昨日の夜中、「あ。今年も大丈夫だ。年内できっとカタがつく」と仕事の目途がついたことを実感。美味しくゴハンを食べた。
咳き込んで早朝に目覚めて、仕事を再開。
作業が一段落し、洗濯物を干しながら「久しぶりにニュースでも観るか」とTVをつけてみる。そしたら、学生さんたちの「NHK合唱コンクール」への挑戦ドキュメンタリー番組をやっていた。
テレビの前にぺったり座り込んで数十分。優勝した学校も、決して上手とはいえない一般参加校も、伝わってくるなー、なんで学生さんの歌声ってこんなに美しいんだろう。涙ぽろぽろ出ちゃう。
結局出られなかった今年の第九演奏会。『やっぱりこの仕事が落ち着く年齢になるまで、第九は諦めよう』と決心して数日だったけど……。ちっとも上達しない自分の歌声が嫌いで、美しい歌声を心から愛しているからこそ、歌う側からは撤退しようかなーと悩んだこともあったけど、今の合唱団はなんだか楽しくて、なんだかメンバーが大好きで、抜けられなかった。やるんなら上手にならなきゃ!って悪あがきが続いているし、正直上手に歌えなくてやだなーって思うこともある。けど、帰りの駐車場でのお喋りが楽しくて行っちゃったりもする。
舞台に乗らなかったのに、終演後の集合写真のとき、何人もの団員さんが「写真、一緒に入りなよ!」や「来年は一緒に歌おうね!」と声をかけてくれて嬉しかった。自分が何かの仲間の一員なんだって実感できるのって、くすぐったくて嬉しい。
「帰り道のために練習してる訳じゃないけど……。みんなと歩く帰り道が楽しいです!」と言い切る優勝常連校の部長さんの笑顔が眩しかったけど、へへへ、私も大体同じ気持ちなのかも。
足利に戻って、また歌うことに再会できて良かったなー。早く咳を治して、新年からまた練習がんばろー。
クリスマスだからね、ちょっと恥ずかしい文章もよしとして、色々なことに感謝を。さぁ、大晦日まで、走り抜けます!元旦は寝るぞー(笑)。
大のお気に入りのオペラ歌手や指揮者、演目がある訳ではないし、大した知識もない。実際体験しても大した感想を言えるわけでもないし、分不相応な贅沢だよなぁ。よし、今回で最後にしよう。DVDだって観られるんだし。そんな風に思いながら初台の新国立劇場へ向かいました。
プッチーニの『外套』『修道女アンジェリカ』『ジャンニ・スキッキ』の三部作。昭和の映画でもあるまいし、三部同時上演とはどういうことだ?と思いましたが、プッチーニさん作った時からそのつもりだったそうで。「プログラム1000円かぁ……。ネットで一応予習してきたし、いいや。」と席(前から4列目の砂被り席)へ。初日スペシャルで演出家の方のお話コーナーなどもあったりして、期待をふくらませ、いざ開演!
最近よく行くセカオワさんのコンサートで、周囲の若い子たちを眺めつつ「すごいなぁ、あの没頭ぶり。」と一人で冷静に音楽を聴いてしまう自分がちょっと寂しい時もあるのですが、オペラのときは別。歌手の方が自分ではなく、誰かを演じることによって放たれるチカラの引きが強くて、お尻や背中を引力でがーっと引っ張られるような、重さを伴う感情が湧くんです。主役の歌手の方がカーテンコールで跳ねるように出ていらしたとき、「あぁ、アンジェリカが居た訳じゃなくて、誰かが演じていたんだなぁ」と改めてビックリしてしまうほど没頭して観ていました。
泣いたり、「はっ」と小さく声に出てしまったり、声に出して笑ったり、思わず腕で自分の体を抑えなくてはならないほど震えたり。この派手な感情起伏が生の魅力だなぁと思います。毎回、「今回が最高だ!」と思うけど、今回もまたその気持ちが上書き保存されました。あの日、お財布にいっぱいお金入ってたら「おかわりチケット」買ってしまっていたかも(入ってなくて、まぁ良かった)。
「プログラム絶対買うし!」と気持ちは変化し、帰りの電車で読みふけりました(分厚いシャーロックホームズ持って行ったのに、重いだけだった)。
ありがとうオペラ。行かせてくれた家族にも、この演目を教えてくれたAちゃんにも感謝。あーー、次は何観に行こうかなー!
