ごく稀に(例:寝込んでいる、髪の毛ボサボサ・ノーメイクで出掛けたくない等)、「何か食べ物、買ってきて下さい。」と二代目に依頼することがあります。すると、二代目は、それはそれは長時間スーパーマーケットから帰ってきません。そして、山のような食べ物を抱えて帰ってきて、不安そうに言うのです。『僕は君が何を食べたいのか、分からないんだよ』と。
もう20年弱一緒に暮らしているのですが、どうも私の食の好みが分からないというのです。でも、上記のお願いをして、「参ったな、これは。」という物を買ってこられちゃったという記憶は特にないのですが。わたしの大喜び度が足りないのかな?「うわー!ちょうど、コレ食べたいって思ってたの!」って感じの(反省)。
ただ、私は二代目に何を買ってくれば喜ぶのか、かなり確実に知っている気がします。
杏仁豆腐とブリ。もう、これでOK。
昨夜、二代目は風邪気味だったので早く休んでしまい、一人で仕事場にいました。とても静かで、なんかちょっと怖いくらい。「そういえば、友だちに借りたCD、聴いてなかったな。」と取り出したら、仕事の手は完全におろそかになり、散らかった仕事部屋が突然オペラ座に見えてきて、寒々しい蛍光灯が巨大シャンデリアに見えてきました。ジャーン、ジャジャジャジャジャーン ジャジャジャジャジャーーン ジャジャジャジャジャーン に合わせてマントを翻す!(ふりをする)。すっかり怪人気分満喫、主人公はわたしだ!!あー、楽しかった。
という訳で、『オペラ座の怪人』の仮面舞踏会風な夢でも見ようと、仕事を切り上げたのですが(いや、どうせやってませんでした)、ハミガキしながらついテレビつけちゃったら、やってました!パラリンピック!
ど・は・く・りょ・く!
ド・迫力!
パラリンピックをオリンピックの前にやったらいいよ案を、私は個人的にとても気に入っているのですが、こんなの先に見ちゃったら、「滑降」競技とか、かえってオリンピックの方が物足りなく見えちゃうかも。毎日30分間だけやっているダイジェスト版でしたが、それだけでも、どれだけの感動が詰まっていたか。転んだときの、周囲の慌て方を見ても、『あぁ、毎日、毎レース、命をかけてやっているんだ、この人たちは』って実感させられるし。
日本は、パラリンピック開催を数年後に控えている国なのです。もっともっと盛り上がっていいのになぁ。15時ころと20時ころ、それと昨夜の私のように深夜2時ころ(だったかな)、Eテレ(旧教育テレビ)でやっているようです。ふと思い出したら、見てみてください。すっごいよ!
昨日は3月11日でした。まだ3年という月日しか経っていないのです。つらい思いで過ごした方が大勢いらした事でしょう。昨日は、「復興」や「原発」のことを考えるよりも、ご家族を亡くされた(或いは探している)方々の悲しみだけを思って過ごしました。ただ、テレビは大相撲中継以外は、見ないようにしてしまいました。「忘れないようにしよう。」って訴えられるほど、誰も忘れていないでしょう?
「復興」に向けて、さまざまな事をしている人が沢山居ます。「原発」の後片付けが済まない以上、「復興」が完成することなんてあり得ないけど、でも前には進んでいると信じたいです。私たちが日々働いていることや、治めている税金が復興の原動力になっていると、信じたいです。信じていいのか、本当に不安でたまらないけど。
お財布に少し余裕が出来れば、市役所内に設置してあった募金箱に持って行っていました。でも、新聞を読んでいると、本当にちゃんと使われているのか心配になってきました。
だから、銀行に用事があったとき、お財布に少し余裕があれば、赤十字社に寄付を送ったりもしました。でも、新聞を読んでいると、どうやらそれも必ずしも安全な方法ではないみたいに思えてきました。
そう思って、ちゃりんちゃりんと溜めているだけになってしまった貯金箱が3つになりました。3年経った昨日、「どうしよう」と考えて、ふっと愉快な人たちの顔が浮かびました。私は笑うことは大好きなのですが、多分頭の回転が悪いせいで、「お笑い」が好きではありません。だから、芸人さんとかも全然知らないのですが、サンドイッチマンという芸人さん(2人組)が、東北の出身で、何か復興のための活動をしているとラジオで聞いたことがあったことをふっと思い出し、ホームページを探してみました。具体的な活動(親御さんを亡くされたお子さんたちへの教育資金基金)が信用できそうな気がしました。とりあえず、この窓口に送ることにします。
義援金という形でしか罪悪感をゆるめることが出来ない今の私が、かなり残念です。
Facebook(フェイスブック)というSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で、日々遊んでいます。インターネット上でお友だちと情報交換や、お喋りをする場所です(勿論、ビジネスに使用されているケースも多々あると思いますが、私に関して言うと、遊び場としてしか使っていません)。
いまの若い世代と、我々世代(40代半ば)とでは、『バーチャル』な世界での付き合い方が根本的に違うんだろうと、感じています。実際、私にもこのFacebook(以下、FBと略します)上でお友だちになったり、再会したりしたお友だちがいるのですが、いつの間にか『リアル』なお付き合いに発展してきちゃうのです。なんだか、それがとても自然な気がして。実際、お会いした方もいますし(っていうかー、いきなり四国まで訪ねて行っちゃって、2日間も観光案内させてしまった……)、電話してきてくれたり、美味しい物を送ってくれたり、私も時にはプレゼントをお贈りしたり。急にお友だちが増えた気がして、とても嬉しいです。『友達100人でっきるかなー?』みたいな、わくわくした気持ちなのです。
昨日も、兵庫では春といえばコレ!という存在らしい『イカナゴ』なるお魚が届きました。彼女はもう20年近く(!)年賀状だけのお付き合いだったのに、FBで再会し、お互いの日々の暮らしや家族、悩み事まで知る存在に戻ることができました。あの頃は、しっかりチャッキリ真っ直ぐ少女だった彼女が、今ではしっかりチャッキリ真っ直ぐなのに、ほんわかふんわり優しさの漂う女性となって、ご家族を支えているのを改めて知ることが出来たのは、本当に嬉しい事でした。
Facebook、まだ暫くハマって遊んじゃいそうな感じです。
カメラマンと一緒に暮らすようになって驚いたのは、「日々の何でもない時に写真を撮ること」でした。
今でこそ、携帯・デジカメの普及により普通のことになりましたが、まだフィルムカメラしかなかった時代。現像代をかけてまでこんな写真残すかなぁ……と可笑しく思っていましたが、見返すと実はそんな写真が一番面白かったり、盛り上がったりするもんです。また、そういう何気ない日常こそ、わざわざ写真で残さないと、きれいさっぱり忘れてしまいがち。そういう意味では(もとい、そういう意味でも!)、カメラマンを家族に持てたことは良かったなぁ、と思っています。
なんたって、こんな写真を何気なく残してくれますからねー。愛媛直送、新種柑橘「はるか」です。酸っぱそうな見た目に騙されがちですが、とてもやさしい甘さでした♪