東浦町から引き継ぎ淡路市が所蔵する日田コレクションの解説行わ
れ聞き入る淡路はさほど人口も多くない島ですが近世から数えて
約400年の間に多数の著名人輩出あり(詩人、俳人、書家、画家、
陶芸家)等の先人達諸作品を収集し今日に伝えている中で淡路
の芸術文化活動の理由と弱点講演は大変参考になった
島の特長として人々はのんびり屋で陽気で旦那衆(芸)が多かっ
たようだ。反面粘り強さに欠けふるさと離れ立志伝めざせの教育
があり又肋膜、結核病多く早死者も散見される
昭和12年制定の文化勲章にあと一歩の所で止まる理由もある
ようだと解説されていた
私は俳人高田蝶理(旧釜口村出身45才没)の他界と不動立山
(旧西淡出身夕立入選に終わる)が京都画壇と東京の日本美術
院間各会派の裏での暗黒の戦いに嫌気がさし中央から離れ自適
生活に入られた事が今思うと残念に思う
蝶理の長寿と立山の夕立が最高の賞に輝いていたならば2人共
文化勲章受章者になり得たのではないか思われます
れ聞き入る淡路はさほど人口も多くない島ですが近世から数えて
約400年の間に多数の著名人輩出あり(詩人、俳人、書家、画家、
陶芸家)等の先人達諸作品を収集し今日に伝えている中で淡路
の芸術文化活動の理由と弱点講演は大変参考になった
島の特長として人々はのんびり屋で陽気で旦那衆(芸)が多かっ
たようだ。反面粘り強さに欠けふるさと離れ立志伝めざせの教育
があり又肋膜、結核病多く早死者も散見される
昭和12年制定の文化勲章にあと一歩の所で止まる理由もある
ようだと解説されていた
私は俳人高田蝶理(旧釜口村出身45才没)の他界と不動立山
(旧西淡出身夕立入選に終わる)が京都画壇と東京の日本美術
院間各会派の裏での暗黒の戦いに嫌気がさし中央から離れ自適
生活に入られた事が今思うと残念に思う
蝶理の長寿と立山の夕立が最高の賞に輝いていたならば2人共
文化勲章受章者になり得たのではないか思われます