これからも路の途中

市民ランナーの日々の出来事

越谷駅伝 1週間前になりました が・・・。

2016年11月27日 07時45分49秒 | 日記
足首の故障に悩まされています。

始まりは先週の土曜日。
ジムのランニングマシンで違和感を覚えた。

翌、日曜日、公民館練習のランニング中に痛みを覚えてリタイア。
痛いので、あまり動かさないように(当然走らないように)していました。

勤労感謝の日
福祉村にておしゃべりラン 1周目で違和感を覚え、2周目はもう走るのが厳しかったです。

この時点ではっきりと故障と認識。
しかし、金曜日には歩いても痛みを覚えなくなってきたので、つい
縄跳びを3回跳んでみると
もう激痛で顔がゆがむ。
「こりゃ あかん」
と、かなり深刻。

昨日も福祉村でゼッケンを配るも1ミリも走りませんでした。
本日も公民館でゼッケンを配りましたが、体操のみで1ミリも走りませんでした。

1週間後の駅伝で代わりに走ってもらえる人を探しましたが、無理そうです。
1週間でどこまで回復するかわかりませんが、安静にして当日少しでも走れるように頑張ります。

本日はプールにウォーキングに行こうかと思っています。
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勤労感謝の日

2016年11月23日 17時50分24秒 | 日記
普段働いている方に感謝の日です。

さて、わたくし2時に娘に起こされました。
そのまま眠れず、2時半起床。
撮りためていたドラマ視聴&細かい家事。
4時には眠くなり、2度寝。(っていうのかな)

次は6時に起きました。洗濯物を干したりしているうちに7時を過ぎたので福祉村へ。

福祉村には、うめさん・鈴智さん・事務局Aさん・鉄ちゃん・O田さん・O竹君が来ました。
うめさんとおしゃべりランをしました。(おしゃべりランに付き合ってもらいました)
とても楽しく話していたのですが、1周過ぎたあたりから左足首が痛み始め、キロ6分で走れなくなり
半周はさらにペースを落としてもらいました。
左足首は思いのほか回復が遅く、駅伝当日に迷惑をかけないように今後は更なるケアに努めたいと思います。

ラン後も駅伝その他ラン話に花が咲き
「O竹君は駅伝地区で走るんだね。」
「裏切り者」と単刀直入に言ううめさん 気持ちいいですね。

さて、帰宅後はお風呂で足のマッサージ
実家に母を迎えに行き、父の病院に面会に行きました。
救急車での急患が入りドクターがなかなか回ってきてくれませんでしたが
1時間を過ぎたころに来てくれて
「脳の炎症は改善されていないので継続して治療していく」
「呼吸は自発呼吸を機械でサポートしている」
「外部からの呼びかけには反応はあまりない」
「脳の機能の改善は望めそうにない」
「炎症や呼吸が安定したら地域の施設に移動になる」
などの説明を受けました。

実家近くのリンガーハットで母とかみさんと私の3人で昼食。
帰りの運転は眠くて大変。信号待ちでは何度もマイクロスリープ。
無事に到着しこたつで爆睡。

「明日は雪」との天気予報でしたのでデミオのタイヤの付け替えに。
穴場に行くも
「予約でいっぱい」
「でも、今なら20分空いてます。」
「すぐ、お願いします」
で、付け替えてもらってラッキーでした。

よく考えてみると、勤労感謝の日でも働いている方はたくさんいらっしゃいました。
本当に感謝です。「あれ?そういう日だっけ?」
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雨の土曜日は久しぶりにハードだった

2016年11月20日 05時27分04秒 | 日記
雨の朝
4時50分ごろに起床
もはやルーティンになっている、「食器ふき」と「洗濯物干し」
をしながら、コーヒーを入れる。

雨の音を聞きながら、
「こりゃ、走れないな。」と思う。

6時30分 息子を南越谷駅に送り、そのまま職場へ。
火曜日の発表の準備を2時間ほど。

郵便局で現金をおろして、ネットで買ったシューズのコンビニ払い。
ローソンの機械の前でずーと作業しているおばさんがいるので、雑誌コーナーで時間をつぶして待っていたが
いつになっても終わらない。
「ちっ。」「はやくしてよ。」と心の声が漏れてしまっていたらすみません。
結局、できなかったようでばたばたとごみ箱にキックして倒して車に乗って去って行きました。
乗り込んだ車を見て思ったのですが、お隣のおばさんではないですか。
マスクをしていたのでよくわからなかったのですが。(ほんとに、要注意です。)

