善光寺をクリアして、「はて。あとはどこへ行ったものか……」と考えて。こんな場所に行ってきました!残念ながら暖冬の影響か、お風呂に入った姿は見せてくれませんでしたが、たっぷり2時間楽しませてもらいました。こっちのカラダ冷え切ったけど(笑)!
こういう距離感。でもうっかり目を見て至近距離で撮影しようとした二代目は襲われました(笑)。2時間ステイして、すごい量のカメラマンがいたのに、襲われたのは彼ひとり……
プロ撮影の写真も載せておきます!スイッチ入って撮影に没頭してた二代目がいたので、私は見ることに集中できました。動物園も楽しいけど、こちらがお邪魔させていただく環境での動物たちを観察するのはとても楽しかったなぁ。
戸隠に行ったとき、善光寺を素通りしたことをずっと残念に思っていました。なので、行く! 行った!のぼった!暗闇に潜った!(写真は撮れない) done!
ということで、残りは松本家の旅=食です。いってみよー♪
若女将的、長野の旅ハイライトその1。「パティスリー平五郎」のカフェ。いちごのモンブランとチーズケーキ。「モンブラン」部門および「チーズケーキ」部門の私史上ナンバー1を両部門ともかっさらっていきました。一応二代目にもと2個オーダーしましたが、最終的にほぼ1人で2個食べました(笑)。
長野といえばの「おやき」。ちょっとイメージしてたのと違ってあんまんみたいだったけど、ほかほかで寒い体に沁みる。
初馬刺し(たてがみ?)。うん!経験した!ありがとう!(何故お礼を言うかというと、どこかで頂いた観光MAPのサービスで、居酒屋さんが無料で出してくださった。高そうなのに……)
信州みそラーメン。おさるのせいで(後で書きます)からだが冷え切っていたこともあり、大変美味でございました!
おまけ:長野の名物といえばこの人も。空席の大関を埋めるのは君だ!!
「おぐ」と呼ばれまくる2日間を過ごしてきました(旧姓が小倉なので、結婚するまでずっとニックネームは「おぐ」でした)。
金曜日の夜は、新人時代(平成4年度入行)から数年間お世話になった歴代課長の素敵なお食事会にスペシャルゲストとしてお邪魔しました(自分でスペシャル言うなって?)。日曜日の夜になると「わーい。明日は仕事だー♪」と本気で思っていたころの上司たち。私、お給料頂くというより、授業料お支払いすべき行員だったよな……。
そして、一緒にお食事会に参加した大好きな先輩(銀行時代、隣の席だった先輩)のおうちにお泊りして、夜中までお喋りして。私のためにお相撲を録画しておいてくださったので、パジャマで夜中にお相撲見たりして。女子会楽しい♪
そして翌日は、新人時代に1年半居候した母の実家があった自由が丘を久しぶりに1時間ほど散策。意外と変わっていない街並みになんだかほっとして、片道15分の駅までの道を往復。お世話になっていた美容院もそのまま営業されていて、(多分)激戦区である自由が丘で残っているなんて、実はとってもいいお店だったのかな。
そして、新人時代から6年間ずっと仲良しだった同期とランチ。10年以上ぶりの再会に「話題があるかしら」などと心配していたのは杞憂もいいところで、気付いたら5時間喋り倒していました(笑)。再開を固く約束して駅でハグして別れました。若くてキラキラしていた彼女が本当にそのまま今でも輝いているのを5時間目の前にしていたら、なんだか私も若返っちゃった気がしたなぁ。
懐かしいお店「モンブラン」で母にお土産を買って帰路へ。
本当に軽い気持ちで就職を決めた銀行だったのに、私はなんて大切に育てられ、愛され、幸せな時間を過ごさせていただいたんだろう。感謝というコトバでは軽すぎる気持ちでパンパンになって足利へ帰ってきました。6年間の銀行員時代に惜しげなく与えていただいたすべてのものが、今の私の仕事人の部分を支えてくれているんだなぁ。短大の就職説明会で、微塵も考えていなかった金融系説明会の部屋に迷い込んだ自分をほめてやらなきゃならんね!
さぁ。長かった若女将の夏休みももうおしまい。しっかりがっつり仕事モードに突入です!