一昨年だったか?ニューイヤーオペラコンサートをTVで観ていて、「なんかカッコいいかも、この人♪」と思ったメゾソプラノの歌手の方のリサイタルに行ってきました。
卒業アルバムの校正作業が済み、印刷やさんだけが頑張っている納品までの期間(要するに2月下旬の平日)は、わたしの休暇です(勝手に決めた)。
「その時期に行かれるコンサート、なんかないかなぁぁ~ふふふぅぅん♪」
と探していたら、お名前を発見。足利からは結構遠いし、時間も割と遅目だったのでどうしたものか?と迷ったのですが、これも何かの縁だろうと、随分前にチケットを購入していました。
ところが、その晩の天気予報は雪。東京の雪は怖いし、帰れない訳にもいかない。追い打ちをかけるように携帯の充電は瀕死(終電検索ができないことを意味する)。席は列のど真ん中だし「どうしよう。休憩時間で帰るべきか……」と迷いながら開演を待ちました。
いざ、休憩時間に入ったとき、「ここで帰る」選択肢は私の中で100%消滅。「どげんかせんといかん」と、瞬時に行動を開始!会場の方に「遠く栃木から来てる。でも何とか最後まで聴きたい。終演の瞬間にダッシュで出られる場所に移動させてもらえないか。会場の隅でいいから何卒!」とお願いしてみました。そうしたら、ものすごく親切に対応・奔走してくださって、2Fの端の空席で最後の曲まで堪能させて頂けました(残念ながらアンコールは断念……悔やまれる!!)。
涙で顔がガビガビになったまま駅まで走って、乗り換えの駅でも走って、必死で電車内に貼ってある路線図で最速の方法を考えて、冷汗かいて……。それでも、「行って良かった、まぢで!」と心の中では満面の笑みでした。
いやいやいや、こないだハロウィン終わったばかりでしょ!……とのんびりしてもいられない。もう街は結構な勢いでクリスマス仕様です。おたおたしてはいられません。あっという間に「も~いくつ寝ると~♪」……ひー。(←取り急ぎ、通年出しっぱなしの我が家のクリスマス要員を集めてみました)
両親がクリスチャンなので、子供の頃クリスマスというのは本当に特別でした。ツリーも飾ったし、サンタさん小2まで来たし、教会の方を自宅に招いてクリスマス会をしたりも。
で、何が楽しみだったって(いや、そりゃ勿論プレゼントだけども、それはとりあえず置いといて)、クリスマスの讃美歌を歌うのが楽しみでした。こどもさんびかと大人の讃美歌は別の曲が載っていましたが、クリスマスの時期にだけ歌う「大人の讃美歌」は意味は皆目分からなくても、なんだかものすごく美しくて、大好きだったのです。母がオルガニストなので、いつでも生演奏で歌える贅沢な環境だったこともあって本当によく歌いました(もしかしたら、母の練習中に勝手に歌っていたのかもしれない……)。
昨日、久しぶりに足利市民合唱団の練習に参加したら、毎年恒例「アピタの足唱クリスマス・コンサート」に向けた練習の初日でした(楽譜忘れてごめんなさい)。プログラムには讃美歌も登場するので毎年、練習だけだけど(本番は欠席なのです……この時期はしょうがないね!)、とっても楽しいです。
讃美歌『荒野の果てに』では、「うわぁー、お母さんは ”グロぉぉぉ、おーぉぉぉ、おーぉぉぉーリア♪” を一息で歌えちゃうんだ!」と感心したり、讃美歌『牧人ひつじを』で「うわぁー、お父さんはメロディーじゃない音を歌ってる!」とびっくりしたり、何かと「大人ってすげぇ!」な感想をもった場面が浮かんできます。私にとってクリスマスの讃美歌はまさに「ファミリーソング」なんだよなーと昨夜も一人で静かにハッピーになっていました。
ただひとつ問題が。数年前にソプラノからアルトへ転向した私。念願の「メロディではない音」で讃美歌を歌うことになる訳ですが、「メロディじゃない音を歌うぞ!」と気合を入れるまでは良かったのですが、幼いころから耳で覚えてしまった『牧人ひつじを』の”テノール”(父のパート)がつい出てきてしまいます。気持ちよく歌いすぎると絶対間違えるな、こりゃ。ちゃんと楽譜見て覚えなおさなくっちゃ(笑)。
足利の有名人(?)藤岡幸先生がお亡くなりになりました。