帰宅後、出かけるかみさんを越谷駅まで送っていく。
そのまま、ジムに行く。
ランニングマシンが混んでいて8人待ちぐらい。
筋トレをして待っていました。
「セット間の休憩はマシンから離れてください。」
と、指導され掲示もされているのにずっとマシンに座っているおじさんがいたので
「チェンジしてもらいませんか?」
と、声をかけると、
もう1回やったら終わりだから
と、自分の予定が終わったらどいていきました。(結構こういう人多く困っています)

さて、ランニングマシンは30分×2本で11キロ強走りました。
筋トレで足にきていてとても厳しかったです。

温冷法を使いシャワーを浴びてから1時半ごろ出ました。

昼食をスーパーで買い(お寿司とカキフライとのんあるビール)
撮りためていた「真田丸」を見ながら食べる。

3時からマツダデミオリコールのためディーラーに。
4時ぐらいに終わり春日部方面へ。
5時からインフルエンザ予防接種の予約。
インターネット予約の格安の病院はえらく混んでいて
「これ 病院?」
という感じだったけど、なんとか無事に接種完了。

帰宅後は夕飯づくり。

その後娘から「迎えに来て」の連絡。

夕食後はこたつで爆睡。

以上




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父 ⑤

2016年11月19日 06時20分54秒 | 日記
金曜日の夜 母とともに面会に行く。
胸部CTの結果を話すというので母について言った形だ。

入院してから、脳挫傷と胸部骨折の症状については
「悪くはなっていない」とのことだった。

ただし、合併症の恐れあり。
髄膜炎の疑いのため、髄液の検査で菌を同定している。
結果が出る前から、抗生剤で対応しているとのことだった。

「本来 無菌の脳の中で 菌による炎症が…。」
という話だったので、
「今回のケースで、なぜ無菌のはずの脳に菌が入ったのでしょう?」
と、たずねました。

「2つの可能性が考えられます。」
と、ドクター。
1つ目は、落下による外傷から。
2つ目は、病院での手術に伴う感染。(超省略形ですが)
別に医療ミスとして訴えるつもりはありませんよ。今のところは。
ドクターも慎重に言葉を選びながらも誠実に説明してくれましたしね。(今のところは)
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父 ④

2016年11月18日 05時44分33秒 | 日記
週末にお見舞いに行っている。
平日は母や妹が病院に行っているので、夕方に電話をして「今日の父」を確認している。

呼びかけ反応が薄い日と目を開けてうなずいてくれる日があるという。
昨日は目を開けている時間が長かったと嬉しそうに母が報告してくれた。
「手を握って」と言って手を握り返してくれると、とてもうれしく安心したという。
「安心して、家に帰っておやつを食べることができた。」と言っていた。
それどころじゃなかったんだな。
今、私にできることは母の精神の安定のために、夕方に電話をすることぐらい。
今日、生きて歩いて、ご飯を食べて、話す。
自分で自分のことができるというのは当たり前のことじゃないんだなと改めて思う。
今日生きていることを感謝しながら生きなければと日々思う。

本日、胸部CTを撮って人工呼吸器の調整をするようだ。
CTの説明を受けるので来てくれと母から言われているので一緒に行く予定。
父をめぐる状況は少しずつ動いている。
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ドヨレン

2016年11月12日 10時12分26秒 | 日記
今週も福祉村で朝練してきましたよ。

家事をしていて集合時刻に数分遅刻してしまったけど
鈴智会長や鉄ちゃんと駅伝の走順や打ち上げについてお話をしました。
山岡さんが来なかったのが残念です。

さて、ランのほうは、
1周アップの後、モコさん・スッチーさん・事務局Aさんらと5キロのペース走をしました。
1セット目はキロ5ということでゴール25分01秒
2セット目はキロ4分45秒にというリクエストでしたので
ラスト600mまではそのペースを守り、ラストは少しずつ上げました。
ゴールは23分14秒ラストは全力まで上げられてこれで満足。
ダウンを2周して今日の走行距離は約15キロ。

ローソンで補給して帰りました。
健美の湯に行く気満々でいたのですが、途中で自宅風呂に変更。
ちょうどわいたようなので、あったまってきます。
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父 ③