3月11日ですね。
あの日は金曜日で、合唱団の練習日でした。
キャラ的に普段は絶対しないのに「ホワイトデイ近いし、クッキー焼いてみんなに配ろうかな」と沢山用意していて、停電中に「とりあえず食料は大量のクッキーがあるな」と思ったので覚えています。
ちょうどお義兄さんがスキーに行っていたので、義姉もうちに泊まることになり、義母と4人で鍋を囲みました。
「私たち、いつ電気がつくかも分かんなかったのに、そんなに不安じゃなかったよね」と昨夜二代目と思い出していました。どちらかというと、義姉もうちに泊まることになって、義母と4人で「これぞ、本当の闇鍋だねぇ」などと言いながら、鍋を囲んだりしていたからだと思います。そして、停電のおかげで東北の大変な状況をまだ全く知らなかったから。
それから数か月後、あまりにも何もできない自分が歯がゆくて福島へ旅行しました。行く先々で「こんな町に今遊びに来てくれてありがとうね」と言われました。自分のせいじゃないのに、そんな風に自分の町を表現しなくてはならない方々の気持ちを考えて、「こんな時に遊びに来る位しか出来ない自分って……」と、なんだかつらい旅だったな。もうお元気になって、今は「いい町へようこそ」と胸を張っているといいな。
私は忘れてしまう生き物で、目をそむける生き物。でも、それじゃいけないと戒める日。前向きに、前向きにと頑張る方々が、せめて1年に1回は後ろを振り向いて心を痛める一日に、想いだけでも寄り添う一日を私も送りたいと思います。
お中元カタログとにらめっこしていた時に、「ぎゃーーーー、コレ可愛いぃぃぃぃ♪ 誰か私に贈ってくれないかなぁ、お中元(T_T)」。
と思っていた……ら、届いてしまった!!!神さまが私の独り言を旧友に伝えちゃったの!?
私は決して、「可愛いくて、可哀相で食べられなぁ~い❤」という乙女キャラではありませんが、これは流石にちょっとだけ躊躇しそうな予感はするけど、美味しく頂こうっと。わくわく。
以下、個人的に連絡:
<贈ってくれた旧友へ>
ブログを見ていたらいいな!本当にありがとう!!PCメールのアドレスが古かったようで、切手を貼るタイプのメイルを昨日送りましたが(笑)、とり急ぎブログ書いてみました。本当にありがとぉぉぉぉ。「御礼」って熨斗が貼ってあったけど、私こんな素晴らしい御礼をしていただくようなこと、貴女に出会ってから今まで一回もしてないなぁ。どうしよう!(しかもちょうどここ数日、年賀状の整理をしていたので「元気かな~」って思ってたんだよ。ほんと、凄すぎる、このシンクロ感)。
コドモの頃からずっと教会学校でお世話になってきた高橋先生が亡くなりました。この辺りの2,30年前のコドモたちにとっては「みどり文具のおじさん」と呼んだ方が馴染みがあるかもしれません。私のこのブログの愛読者?で、毎年、年賀状には『画面の上の写真はそろそろ取り替えないのですか?』や、『最近あまり更新されませんね。残念です。』などと“コメント”を寄せてくれていました。今年の年賀状には、私がブログに感想文を書いた本を『今度読んでみようかと思っています。』とありました。
5年前、自他ともに認める最愛の奥様であった洋子おばちゃんに先立たれ、とても寂しい想いをされていたと思います。今回、亡くなる前に高橋先生が書き残した文章が前夜式で紹介されましたが、「洋子さん、結婚してくれてありがとう。これからはずーっとずーっと一緒にいられますね。」と結んでありました。洋子おばちゃんのときは本当につらい、痛みを伴うほどの悲しみに満ちた想いでしたが、今回は不思議な、少し語弊があるかもしれないけどほっとしたような気持ちになりました。とても自然に、おばちゃんのもとへ行ったんだな、と信じることができたからかな。
