会話1
某おばあちゃん:「い~ちにぃさ~んよぉ~ん……あぁ、1円足りないねぇ」
店員さん:「あー。残念でしたねー。はい、5円のおつりです♪」
店員さん:「お水、お車まで運びますよ?」
某おばあちゃん:「大丈夫。大丈夫。自転車だし」
店員さん:「自転車なんですか!大丈夫ですか?じゃあ、自転車のかごまでお運びしますね。」
某おばあちゃん:「すいませんねぇ」
会話2
某おじさん:「これ、お中元用に包装できますか?」
店員さん:「もちろん出来ます!あ、でも……ちょっとお待ちくださいね」
店員さん:(走って戻ってきて)「これ!これ同じお酒ですが箱に入っててお値段同じなんです!どうですか?」
某おじさん:「おぉ!その方がいいね。ありがとう」
ほんの数分の滞在で漏れ聞こえたこんな会話だけで「良いお店だなぁ。」って印象が残りました。
やっぱりお店は人だなぁって、勉強になりました。
今まで存在だけ知ってて入ったことなかったけど、きっとリピーターになると思います。
二代目は見たことない輸入ビールをいっぱい見つけて大喜びだったし(笑)。
二代目が恒例の撮影をいたしました。楽しそうでしたがやっぱり……酔狂と言わせてもらいましょうか(笑)。
なかなか面白いと思うので(特に動画は今回はじめてでしたが、興味深いです)、是非ご覧ください♪
明日、数か月間わたしのニンジンとして鼻先にぶら下がっていた(訳:とても楽しみにしていた)コンサートに行く予定だった。もう12月なら大安の日曜日だって、きっと大丈夫だろうと思ってた。スケジュール帳にも「この日は尚美、休ませてください!!」とドンピシャマークを2つも付けてお願いしてあった。
が、行けなくなってしまった。
行けないと本能では分かったけど、現実として認められなかった日に、お布団の中でちょっと泣いてしまった。遠足の日に熱を出したコドモか!と自分に突込みながら、久しぶりに文字通りの「泣き寝入り」をした。
で、また数日が経った今。何となく、哀しい80%の中に明るい気持ちが20%くらい存在してるな、と思う。
私には今、ここまで楽しみだったものも諦めようと思えるほど大切に守りたいと思っているお仕事がある。そして、その決断によって「口では行っていいよって言ったけど、全く本音じゃなかったよ」と言われるほど家族に(一応)頼りにされてることが分かった。
「ランチをとる閑がない!とサンドイッチくわえてパソコンを睨み続けるような仕事につきたいです」と飲み会で発言して、教授に「あなた、バカですね」と言われた学生時代の私は想像もしていなかった今の仕事だけど、なんかちょっと良かったなってことに改めて気づいて。
こんな風に感じている写真館のお仕事。大切にしよう。真面目に働こう。
※因みにそのコンサートは、ベンジャミン・ブリテンというイギリスの作曲家の方をテーマにしたもので、私の大好きなアルトとテノールの声を、ブリテン研究家の第一人者の方の生解説付きで堪能できるという夢企画でした。チケット完売とのことなので、きっと第2弾が、きっと。
あけましておめでとうございます。
昨年は本当にさまざまな場面でマツモト写真をご利用いただき、本当にありがとうございました。今年も私たちに出来る限りの努力をして頑張っていきますので、宜しくお願い致します。
と、オフィシャルなご挨拶もして、若女将っぽく決めましたが、はぁぁぁぁぁ、やっとこの時がきました。毎年分かっちゃいるのに夏に遊び過ぎて、結局秋にすべての仕事が集まってしまい(まぁ、私に調整できないこともいっぱいありますが)、10~12月、多忙を極めました。今年は特に色々と大変なことが重なり、例年にないピンチを迎えたりもしましたが、「はぁぁぁぁ」と元旦を迎えることが出来て、本当に幸せ。ありがたいことです。
いつも多忙極める時期に体調も崩してしまうのを、自分でも何とかしたいと思っていました。でも、どうしても忙しくなってくると食欲が減退し、「食べるぞ!!」とおっきいお肉を目の前に置いてみても、結局2口3口でギブアップ。不規則な生活と疲れに後押しされて、みるみる体調を崩してしまうのが常でした。それでも、つい「仕事だけの毎日じゃ、心が枯れてしまうぞ」と、無理をして合唱の練習に行ったり、お友達と食事に行ったりしていましたが、今年はすべてを「諦める」と比較的早い段階で決意。とにかく「起きていられる時間はすべて仕事。その替わり、少しでも長く睡眠をとる」を実行しました。
その結果、ちょっとコンコンしたけれど、最後まで元気なままでいることができました。大切なんだなぁ、眠るって。
という訳で、仕事も落ち着いて体調も万全。あーそーぶーぞーーー。
(……あ。遅れまくってる合唱の練習、こそこそしようっと……)。
ちょっと早い感じがするかもしれませんが、「卒業アルバム」製作のお仕事は今がピークです。でも、秋は写真屋さんにとって何かと撮影の多い時期なので、どうしても卒業アルバムの作業に取りかかるのは、閉店後。宵っ張りの日々が続いています。