お見送りの場所で色々な方のお話を聞いていたら、どうやら先生はとても厳しい方だったらしい……のに、私は全く叱られた記憶ないなぁー。もう早い段階で「育てる対象」じゃなかったのでしょう(笑)。9年間もおけいこに通ったのに(小2~高2途中)、ポロンポロン程度にしかピアノも弾けない今を考えると当然といえば当然(お父さん、お母さん、ごめんなさい)。でもきっと先生も気付いてくださってたんだろうな、私が先生のことが大好きで、お喋りするために毎週かかさず通ってきていたことに。
ただ間違いなく言えるのは、いま歌うことや聴くことが私の心の糧になっている原因は、かなりの部分で藤岡先生のおかげだ、ということ。
お別れの式に参列された方々、それぞれの中に「藤岡先生名言集」が残っていたようでしたが、私にも色々な言葉をかけてくださいました。私の中での「素敵女子」の頂点にいらっしゃった先生には、何となくこれからも音楽の場に行きさえすればいつだって会えるような気がしていました。でも、もう、「あ~ら、尚美ちゃん(投げキッス)❤」とお声を掛けて頂くことも、もうないのかぁ……と思うと、代表で弔辞を担当された石川先生(足利市民合唱団の名物テノール!藤岡先生の超お気に入り素敵男子!)にも、『泣かないで、明るく送りださなくちゃぁ、先生に叱られちゃうぞぉー』って言われちゃったけど、ちょっと泣いちゃいました。
本当に今まで40年間、ありがとうございました。藤岡先生ほど、「チャーミング」って言葉が似合う方に、今後の人生で出会えるとも思えないけど、そんな先生にこの世での音楽と手を繋いだ人生をプレゼントして頂けたこと、私のこれからの日々でも、ずっと大切にしていきます。
また天国で再会したときは、投げキッスしてね!
約10年前、足利市民合唱団ではじめて「歌って踊った」後に、会場にいらしていた先生と♪
<過去に先生について書いたブログ:自分備忘録として>
「投げキッス」http://blog.goo.ne.jp/oggu/e/c92008ba0af3c69445dbd600e0424f91
「ステキな先生」http://blog.goo.ne.jp/oggu/e/9af9d2d62b82aae9f6a78b936146e387
「恩師復活」http://blog.goo.ne.jp/oggu/e/6d3a340a196348533c8d9d51a57389de
普段だったらまず観ないであろう重い社会派の映画「ムーンライト」と、合唱団の練習曜日だからと何となく毎年諦めていた聖金曜日のバッハ・コレギウム・ジャパンの「マタイ受難曲」に、行ってきました。同じ日の昼間と夜に。そんな重たいリレーは、体力的にも精神的にも負担が結構大きいので普段だったらしませんが、この時期、スケジュールがきついので止むを得ませんでした。「マタイ受難曲」はずっと行きたいと思っていたのだけど、そこまでしてどうして今回この映画に行こうとしたのか自分でも不思議。でもまぁ、「絶対観ないな」と思っていた気持ちが予告編を観た時に「観よう」と変化したので、「仕方ない観るか」といった感じでした。
結論から言うと、この2つを同じ日に受け取って良かったなぁ、と思っています。お互いが何か響き合って、自然と入ってきたようなそんな感覚でした。脈々と横たわる主人公の悲しみや繰り返される許し、裏切る側のつらい気持ち、群衆のひとりとして恐ろしい思想や行動に身をゆだねてしまうことの重たい責任、そしてそんな悲劇でしかない場所にも必ずある希望のようなものの存在……そんななんやかんやがとても近い感覚で。お腹いっぱい食べたけど、胃もたれはしない。そんな気持ちの良さで、飛び乗った最終列車でゴトゴトと帰ってきました。
お。思ったよりコトバ化できた。でも、私の中に残ったのはもっともっと大きな、不思議なくらいの充足感。前を向こう、ちゃんと食べて、立って、歩こう、よりカッコつけて言っちゃえば、生きようっていうほどの。
とても良い遠足させてもらいました。さて、と。働こう。
