昨日、横浜山手の静かな教会へ、チャリティコンサートを聴きに行きました。
3月12日に電気が通った後、テレビから流れてきたのは、信じられない光景でした。その光景の後ろに苦しむ人、悲しむ人のことを一瞬でも考えたら、どうにかなってしまいそうだった。怖いのか、悔しいのか、悲しいのか、カラダが震えて。
でも、私には『泣く権利』はない、と思いました。そんな同情の涙を流すことは許されない、と思いました。そして、ニュースを見なくなり、新聞も前向きに頑張る人の記事のみを読むようにしていました。それは、悲しんだって何も力になれる訳ではない自分から、目を背ける行為であったかもしれません。
昨日のコンサートに行こうと決めたとき、「泣いてもいいや、泣いちゃおう。」と思いました。女優ではないので、涙をコントロールできる訳ではなく、「いま!今は泣くところ!」という時は大抵平然としていて(だから、残念な私の青春時代)、今は泣いたら顰蹙~というときに、よく泣く。でも、今回は、カラダに涙が抑制されて詰まっているのを自覚していたので、たぶん蛇口を開けば、じゃあじゃあ出るな、というのは分かっていました。
冒頭のオルガンの音で蛇口は開き、そのあとはまさに「目が汗をかいている状態」が続き、時々蛇口を全開し、帰り道の景色の美しかったこと。
前を向くしかない人、進みたくても進む道すら見えない人。そんな人々が日本にたくさん存在してしまっている今。私はこの足利で、しっかり足を地面につけて、しっかり立っていようと思います。そして、出来ることを探していきたいです。微力だって、力は力だと思うから。