5月。夫の父がガンで他界しました。
死の2日前、お見舞いに行って義父の紫に変色した脚をアロマオイルでマッサージしました。
一瞬、血色がもとにもどり、夫と義母がとても喜びました。
もちろん気休めだということは皆わかっていたけれど、重苦しい空気の病室の中、せめてもの救いだったんだと思います。
もう家族の声に反応しない義父の、命の終わりがすぐそこに来ていることが伝わってきて、駅への帰り道、ひとりで泣きながら帰りました。
穏やかで温かく、わたしにとっては素敵なもうひとりのお父さんでした。
2日後の早朝。義母から、深夜義父が亡くなったことを知らせる電話がありました。
その日はわたしたちの結婚記念日でした。
夫は海外に出張中で、メールで知らせ、ひとり母のもとに向かいました。
車を運転しながら涙があふれてあふれて、遠い国で父親の死を知った夫の気持ちを思うと、なお涙が止まりませんでした。
結婚記念日は命日になりました。
死の2日前、お見舞いに行って義父の紫に変色した脚をアロマオイルでマッサージしました。
一瞬、血色がもとにもどり、夫と義母がとても喜びました。
もちろん気休めだということは皆わかっていたけれど、重苦しい空気の病室の中、せめてもの救いだったんだと思います。
もう家族の声に反応しない義父の、命の終わりがすぐそこに来ていることが伝わってきて、駅への帰り道、ひとりで泣きながら帰りました。
穏やかで温かく、わたしにとっては素敵なもうひとりのお父さんでした。
2日後の早朝。義母から、深夜義父が亡くなったことを知らせる電話がありました。
その日はわたしたちの結婚記念日でした。
夫は海外に出張中で、メールで知らせ、ひとり母のもとに向かいました。
車を運転しながら涙があふれてあふれて、遠い国で父親の死を知った夫の気持ちを思うと、なお涙が止まりませんでした。
結婚記念日は命日になりました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます