昨日、車の中でふっと鼻歌をうたった自分に気付き、「あ、歌ったのは本当に久しぶりだ」と思いました。しゃべっているか、眠っているか、鼻歌をうたっているか……の私にとって、1週間、歌を忘れたのは初めての経験だったかもしれません。
マツモト写真の先代(二代目のお父さん)が先週亡くなりました。8年くらい前からの闘病生活で、最後は車椅子での不自由な生活になっていましたが、肺炎で本当に突然旅立ってしまいました。
自分のことを棚にあげ、私たちの健康ばかりを気にしていた先代らしく、写真屋の一番暇なこの時期に、しかも閉店時刻をまわった頃に亡くなりました。最後まで、マツモト写真の主軸らしい、そして優しさの固まりみたいな人だったお父さんらしい、最期でした。
この病気になって最初の頃に、看護士さんに言われたことがあります。「大抵の人はそのつらさに周囲にあたったりするものなのに、松本さんは夜勤の私の体調をいつも気にかけてくださるんですよ」と。
最期まで、優しくて愉快で、写真と家族のことばかり気にしていたお父さんは、晩年は殆どどなたにもお会いしない生活だったのに、沢山の方々がお別れにきてくださいました。皆さんがお焼香してくださるのを見ながら、お父さんの照れている姿が目に浮かぶような気がしました。
生意気で、ちっとも嫁らしいことをしなかった私を、本当にかわいがってくれました。きっと今頃は、また歩くことが出来て、お箸で好物のうどんが食べられて、シャッターを押すことが出来て、幸せな日々を送っていると、心から信じることが出来ます。でも、やっぱりとても寂しい。
マツモト写真の先代(二代目のお父さん)が先週亡くなりました。8年くらい前からの闘病生活で、最後は車椅子での不自由な生活になっていましたが、肺炎で本当に突然旅立ってしまいました。
自分のことを棚にあげ、私たちの健康ばかりを気にしていた先代らしく、写真屋の一番暇なこの時期に、しかも閉店時刻をまわった頃に亡くなりました。最後まで、マツモト写真の主軸らしい、そして優しさの固まりみたいな人だったお父さんらしい、最期でした。
この病気になって最初の頃に、看護士さんに言われたことがあります。「大抵の人はそのつらさに周囲にあたったりするものなのに、松本さんは夜勤の私の体調をいつも気にかけてくださるんですよ」と。
最期まで、優しくて愉快で、写真と家族のことばかり気にしていたお父さんは、晩年は殆どどなたにもお会いしない生活だったのに、沢山の方々がお別れにきてくださいました。皆さんがお焼香してくださるのを見ながら、お父さんの照れている姿が目に浮かぶような気がしました。
生意気で、ちっとも嫁らしいことをしなかった私を、本当にかわいがってくれました。きっと今頃は、また歩くことが出来て、お箸で好物のうどんが食べられて、シャッターを押すことが出来て、幸せな日々を送っていると、心から信じることが出来ます。でも、やっぱりとても寂しい。