私は数年前、戦争に関する本、特に兵隊さんが書き残したものを読むことを、自分のライフワークにしようと決めました。そこに付随するテレビ番組や音楽会等にも、触れるようにしています。それは、ラジオで知ったある一冊の本、『最後の手紙 戦場に残された二十四万語の届かなかった手紙 重松清著』、との出会いがキッカケです(→私の過去ブログ「出会い」)。それまで私はテレビはおろか、本だろうが、新聞の投稿欄だろうが、戦争体験を知ることを避けていました。本当に申し訳ないな、と思いながらも、怖くて触れることが出来なかったんです。でも、この本を読んで、考えは変わりました。忘れちゃあいけないし、ましてや、知らないで終わったりしてはいけないんだ、と反省したのです。だから、知って何か行動をとる訳じゃなくても、知ろう、と思ったのです。知るだけで、何か変わるだろう、と。
今週、わたしはテレビを避けています。もちろん、仕事が何やら忙しいので見る暇ないのも現実だけど、意図的に主電源を切っています。3月11日まであと数日。新聞も、Facebookも、1年前の東日本大震災のことを多く目にします。そして、今まだとても映像でそれを、見る勇気がないのです。臆病だと思うし、見るべきなんだろうと分かっているし、作り手の気持ちもわかるけど、私には、まだ早い。風化などあってはいけないし、前にも書いたけど、今の日本はあんなことがあったのに、あまりにも「普通に」機能している、時には悪い方向に極端に動いているように、私には見えるから、あの日の想いを見つめ直す必要性は高いのだろう、とは分かっている。でも、まだ、私は見ることが出来ないです。そして、そういう人はたくさんいると思います。
でも、読むことなら、何とかできます。自分のペースを守れるから。そのコトバを放った方が、現実にこんな狭い日本に存在している(していた)のだから、同じ日本人として、やはりそれを知る責任のようなものが、あるのだろうと思うから。それが今の自分の精一杯だけど、そこは避けない。
3月11日は、さまざまな問題や今後への展望・やる気も静かに置いて、亡くなった方々へ想いを寄せる日に。日本のすべての人が、被災された方々へ想いを寄せる日に。