最近、radikoという新しい技を知りました。パソコンで(スマホも)いつでも好きなラジオ局を聴けるというとても便利なシステム。なんと放送済みの番組さえも!深夜パソコンに向かうことの多いこの時期、最高の併走者を手に入れた気分です。普段は東京FMをかけっ放しの私のデスクですが、時々どうにもつまんない(失礼!)番組もあります。そんなとき集中力が途切れがちだったけど、昔よく聞いていたFMヨコハマとか、聴いたことがなかったAMとか、合唱団の練習と時間がカブってしまい聴けなかったセカオワさんの番組とか、いろいろ聴けてとても楽しいです。
で、なんといまあの「吉永小百合」さんの番組聴いてます。流れている曲はタップの音を聞きたいという70歳台男性のリクエストで「雨にうたえば」。
なんか、素敵♪
5年ほど前にこの曲がN響で演奏されたとき、お仕事で行かれませんでした。でも、今回、そのとき残念がっていたことを知っていた伯父夫妻が招待してくれて、行ってきました。えへへ、5年前自分で行けなくてラッキーだったじゃん(←間違い)。
大オーケストラ(ハープ4台には驚いた)に200人を超える合唱団。ド・迫・力の公演でした。勿論、世界屈指の(だと思う)ソリストの方々は繊細に、豪快に素晴らしかったのだけど、やっぱり今回は『圧倒的なフォルテ』を求めて行ったので、合唱が嬉しかったです。右半身に鳥肌がゾバババババって立つ感じ。会場の方も同じ気持ちだったのか、200人の合唱団員さんがすべて舞台を降りきるまで拍手が続きました。それも、なんだか感動だったなぁー。
そしてふっと思ったのは、私は普段いわゆる「大音量」が苦手なのに、どうして大丈夫なんだろう?ということ。カーステレオや、レストランなどで自分の好み以上の音量で音楽がかかっていると、心臓がばくばくしてしまって逃げ出したくなります(なので、一人で運転しているときなどは、セカオワさんや第九が囁くような声で演奏されています)。でも、オーケストラだと大丈夫。更に言うと、1年前に初挑戦したセカオワさんのライブも大丈夫でした。要するに「生音」なら大丈夫だってことなのかな?
また、換気扇や扇風機などの継続的な機械音も苦手です。パソコンの「ぶおーーー」という低音こそ慣れましたが、車のエアコンはどうしても「2」より強くすることはできません。それなのに、カエルやセミの声で、心臓がばくばくすることはない。それもやっぱり、「生音」だから、ってことなのかなぁ……。ただ、昨今真夏のセミの鳴き声は絶叫過ぎて、ちょっとうるさいけど(笑)。子供のころから、ナンダカンダと音楽と縁のあった人生を送っている私の、「音量」との上手な付き合い方探しは、まだまだ続いて行きます。
ときに、マーラーさんはこの曲を「一千人の……」とキャッチ―に表現されることを嫌っていたとか。今も天国で嫌がってるかな。もう諦め顔で「好きにしなさい。」と苦笑いしてるかな。
今日は足利市民合唱団の定期演奏会でした。毎年、練習・準備・当日……と家族に全面協力してもらい、参加し続けています。もう11年、かな?気付いたら、結構中堅どころになってしまってます。もう少ししっかりしないと、いけないなぁー。
今年は、少人数編成によるアンサンブルや、リズムが複雑な現代曲などにも初挑戦した足唱。泣きそうになるほど大変な時期もあったけど、(そして当日の出来が一体どの程度だったのかも分からないけど)、とりあえず打上げでは、明るい気持ちで「かんぱ~~い!」と言えて良かったです。
そんな足唱としての挑戦とは別に、私は「はじめてアルトで挑戦する定演」という高い壁とひとりで静かに闘っていました。小学校4年生から、なんだかんだと合唱をしてきましたが、ずーーーーっとパートはソプラノ。とにかく音を取るのが下手っぴなので、「私はメロディしか無理」と思って歌っていました。でも、この合唱団に入って、一生懸命になっていけばいくほど、ずっと大好きだったアルトを自分も歌ってみたい欲求がむくむくむくむく……と。10年が経ったとき、第九で挑戦を試みて何とかクリア、気をよくした私は今回のコンサートから、アルトに本格的にコンバートさせていただいていました。
深刻な悩みから、笑っちゃうような失敗などをひとつひとつクリアしていって、どうにか今日を迎える事ができました。一度も「んぐ……」とならず、とにかく全曲「歌えた」だけで、もう大感激!わたし、遂にアルトになったんだなぁーーとアンコールのときは、感無量でした。
足利市民合唱団の定期演奏会まで、あと1か月ちょっと。寝ても覚めても、歌が頭の中で流れている時期がやってきました。
今年は踊り&へんてこ衣裳がないのでその辺りはちょっと楽なのですが……。なんとしたことでしょう。まだ、全く暗譜が出来ていません。