2016年11月12日 06時16分33秒 | 日記
父の容態は安定している。
とはいっても、ICUでは延命処置が主である。
意識が戻ったとしても以前のように会話をすることはできないだろうと言われた。
自分の記録として、父に関しての思い出を記しておく。

しつけに厳しい人でした。
物心がつくかつかないかの年齢から食べ物の好き嫌いに関しては特に厳しかったです。
食べ物を残すと、よく頭をはたかれました。
はたかれてテーブルの角に頭をぶつけ出血。病院で額を縫われたのも今になると良い思い出です。
おかげで今では食べ物の好き嫌いはほとんどありません。
小学校5年生の時に日曜日の少年野球の練習に寝坊をして朝ご飯を食べないで行こうとしたら
「食べて行け」とはたかれたのも思い出に残っています。

小学生のころ、親戚の家まで自転車で行くことが良くありました。(10キロぐらいかな?)
前を走る父が道を走るときのルールをよく教えてくれたものでした。

思春期を迎え、人並に反抗期らしき時期を迎えたころ
自分の生き方、親の生き方に「疑問」ではないけど、この先自分はどう生きて行けばいいのだろう?
と、悩んでいた時がありました。
私の父は、ものすごくまじめな人でしたから
酒・たばこはもちろん、パチンコ・麻雀・賭け事その他
大人の男性が趣味・嗜好として楽しむことは何もせず、
仕事しかしていないように私からは見えていました。
そんな中学生のある時
「お父さんは、仕事ばっかりの毎日で何が楽しいの?」
と、直接訪ねたことがありました。
父は、
「2人の子供の成長が楽しみで、毎日仕事を頑張っているんだよ。」
と、穏やかに答えてくれました。
やはり変な人だな。と、その時には思いましたが、人の親になればその気持ちはよぉくわかります。
また、父の気持ちに応えないわけにはいかないなぁと思ったことも事実です。

父に関連したエピソードはまだまだあるけどとても書ききれません。
自分が父親になった時、息子とのかかわり方に迷った時もあるけど
(父親になった年齢 私は27歳 父は25歳)
父は自分より2歳若いときに同じことを考えていたんじゃないかな?
父に恥ずかしくない生き方をしようと日記に書いたこともありました。

それらのこと 感謝していることを 伝えられないうちに 話すこと・伝えることができなくなってしまった。
だから、今を大切にし
難しいことだけど大切な人には今、気持ちを伝えなくてはいけないのだと感じました。
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父 ②

2016年11月10日 22時48分36秒 | 日記
ICUの前に着くと母と妹家族が来ていた。
とにかく、医者からの説明待ちとのことだった。
ショックを受けている母と妹の気を紛らわせるように
世間話をするのがやっとで、それはとても長く感じた。

呼ばれてICUに入っていくと沢山のベッドが並んでいて驚いた。
その先に管につながれた父が横たわっていた。
バイタルは安定していた。

脳のCT画像を見せられて説明を受けた。


近所の家から植木を切ってくれと頼まれ3~4mの高さの梯子から落下。(したらしい)
その家の人がしばらくして発見。(つまり、発見が遅れた。)
頭を強く打った。

運ばれてきたときの画像としばらくたってからの画像を見た。
脳の出血が進んでいることがわかる。
言語をつかさどる部分に大きな血の塊が認められる。

横たわる父は時々手足を動かす。
手足の運動をつかさどる部分の脳は大丈夫らしい。
もし、意識が戻っても言葉の意味は分からないだろう。
社会復帰は不可能。

それでも、生きていてくれるだけで救いだった。

いざ、その時になって初めて
現実を突きつけられてようやく、実感できることがある。

寝たきり 植物人間 脳死などの問題。
他人事ならばいくらでもいえる。
いざ肉親がその状態にならなければ、その苦しさはわからない。

「あなたの気持ちはよくわかる」なんて気軽には言えないのだなぁと思う。

母を見ていてもそう思う。
話しかけても「瞼が動いたような気がする。」「うなずいたように見えた。」
返事をするわけでも無いのに
それがどれだけうれしいか。救いになるか。

いずれにしろ、これは長い戦いになる。
短距離走ではなくウルトラマラソンのように。
気を張り詰めていては、全力で考えすぎては疲れ切ってしまう。

淡々と そう 淡々と 毎日の日常を生きていくほかはない。
うまくは説明できないけれど今、そう感じている。
その中でこの日常と突然お別れを告げなくてはならない時が来ても
決して後悔の無いように、日々を過ごしていけたらと思っている。
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父 ①