「今まで成功した写真はせいぜい300枚。1枚が1/100秒だとすると、50年でたったの3秒」……というカッコいいことを言っているのは有名なカメラマンのロバート・ドアノーさんですが、私も最近似たようなことを思っていました。「生きてる内にあと何回コンサートへ行かれるんだろう。次に生まれ変わったとき人間だったとしても音楽に全く興味のない人生になるかもしれない。行かれる機会は大事にしていかなくちゃ!」……あれ?違う?(笑)
バッハ・コレギウム・ジャパンのベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」演奏会に行ってきました。えぇ、えぇ、またしても仕事邁進中の二代目を置いて、若女将ひとりの遠足です(ごめんなさい)。
ベートーヴェンでミサ曲ってイメージがなかったし、金曜日は合唱団の練習日だし、候補に入っていなかったコンサートだったのですが、出演者のおひとりから「第九歌ってるなら、おすすめなんだけどなぁ……」と耳元で囁かれ(「表現はイメージです。」)、丁度その誘惑タイミングが楽しみにしていたコンサートを仕事で諦めた直後だったので、気付いたときには手が勝手にポチリとしていました。便利な世の中、よほど自分の手をしっかり躾しておかないと、本当に油断も隙もあったものではありません。
いくらベートーヴェンさんだからといったってやっぱり「ミサ曲」。きっとどんより悲しい気持ちで帰路につくことになるだろうと覚悟をきめ、うちのめされる気満々で会場に向かいました(バランスをとるために、昼間観る映画も相当軽いであろうラブ・コメを選択しておくという完璧な自己管理つき)。まさか、あんなにあたたかい気持ちで、目の前の席が空いたのに座るのも忘れてぼんやりして帰りの電車に揺られることになるとは思っていませんでした。私は音楽会のあとって、割とひとりでぎゅーっと感動みたいなものを抱え込む性格だと自己分析しているのですが、今回のコンサートは終演後に誰かと「ねー。良かったよねー♪」と語りたい気持ちがむくむくしていて、ロビーで友人の顔を必死で探したほどでした。見付けられなかったけど。
ベートーヴェンさんも枝葉の先っちょのような音楽ファンにさえこんな想いを届けてくるなんて、やっぱりすごい人なんだなぁと思い知らされましたが、それよりもなによりも、舞台の上の演奏者の方々の熱い様子がひしひしと伝わってきて。日本で滅多に演奏されない曲らしいので、その誇りや想いが音と一緒に客席にも流れ込んできたのかもしれません。うーん、流れ込んできたっていうより、でーーーっかい布で客席ごとぶわぁぁぁと包み込んじゃったってイメージが近いかな。コトバで表現するとどうにも陳腐になるけれど、そんな感じ。私は割と熱演に弱めで、クールに淡々と歌っているようなのに「なんだかぐっときた」的な舞台が好きだと思っていたのですが(アマチュアは別)、今回に至っては気持ちをガッツリ入れ込んでいらっしゃる現場に立ち会える歓びがこみあげてきて、ありがたいなぁ、音楽が好きな人生を与えてもらえてありがたいなぁと震えました。指揮者の手がざっ!と天にむかって止められた時に、客席も一緒に息を飲むあの快感、嗚呼。
理解のある家族と、お仕事を頂けるお客様、健康な身体、さまざまな幸運があってこそのこの時間。なんだかいろいろなことに感謝でいっぱいになった帰り道でした。耳元での怪しい誘惑や、暴走気味な自分のポチリぐせのある手にも、心から「ありがとう!」。そしてもし次の人生が音楽好きじゃないならば、バスケットボールを顔で受けたりテニスラケットを指で受けたりしないリレー選手に選ばれるような人生も……ちょっと興味あります。
(最初にお断りしておきます、今回ものすごく長い上に、ものすごく個人的な想いの吐露となっております。予めご了承ください……)
「何年も前から実現したらいいなぁ」と願っていたコンサート、『ヴォクスマーナ・伊佐治直アンコールピース全曲集』に行ってきました。
『ヴォクスマーナ』というのは、私が一種の追っかけと化している声のアンサンブル集団で、プロの声楽家の方々が一人一パートを担当し、「どうなっちゃってるんだ、これは」な現代音楽を驚異の精密度で歌う人々です。最初にこの方々のコンサートに行ったとき(正確に言うとこの人たちの派生団体『マドリガールズ』という女子のみのコンサートだったのですが)、驚きのあまりショック状態で終演後椅子から立ち上がれなくなったほどでした。まぁ、長距離バスの時刻が迫っていたので、その後ダッシュしたけど。