楽譜を持って歌う曲が殆どなのですが、わたしは個人的に一応毎年、すべての歌詞は見なくても歌える状態まで持っていくようにしています。そうしないと、本番で異常に興奮しちゃったり、不安過ぎて指揮をガン見(あるいは、睨み)状態になっちゃったりして、楽譜のどこにいるのか迷子になってしまったときに、対応できなくなっちゃうんで(←一体、何回舞台にのれば、慣れるんですかねぇ……あの緊張感)。
ところが、今年は、「全員かならず暗譜」と指示が出ている曲すらまだ頭に入っていないんです……。『加齢なの?これは、加齢現象なの?1年でこんなに急激に!?』って、一人で静かにすごい動揺してたけど、どうやらアルトに移ったことも原因らしい。ソプラノの頃は、練習してればいつの間にかザックリは覚えちゃうし、あとは危ない場所と歌詞を叩き込めば、暗譜ちっくな状態までたどり着くことが出来てたんだけど、アルトになって、楽譜上で「音符」も必死に追っていたんだ……と気付き、暗譜作業のスタートが遅かったと痛感中。
原因が判明したので、もう必死で頑張るしかない。寝ても覚めても、「ぶつぶつぶつぶつ……」、頑張ります♪
<足唱コンサート>
日曜日かぁ……。どうしようかなぁ。日曜日は仕事入る可能性大だし、なぁ。でも、多分前以て買っておかないと売り切れるパターンだよなぁ。うーんうーん……と悩んだ挙句、「えい!」とチケットを買ってしまってあったコンサートに行ってきました(案の定お仕事が入ってしまったのですが、いつものように家族に頭を下げてお願いして強行。ごめんなさーーい)。
私は合唱オタク(聴く方)を目指しているのですが、合唱ってなかなか幅が広く、奥も深く、何が何だか正直よく分かりません。ただ、私が所属している合唱団の先生周辺から漏れ聴こえてくるコンサートに行っている限りハズレはないので、どなたかのおススメ的なものに行かれる限り行っています。今日は特に、「ファンクラブ足利支部長」と自負しているテノールの大貫浩史先生がご出演だったので、もう絶対行きたいって思って。
楽しかった~。大抵、「(ハーモニーに)感動して涙があふれる」 或いは 「知っている曲もいっぱいでフレンドリーで楽しい」 のどちらかになりがちなのですが、その両方がにくいバランスで入っていたコンサートで。『あくまで素人ですが、合唱が大好きで結構マヂで歌ってます。』という層をお客さんとして想定している感じで、なんだか居心地良かったです(『みんなで一緒に歌いましょう』コーナーで、舞台から「もうちょっと高め~」って注意が入るコンサートって滅多にない気が……笑)。
これからどんどん活動の場を広げていくそうで、すっごい楽しみ!彼らのコンセプトは、『すげえいい声でめちゃくちゃハモる』。最初チラシで見たとき、「おぉ!攻めのコピーだなぁー。」と思ったけど、そういう強気ってすごい好き。今日のコンサートで、お一人ずつのキャラクターも分かったし、お人柄も伝わってきたし、小ネタ満載でサービス精神が旺盛な方々だってこともよーーーく分かったし(笑)、今後もコンサートがあるときは、通いつめたいと思います。ファンクラブが出来たら、相当若い番号で登録するぞっ。
(2007年にブログを始めて以来、こんなに長い間書かなかったのは初めてでした、まだ読んで下さる方……本当にいるかなぁ。)
二代目と私はそれぞれ作業部屋を定めて(二代目は倉庫の片隅、私はプリンター部屋の片隅)、日々仕事をしています。撮影のピークを越えた今、11月に撮影しまくったお写真をひたすら形にする作業が続いています。少しでも早くお手元にお届けできるよう、頑張らなくちゃいけません。うちは頑固に、セレクトからリタッチ、プリント・台紙貼りまで全て家内作業しているので、「働いた時間=できあがりの早さ」に直結。気力と根気の試される時期です。
そんな中、音楽は背中を押してくれる大切な道具です。
二代目は多忙度によって選曲がかわってきます。
「頑張れ、俺!」程度のときは、洋楽のハードロック系
「が・がんばれ、負けるな、俺!!」レベルで、中島みゆき
「う……ぐ・ぐるしい……助けて、神様、仏様、なおみさま!!」レベルまでくると、演歌(しかも歌っているのが中森明菜だったりする)
そして、さっき明菜ちゃんがどすの効いた声で、「あまぎぃ~~ごぉ~え~~♪」と歌っている部分で、外の駐車場から、「にゃにゃにゃーーん、にゃおぉぉ~ん♪」と真っ白な猫が鳴き上げてました。色っぽかったわぁー。
二代目が「すごい」というコトバはとても雑だ、と言うので、昨今では「すっごーーい」というコトバを使わないように気を付けています。でも、もう他に表現しようがなくて、語れば語るほどうそっぽくなるから、もう敢えて言うぞ。すごかった……。