洋子おばちゃんが亡くなったあと、「自分が死んだ後に、捨てられてしまうと悲しいので、すべてお返しします。」と、今まで私が色々な局面で送ってきたお手紙をすべて送り返してきた高橋先生。今回、昔の私が書いたその手紙たちを御棺に入れて頂こうかと持参したのですが、自治医科大学に献体する遺志が残されていたとのことで、それは叶いませんでした。身体に障害を持っていらっしゃったので、未来の医学や研究のために、その献体の意味はきっととても大きいのでしょう。最期にかっこいいとこ見せつけられてしまったなぁー。
日曜日の告別式はさすがにちょっと泣いちゃうと思うけど、それでも大きな声でしっかり讃美歌を歌ってこようと思います。お迎えにきているであろう洋子おばちゃんは私が歌うことをいつもとても喜んでくれる人だったしね。
日曜日、午前11時。多くの人でごったがえす北千住駅東武線から千代田線への乗り換え通路にて。
(しばらく眺めていたが、気にはするものの、何となく誰もが通り過ぎてしまう……)
若女将:「あのーー。大丈夫ですかぁ?もしもし~。大丈夫でーすーかぁーー?」
横たわる若者:(無言)
若女将;「き・きこえまーすかぁーー?」
横たわる若者:(無言・全く動かない)
近づいてきた小5くらいの少年A:「酔ってるんですか?」
若女将:「え?あー、そうだよね、ど・どうかな。」
小5くらいの少年B:「息はしてますか?」
若女将:「え?あー、そうか。ん、どうかな。」
小5くらいの少年C:「大丈夫です。腹が動いてますから息はしてますよ。」
小5くらいの少年D:「そこを曲がったところに改札があるから駅員さんに伝えましょう。」
若女将:「そうだね、そうだよね。」
いつの間にか後ろに居たとても綺麗なお嬢さん:「あ!じゃあ、私行ってきます!」
若女将:「あ……あ、すいません。」
お嬢さん:「言ってきました!他の方からも連絡があったみたいで、この方酔っているらしいです。いま駅員さんが向かっているそうですよ。」
若女将:「あ、そうですか。そうですよね、ははは、どうもすみません。」
お嬢さんと少年たちA~D:「じゃ!」
若女将:「あー、あぁぁー、あーうー。」
どう考えても最年長でしたが、一番使い物になりませんでした……。AEDの使い方講習は受けたけど、こんなんじゃいざって時全く役に立てないだろうな、と静かに反省した出来事でした。「イマドキの若者はなっとらん」……?、いやいやとんでもない、冷静で優しくてかなり頼りになりますよ!
世の中のGWが終わり、人々ががっくり肩を落として出勤し始めた頃のんきにお休みを頂いて、旅をしてきました。大好きな名古屋(なんと3回目)、グルメ旅です。
ブログ書こう、ブログ書こうとグズグズしていたら、二代目が見事にまとめたブログを書いてくれたので、そちらのリンクを……。私は私目線の旅日記を後日、つらつらと書くことにします。まさに忘備録。ブログに書かないと、悲しいかな、忘れてしまうんですよ、そのときの気持ちとかを。
二代目の修行日記 「メガ・ギガ・でら」
足利で知らない人は居ない老舗お菓子やさん「虎谷」さんが閉店しました。本当に悲しいです。
子どもの頃から慣れ親しんできた味でした。『栃の木もち』を開けた瞬間にクシャミして大変なことになったり、『ゆりかご』の銀紙にくっついちゃった皮をお行儀悪くなめたり。すみません、地元ネタで。
マツモト写真に暮らすようになって虎谷さんの井草店がとっても近くなり、更に食べる機会が増えるようになりました。昔から大好きだった『ポナペ』をいつでもヒョコっと買いに行くことができて、とても幸せでした。風邪をひいた時や、寝不足や過労で食欲が減退した時なども、『ポナペ』だったら、食べたい……と思え、モソモソと1個食べきることができました。近所のスーパーマーケットでもバラ買いすることが可能だったので、私の活力源となってくれていた『ポナペ』。もう食べられないなんて、一体わたしはどうやって秋~冬にかけての多忙期を乗り切ればいいのぉぉぉぉ(泣)。
最後は、ポイントカードにハンパに残ってしまったハンコ分もおまけしてくれた虎谷の店員さん。本当にお世話になりました。
ご近所の方が、最終日に虎谷さんのショーウィンドウにみんなからの「お別れの言葉」を貼りましょう!と誘って下さったので、私もペタっと貼ってきました。