人は夜中になると、何だか妙に色々なことを思い出したり、感慨深く思ったりしてしまいがち。二代目や義姉が撮影してきてくれた「3年生最後の試合」や、「体育祭のガッツポーズ」や「合唱コンクールの真剣な顔」の写真たちに関係ない私がじんわりしてしまうこともしばしば。限られた枚数の中に、出来るだけたくさんの「いい顔」をいい感じで入れてきてあげるために、写真屋のおばちゃんは頑張っているんやでぇ!みんなは学校で私とすれ違っても知らんぷりだけど、「あ。文化祭でギター弾いてた子だ」とか、「あ。足速いやつだ」とか思われているとは、知らないもんね?(笑)
銀行員だったわたしが、二代目と結婚しなければ絶対に巡り合わなかった仕事、降ってわいたようなこの仕事との出会いには神様に感謝としかいいようもありません。東京での夫婦二人の気楽な生活を捨て、足利で写真館を継ぐことを決めたときは、どこか、「継いであげる」といった想いがあったように思います。いま思い返せば、そんな思いが根にあったせいでの失言暴言、あったかもしれないなぁ、お義父さん、にこにこしてたけど、実は怒ってたかもしれないなぁ……などと思い返すことが最近、時々あります。
思うように仕事を出来なくなってからも、慣れない仕事で徹夜している私を心配して、「ラジオ深夜便が聴きたいんですよ。」と一緒に店に居てくれたこともあったなーと、ふと思い出しました。あの小生意気だった嫁が、どこの学校でも「あ!マツモト写真さん!」と覚えて頂けている今を、ちょっと見てほしかったような、そんな気もします。そして、この仕事を私たちに残してくれてありがとうって思いも、ちゃんと伝えられたら良かったな、と。
「卒業アルバムを納品するまでは、その子たちの写真のネガをリュックにまとめて枕元に置いて寝るんですよ。火事になったらこれだけは持って逃げるんですよ。」と話していたお義父さん。私は、高校生のとき使っていたお弁当箱にダブルバックアップをとって、まとめています。 「お義父さん、フィルムの頃よりは随分コンパクトでしょ。私は銀行通帳なんかも持って逃げますね!」
毎年繰り返される、「こんなに閑で本当に大丈夫なのか、マツモト写真!?」な8月が過ぎ、「お?だんだんお仕事が入り始めたかな?」な9月を超え、10月の声を聞いた途端に、「きた、きた、やってまいりましたー!」な多忙期が始まりました。ありがたいことです。このまま年末まで、走り抜けます。
基本的にのほほんとした性質なので、忙しくなってくると、とかく心を亡くしがち。コトバに優しさが失われ、行動に余裕がなくなり、後悔する夜もしばしば。何年経ってもちっとも成長しない自分にうんざりしたりも致しますが、それでも反省と改善を心掛けているうちは人は成長するのだと信じて、頑張るのみです、はい。
でも、昔に比べて猪突猛進な時間帯に『ほっ』と一瞬息を付いて冷静になるのが上手になったかな、という気はします。時にそれはゆるキャラのぬいぐるみだったり、家族のあほな冗談だったり、Facebookの友だちとの他愛ない会話だったり、色々なものにキッカケを貰うんだけど。その『ほっ』を、上手に身体に取り込むことが出来ると、結構な栄養となって更なる馬力を生んでいくことができます。その辺りのバランスを上手にとることがもっともっと上手になっていくと、きっと大人の完成ってことなのでしょう。もう暫く、要修行といったところでしょうか。
ちょうど多忙シーズンの入り口時期に思いがけずお友達から届いたお花。 飾った場所を通りかかる度に、『ほっ』をくれました。さやかちゃん、ありがとう!
きちんとアルバムに保存していた写真ですら、久しぶりに開くと、どこか何となーく色褪せしてしまっているものです。デジタル写真が一般的になり、写真はデータで保存、いつでも思い出せば検索をかけ、瞬時に撮影当時の色で見ることができます。それは、それで、とても素晴らしいと私も思います。
でも、自分の昔の様子をビビッドな色で見るのって、なんだろう?ちょっぴり居心地が悪い。「なんだ?その服は!?その髪型は!?」という姿で、「世界中はわたしの味方だわ!」という顔して笑っている若い自分は、ちょっと恥ずかしい。少し色褪せて控えめになっていると、思い出として笑いながら見ることが出来る、そんな気がします。その発想自体が、「フィルム世代」ということになってしまうんでしょうか。
結婚前に二代目が、「パルプ・フィクション」という映画が大好きだと知り、全く自分の守備範囲外だったのですが(未だに映画の趣味は驚くほどに異なっている)、これはプレゼントせないかん!と一念発起して買ったのが、このポスター。
渋谷の東急ハンズでパネルに入れてもらい、やっとの思いで抱えて(更に言うと、その日は相当な強風だった)、渋谷の街をよろよろと移動、電車に乗り、千駄木まで必死で運んだ思い出の品です。約20年の時を越え、すっかり色褪せてしまいました(この映画タイトル文字は本来、明るい黄色です)。でも、千駄木から綾瀬の新婚時代を過ごしたマンション、足利のアパートと現在の自宅……と、計4軒のトイレに飾り続けたこのポスターは、色褪せていてこそ、いま我が家の宝物チックな位置を得ているんだろうなー、なんて思うのであります。