音楽好きの伯父と伯母が誘ってくれて楽しみにしていたコンサート。30数名のちょうど男女比半々くらいの地味な衣装に身を包んだ人々がただ、ずらりと並んでアカペラで歌う合唱団。曲が終わっても、指揮者が「拍手していいですよ。」という空気を体から醸し出すまで会場中が固まっていて、爆発的に拍手とブラボーが始まるあの感じ。久しぶりだったなー。私も演奏中はなんだか「飲み込まれ」ちゃって、気を付けてないと背もたれからどんどん背中が離れて前のめりになってしまう感じ(←後ろの方に迷惑なので止めましょうとよく会場アナウンスが流れるやつね)。で、曲が終わって拍手しながらだんだん感情が身体に現れてくるって感じ。拍手しながら、がんがん泣く、あの感じ。
上手な合唱を聴いたときって、大抵そのピアニッシモにしびれることが多い気がするんだけど、昨日の合唱団に関しては私はフォルテッシモに震えました。たった30数名が放つその迫力。「大きい」っていうより「強い」フォルテは、私たちが具体的に自覚できていないどこかを刺激するんだろうと思います。上手な合唱を「お聴かせしましょうね。」じゃなくて、「聴いて!私たちの歌を!聴いて!!」という強い何かが1曲1曲伝わってくる感じは、プロの舞台を聴くとき特有の「遠い世界」な感じが薄く、歌っている人たち一人一人の魅力が客席に降りてくるような感覚がありました。個人の声が飛びぬけて聴こえるなんてことは決してなかったのに、一人一人のリサイタルを聴いたような個性を感じる合唱団。アンコール、いつまでもやって欲しいって思ったなー、3曲もやってくれたんだけど。他にも色々聴きたい。スウェーデンまで追っかけしたいくらいに、もっと色々な曲を聴かせて欲しい!渇望!
昨日はコンサートへ行ってきました。セカオワさん?いえいえ、クラシックです。テノール3名バス1名&ピアニストによるアンサンブルです。まぁ、なんて贅沢な人員構成。70名程度の会場なので、いつもながらに臨場感ハンパなく、ちょっと気を許して凝視しちゃうと歌手の方に気付かれてしまいそうなので、(勝手に)客席で緊張してしまう規模。二代目はよく「100名の集合写真は平気だけど、15名くらいで距離が近い撮影は緊張する」と言っていますが、音楽家の方々はどうなんでしょう?声がもうそのまま、リボンも包装紙も付けずに目の前に届けられてくる感じ、贈り主としては結構緊張するのかなぁ……と思ったりもするのですが。
で、コンサートの感想は、ピアニスト先生や関係者各位が読んでいらっしゃる可能性があり恥ずかしいので、省略。二代目に、「それでね、それでね……」と話したことで満足しましたし。
昨日のコンサートはバラエティに富んだ選曲だったので、ビートルズの「Yesterday」なんかも聴くことが出来たのですが、ポール・マッカートニーがあの歌詞に、幼いときにお母さんを癌で亡くした際の想いを込めていたというエピソードをはじめて知りました。寝ている時にこのメロディが浮かんで、朝飛び起きてとりあえず「スクランブル・エッグ」という題名で作曲したとか、あまりにも完璧なメロディなので、既発表曲なんじゃないかと不安で、仲間に聴かせてまわってから発表した、とかのエピソードは知っていたのですが。正直なところ、今までこの曲の歌詞はその素晴らしいメロディにササッと付けた男の勝手な言い分っていう気も少なからずしていたので、目からウロコでした。そんな背景を知って聴くと、うーー、ビートルズ、またひっぱり出してきて聴こうかな、という心境です。
Why she had to go
I don't know she wouldn't say
I said something wrong
Now I long for yesterday
うーー。
この作品がオペラになっていると知ったのはいつごろだったんだろう。「観てみたいような、観たくないような」と思ったのは、前回の新国立公演のときだったのでしょうか。
6月に新国立で「沈黙」公演があるのは随分前から知っていて、行かれる時期だって分かっていたけど敢えてチケットは買っておらず、ほんの数日前になって、一応……と覗いてみたところが、足利第九演奏会でソリストにいらしてくださった方が何人もキャストを務められる日に、ものすごくイイ席がぽっかり空いている……。「行けってことだろうなぁ。」と、半ば勢いでチケットを購入しました。
原作をもう一度読み直してから行くべきだろうなって、読んでみて。感想も反応も思いも何もかもが20代前半に読んだ時と変わっていない自分に、何だかガッカリして、事件も政治も私を落ち込ませるばかりの6月後半の日々を、暗澹とした思いで過ごしていました。そういう時に限って、仕事でもプチミスを繰り返したりするんだよねー、もう……。
このオペラを創っていく過程で、いかに原作を大切に扱っていたかが伝わってくるような、そんな音楽と歌と舞台でした。あの舞台に乗っている人たちは、きっと苦しいだろうなぁ、と想像しながら、でも「伝える」ために必死で奏でているんだろうなぁ、と感謝の思いが湧いてきたカーテンコールでした。