1年に2回行われる定期演奏会では、いつも新曲委嘱作品が演奏されるという意欲的な団体で、「まさに今ここで曲が生まれた」という貴重な場面に立ち会うことができます。その舞台上は勿論のこと、その客席も他のコンサートでは感じたことのない独特の緊張感が漂っており、1曲終わると、長いこと止めていた呼吸を「ぷはぁ」と再開するような感覚です。これがクセになるんです。現代音楽はちょっと苦手……ってずっと思って生きてきたけど、ヴォクスマーナとの出会いにより、「自分で勝手に蓋をしていた素晴らしいものが、まだまだこの世にはいっぱいあるんだなぁー」という歓びに襲われ、現代美術も見に行くようになり、ポップスさえも聴くようになり、どんどん世界が拡がっていったキッカケだったように思います。
そのヴォクスマーナが2008年からずっとアンコールで歌ってきた、伊佐治直さんの新曲たちを集めたコンサートを遂に開いてくれました。2010年くらいから私はずっとずっとこのコンサートがいつか開かれるに違いないと信じて待っていて、今回も最初は10月に予定されていたのに1月に延期になり、イイ感じの焦らされ加減で、とっても楽しみにしていました(なのに、前回ブログの失敗をしでかして、もう電車の中で半べそだった訳です……)。
最近は週末の開催が多く、定期演奏会に行かれないことも増えてしまったので全部聴いたことがある訳ではなかったのですが、まさにヴォクスマーナの歴史をたどっているような時間でした。今はいらっしゃらないメンバーのお顔やお声なども浮かんできて、1ファンにすぎない私ですら妙に感傷的になっちゃって、関係者の方々にとっては本当に大切な夜だったのではないかな、と想像しています。
以前は賛助会員にもなっていたのでチケットと、コンサートの録音CDを頂いていました。特に伊佐治作品のファンになった私は勝手に『伊佐治まつり』と名付けたCDを自作し、いつも車の中で聴いていました。2010年頃というと、写真館の仕事には慣れず、将来が見えなくて右往左往していた時期で、打ち合わせに向かうのが嫌でお腹が痛くなったり、その帰り道にどうしようもなく暗澹とした気持ちに襲われたりしていたものでした。そんなとき、ラジオから流れる賑やかな音楽はあまりにも攻撃的で私には耐えきれず、かといって無音の中で運転していると色々なことを考え過ぎて運転が危ない。よって、私はこの「伊佐治まつりCD」ばかりを聴いていたのでした。
ある打ち合わせの帰り道、赤信号で停まっていて、別に特に厳しいことを言われた訳でもないのにやけに追い詰められたような、切迫した気持ちに襲われてしまったことがありました。「なんだ?これは?」と自分で戸惑っていたところに、このCDから『なんたるナンセンス』という曲が流れてきたら、私がいきなりボロボロ泣きだしたのです。ヒトゴトみたいに言うのも変だけど、本当にもう一人の自分が「お?泣いてる?なんで?」みたいな感じだったのをよく覚えていて。でも泣くと、妙にすっきりすること、あるじゃないですか。浄化って表現すれば丁度いいのかな。その赤信号では幸いにも後続車が居なかったので(どんだけ田舎)、その曲の間、とりあえず此処で泣いとこうと思って、青空を眺めながらもう一度最初からゆっくり1曲堪能し、さっぱり明るい気持ちで帰路についたのでした。
それ以来、私にとって大切な作品となった曲。今回、再び生で聴かせて頂けて、本当に嬉しかったです。私、「宝くじで10億当たったら」や、「死ぬ間際にひとつだけ願いが叶うなら」って問いのとき、よく思ってたんです、『なんたるナンセンス』をヴォクスマーナさんに私だけのために生で歌ってもらう、にしようって(笑)。とりあえず私だけのためじゃなかったけど願いが叶っちゃったので、次の目標を探しておかなくっちゃ。さて、10億当たったら、何に使おうか……。
ヴォクスマーナに出会えて、本当に良かったなぁーと改めて思った夜でした。