15人すべてを把握した。18歳の時にやってればねえ……。

学校では「何とかの改革」とかの単位で教わったので全くわからなかったが、こうして将軍だけ繋げて学ぶと、いろいろ考えるところがあった。

徳川将軍家は、血統的に何度かリセットされ、そのたびに何とか持ち直している(いい将軍が出る)ように思える。綱吉で行き詰まったが、甥の家宣で立て直したし、あっという間に死んでしまった家継の後に紀伊家から吉宗を連れてきている。紀伊家は家康の十男から始まった家なので、血統的にはそれまでの家光系からかなり離れている。さらに、紀伊系は家治で止めて一橋家から家斉を。家定がだめだったので従兄弟の家茂を将軍にした。だめになったからリセットしたというより、リセットしたら比較的まともな将軍が出てきた、といったほうが適切な気もするが。

「御三家」と言いながら、将軍を出したのは紀伊家だけで(一橋家は紀伊家の分家)、尾張徳川家と水戸徳川家からは一人も出ていない。

俯瞰してみると、家継までの家康~家光系と、吉宗以降の紀伊系にはっきり分かれてるんだね。

吉宗は幕政の立て直しのために紀伊家から抜擢した、みたいなことを学校で教わったが、吉宗の前は家宣・家継の悪くない時代なので、ちょっと違うんじゃないのかなあと思った。

次は老中の系譜を調べてみようと思った。今回の調査では、酒井、間部、井伊、堀田が何人も出てきて訳わかんなくなった。主な老中だけでも時系列に沿って並べてみたい。そうすれば何か見えてくるような気がする。

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