2016年11月09日 05時48分13秒 | 日記
月曜日の午後5時前 会議中に連絡が入った。

救急車で運ばれ集中治療室にいる。
「今後のことを相談したいので、病院に来てくれ」

すぐに車で東京女子医大に駆け付ける。
途中、どのような状況なのか?と色々と想定しながら。

しかし、行かなくてはわからないことを想像しても始まらない。
それよりも、自分が安全にたどり着くことを最優先に、
意識的に自分を落ち着かせながら移動した。
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1日1日を大切に

2016年11月08日 05時48分14秒 | 日記
いつ 何があっても 大丈夫なように
1日1日を大切に生きようと 改めて思った。

時間があったら 落ち着いたら
詳しく 綴っていきたい。
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越谷駅伝に向けての記録会(ドヨレン・ニチレン)

2016年11月06日 12時04分57秒 | 日記
土曜日
多くの走友会の皆様が集まり(職場の駅伝メンバーも集まり)
記録会を行いました。

私は集合の1時間前に福祉村に行き、ウォーキング&アップ(計3周)
職場の3人のメンバーとアップも。

予定より5分遅れの8時5分スタートしました。
とりあえず、職場のボンド君に抜かれないようにと頑張って走りました。
ゴールタイムは19分11秒

職場のKさんを駅まで送っていったので自宅にてお風呂タイム。

日曜日
30分ほど前に福祉村に着くとねもっちさんが動的ストレッチをしていて解説の紙もくれました。(ありがとうございます)
そのうち、事務局Aさん・鈴智さん・Bowstringさんなど今日は走らない人が来て
「今日記録会のメンバーは来るのかしらん?」
と、少々不安になってきましたが、時間が近づくと、鉄ちゃん・スッチーさん・トムさん・I上さんなどが集まりスタートしました。
私は、冷やかしもしくは木曜日と同じようにはじめと終わりの1キロだけ走ることも考えていたのですが、
記録係として鈴智さんも山岡さんもいらっしゃったので、普通に走ってみました。
そうはいっても昨日の今日なので、ゆっくりと入りました。
始めの1キロは4分15秒ぐらいでしょうか。
1キロを過ぎるとスッチーさんの背中をとらえました。
並走しようかとも思ったのですが、思いのほか体も動いたので抜いてしまいました。
その後も気張らず、リラックスして走っていくと、
「ん?」昨日と同じぐらいで2周できてんじゃないの?
ラストの1キロ頑張ってみました。
19分10秒
なんと!1秒更新してしまいました。自分でもびっくりです。

今日は一人だったので、健美の湯でゆっくり体のケアをしてきました。(冷温浴 5セット含む)

さて、12月のハーフに向けて、来週からは5キロ×3~4本の練習にシフトしていきたいな。
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スイーツ男子 ふたたび

2016年11月04日 20時57分58秒 | 日記
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文化の日ラン

2016年11月03日 09時39分38秒 | 日記
走友会のシティさんの呼びかけを受け福祉村に行く。
しかし、7時過ぎ、娘が
「間に合わない。駅まで送ってください。」
部活があるらしい。(和太鼓部)
「7時18分に家を出るぞ!急げ!」
と越谷駅に送っていきました。
シティさん・O竹君・山岡さん・Bowstringさん・たまちゃんはアップに行き、
遅れて、体操してアップに参加。
遅れると一気にテンションダウン。

しかも、シティさんは、
「お先に。」
と、ハーフマラソンのペース走をスタートしていきました。
たまちゃんとO竹君の4.66キロタイムトライアルにとりあえず便乗し、スタートしてみました。
ノープランでついていったのですが、500mを過ぎたあたりでもうちょっとはついていけそうでした。
さすがに1000mまででついていくのをやめました。
1000mのタイムは3分33秒でした。
タイムトライアルに声援を送りながら、O竹君の最後の1000mに並走することにしました。
1000m二本目は3分41秒。
土曜日の自分のタイムトライアルに向けてよい刺激を入れることができたかな?と、思います。

今日は午後に「埼玉国際マラソン」のボランティア説明会に行ってきます。
初めてなので楽しみです。
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